永 遠 の 伴 侶

(B6判、244頁)


 定価(本体1300円+税)


まえがき 

 本書は、シュリ・ラーマクリシュナの直弟子であり、スワミ・ヴィヴェーカーナンダと並んで同門下の双璧と仰がれた高僧スワミ・ブラマーナンダの伝記並びに語録――一九七一年にインド、マドラスのシュリ・ラーマクリシュナ僧院出版部から刊行された”The Eternal Companion: Spiritual Teachings of Swami Brahmananda”の第五版――の翻訳である。

 原書の初版は、一九四四年にハリウッドの南カリフォルニヤ・ヴェーダーンタの協会から出版された。スワミ・ブラマーナンダの直弟子であり、同協会の長であったスワミ・プラーバーヴァナンダが、インドですでに多くの人に愛読されていたベンガル語の「スワミ・ブラマーナンダの生涯」および「スワミ・ブラマーナンダの霊的教え」の二書を英訳して一書にまとめ、この標題をつけたのである。珠玉の内容は、まさに求道者の「永遠の伴侶」である。

 アメリカ合衆国には十カ所に近いラーマクリシュナ・ミッションのセンターがある。初版刊行当時は第二次世界大戦で本国インドとの連絡は十分にできなかったが、英訳者スワミ・プラバーヴァナンダは、彼自身および在米の他の直弟子たちの記憶によって「生涯」の部分を増補し、言行を、在米の他のスワミたちの中で直接故人を知る人びと全部に見せて、意見を乞うたと言う。

 一九七〇年には、訳者はすでに高齢であったにもかかわらず、その後に得た資料によって内容を更に改訂増補し、同時に、センターの機関誌に掲載されたスワミ・ブラマーナンダの僧俗の弟子たちの回想記をまとめて「追憶」という一項を加えた。

 スワミ・ブラマーナンダのもとには、もちろん在家の弟子たち信者たちも大勢集まっており、彼らはまた各自の境遇に応じてこの上もなく適切な修行の上の導きを受けたと言われているが、本書にのせられているのは、師が僧院の中でさまざまの場合に出家の弟子たち、または出家を志している弟子たちに個人的に与えた教えの記録であって、彼らの日記や覚え書きの中から集められたものである。

一九七六年十一月三日

日本ヴェーダーンタ協会


目  次

まえがき

序言

1.マハーラージの生涯

  1―1.幼年・少年時代

  1―2.ラーマクリシュナのもとで

  1―3.若い僧として

  1―4.グルとしてのマハーラージ

  1―5.ミスティック・ヴィジョンズ(見神の経験)

  1―6他界

2.追憶

  2―1.スワミ・アンビカーナンダ

  2―2.スワミ・ニルヴァーナンダ

  2―3.スワミ・アパルナーナンダ

  2―4.スワミ・サットプラーカーシャーナンダ

  2―5.スワミ・オンカレーシュワラナンダ

  2―6.ターラー

  2―7.スワミ・ヴィジュニヤーナーナンダ

  2―8.スワミ・ヴィシュッダーナンダ

  2―9.スワミ・アセシャーナンダ

  2―10.ボシ・セン

  2―6.一信者

3.マハーラージの教え


序言

 大悟した人の伝記を書くというのは、不可能ではないにせよ非常に困難なことである。そのような人の生涯は著しく内面的なのだ。もちろん、彼がある種の外面的な活動に携わり、世間を感銘させるような成功を収めることもあろう。しかし、このような活動や業績の全ては――彼が口で説き筆で記した教えをも含めて――彼の真の姿には遠く及ばないものであるし、それを表現し得るものでもない。

 普通の大学教授とか学者などは、自分が蓄積した学識の中から教える。このような人の学識は、その人物よりの遥かに偉大である。つまり彼は、最も高遠な真理を、それを自分の生活および経験の一部とはしていなくても、理論として教えるのだ。

 霊的な叡知の人も同様にこれらの知識を、しかし理論的にではなく自分の経験から、教える。しかしながら、言葉によるこれら知識の表現は、到底彼の内なる知識の広大さに匹敵するものではない。その知識は超越的なものだから、表現は不可能なのである。われわれは、相手を自分の心と感覚とによって知るが、この心と感覚は、真理を自覚した魂の姿をわれわれに示すことはできない。このような魂を十分に理解するためには、自分が霊的に啓発されていなければならないのだ。

 このような偉大な存在に身近に接すると、ある非常にすばらしいことが起こる。彼と共にいるというだけで、彼の内にひそむ偉大さを認めることのできる超感覚的な能力が与えられるのだ。マハーラージ(スワミ・ブラマーナンダはこう呼ばれた)は、われわれがそばにいるといつも、この力をわれわれに与えた。われわれの心は高揚し、彼の内性の片鱗を垣間見るのだった。しかしこのような瞥見は、ごく限られた程度のものだった。みずからもやはり大悟した魂であってシュリ・ラーマクリシュナの他の弟子たちは、マハーラージの中にわれわれ、すなわち彼の弟子たちが見た以上のものを見ていた、ということに、われわれは気づいていた。マドラスのラーマクリシュナ僧院の創立者であるスワミ・ラーマクリシュナーナンダ(シュリ・ラーマクリシュナの直弟子の一人)は、あるときそこにいる弟子たちにマハーラージを紹介して、「君たちの中には生前のシュリ・ラーマクリシュナに会った人はいない。しかし今、君たちはマハーラージに会っている。これは同じことなのだ」といった。またあるとき、一信者が聖廟のシュリ・ラーマクリシュナに献げようと果物を持参したところ、スワミ・ラーマクリシュナーナンダはそれをマハーラージに献げよとすすめて、「これをマハーラージに献げることはシュリ・ラーマクリシュナに献げるのとまったく同様の善事である」と言った。

 ある日、私は、マハーラージが私に言われたある事に承伏しかねて、ためらった。スワミ・シヴァーナンダ(シュリ・ラーマクリシュナの直弟子の一人。ベルル僧院の二代目の院長)がその時そこにいたが、彼は即座に同意した。私はそれを好まず、あとでスワミ・シヴァーナンダだけにそのことを話して、彼がマハーラージに対して盲従的であると多少非難した。スワミ・シヴァーナンダは笑って、こう言った、「私の息子よ、君たちはマハーラージの中にマハーラージしか見ていない。われわれは、マハーラージという外形の中の神しか見ていないのだ。マハーラージが君たちに向かって言われることは全部、直接神から来ているのだよ」

 この声明がただの無知な狂信者によってなされたものではなく、みずから真理を自覚した一個の魂によってなされたものであることを忘れてはならない。その真実性は当時の私にははっきりとはわからなかったが、後にマハーラージ自身と話をするうちに、理解しはじめ、信じるようになった。ある日、彼が私に、こよみを開いてマドラスを立つ吉日を見いだすよう命じた。私は命じられた通りにしたが、微笑を禁じることができなかった。マハーラージはこれに眼をとめて、何を面白がっているのか、と尋ねた。私は答えた、「はいマハーラージ、あなたはいつも、ご出発に先だって、吉日を選ぶというこのお決まりの手続きをお取りになります。しかし必ず、他の日に突然、出発のご決意をなさいます」と。これをきいてマハーラージが言った、「君は私が物ごとを自分の意志によって行っていると思うのか。信者たちは私の発つ日を決めてくれとせがむから、ただ彼らを納得させるために暫定的な日取りを決める。しかし私は、主の思し召しを知るまでは動きもしなければ何かをすることもしないのだよ」

 「それはあなたは、絶え間なく神のご意志に導かれている、とおっしゃるのでございますか」

 マハーラージ「そうだ」

 私「私も、自分は神の思し召しを行っている、と考えたり感じたりすることがありますが、実は自分自身の好みに従っているにすぎず、ただそれを神の思し召しのせいにしているだけなのでございます。これはあなたの場合とはちがいますか」

 マハーラージ「いや、息子よ、それは同じではない」

 私「それでは、あなたは実際に神を見、直接「彼」に語りかけ、そして「彼」の思し召しを知る、とおっしゃるのでございますか」

 マハーラージ「そうだ。私は、自分が直接神の思し召しを知り、「彼」が私に何々をせよとお告げになるまでは、待つのだ」

 私「何事をなさるときも、でございますか」

 マハーラージ「そうだ。自分のする一々の事について、私は神のお導きを頂いている」

 私「それではあなたは、神が受け容れよとお命じになった弟子だけに、入門をお許しになるのでございますか」

 マハーラージ「そうだ」

 この対談の後、私は彼の一風変わった行動の中にある意味を見いだすようになった。たとえば、われわれの中の誰かが彼に助言を求めると、彼が、「お待ち、今日は頭がはたらいていない」とか、「胃の具合が悪い。明日返事をしよう」とか言うのだった。時には、断固とした返事が与えられるまでに多くの明日が経過した。しかし、マハーラージが遂に口を開いたときには、彼の言葉に背後には常に特別の力がこもっていたのである。

 「彼はどの様にして神の意志を知るのだろうか。それを知る前にはいつもサマーディに入るのだろうか」 これが常に私の心を往来する疑問だった。しかし、私は彼に尋ねることは敢えてせず、何かの形で解答を得ることを希望して待っていた。ところがある日、私は一人の仲間と、シュリ・ラーマクリシュナの女の弟子「ゴーパールの母」の霊的ヴィジョンのことを論じていた。この婦人は、「ゴーパール」すなわち少年クリシュナが自分といっしょに遊んだり、自分と並んで歩いたり、自分を「お母さん」と呼んだりするのを常に見た、というのでこの名で呼ばれたのである。私は「ゴーパールのお母さん」のこのようなヴィジョンは超越的な世界に属するものである、自分は彼女が肉眼で実際にシュリ・クリシュナを見たとは信じない、という意見を発表した。自室にすわっていたマハーラージはこれを耳にした。彼は出て来て、皮肉な調子で、「ああ! 君はそれ程何もかもを知っているのだね!」と言った。

 「でもマハーラージ、どうして、肉眼で外界に神を見ることなどができましょうか」と私は尋ねた。

マハーラージはあっさりと、英語で次の宣言を行った。「物質が終わって霊が始まる境界線を私に見せておくれ」

 私は彼の言葉を、「霊の眼が開けると人はあらゆるとことにブラフマンを見るのだ」と解した。

 シャンカラの「ヴィヴェーカ・チュダーマニ」(識別の宝冠石)の中に出て来る、次のような彼の教えは、マハーラージの右の言葉をよく説明している −

 「無知の者はこのことを知らないが、我らが宇宙を知覚しているのは、不断にブラフマンを知覚しているのだ。実に、この宇宙はブラフマン以外の何ものでもない。あらゆる状況の中において、霊の眼(注。単数)と静寂なるハートをもって、到るところにブラフマンを見よ。肉眼がどうして、物質的対象以外のものを見ることができよう。大悟した人の心がどうして、実在以外のものを考えることができよう」

 ウパニシャッドの中に、「ブラフマンを知る者はブラフマンになる」と書いてある。人びとを神の人に惹きつけるものは何なのだろうか。老いも若きも、少年も少女も、成年男女も子供たちも、聖者も罪人も――全ての人が、たとえ「ブラフマンの知者」とはどういうものなのかまったく知らないでも、マハーラージには名状し難い魅力を感じた。

 はじめてマハーラージに会ったとき、私は十八才の少年だった。私は神についても神の自覚についても何一つ知らなかったのだが、長いこと別れていた非常に親しい友に会ったときのように彼に惹きつけられるのを感じた。私は生まれてこの方、まだこの様な愛を味わったことがなかった。それは父母の愛であり、友の愛であり、全部が一つになったものだった。誰もが同じ経験をした。私はあるとき、シュリ・ラーマクリシュナのもう一人の弟子であるスワミ・スボダーナンダに、マハーラージから放射される、全ての者を満足させる愛の理由を尋ねた。スワミは答えた、「神は愛だ。マハーラージは神を悟っておられる。それだから、彼は愛に満ちておらるのだ」と。

 心が純粋でなければ、または霊的精神を持っていなければマハーラージを愛することができない、というわけではなかった。最も堕落した性質の持ち主も彼の前に来るとこの愛を感じ、彼らの多くが聖者に変身した。マハーラージは、誰でもかれでもに向かって神とか霊的な問題とか、哲学的真理などについて語ったわけではない。彼はいわば、相手の人それぞれのレベルにまで降りて来るのだった。彼はその人間になった。彼は、相手が気づかないうちにその人を向上させる力を持っていた。その人は彼の面前を辞したとき、愛と純粋性とで洗い浄められているのだった。マハーラージのマハーラージにいるときには、人は完全に自分を忘れた。まるで悩みも悲しみもなく、人は人ではなくて神である、という別の世界にいるかのように感じた。説明することも理解することもできない、独特の歓喜にみたされた。

 マハーラージの態度は、気品があり、堂々としていた。彼は丈高く、体格良く、その顔は穏やかで喜びにみちていた。眼は深く、常に無限なるものを見つめているように思われた。彼に見つめられるといつも、彼が自分の性質の奥の奥をさぐっていることを、また、彼が自分の弱点や欠点を全部知っていることを感じた。しかしその眼は実に深い慈悲と愛とにみちていたので、この全部見透されていることは、気にならんかかった。われわれは決して、彼に知られることを恐れなかった。それからまたあるときには、彼の眼は大きく見開かれていても、まるでこの世界は彼にとっては存在しないかのように思われた。彼はまったく異なった世界に住んでいるように見えた。

彼の手足は美しい形をしており、独特の魅力を持っていた。その後姿は、驚くほどシュリ・ラーマクリシュナのそれに似ていた。スワミ・トゥリヤーナンダはあるとき私に、シュリ・ラーマクリシュナの没後何年もたってから、ベルル僧院の構内を歩くマハーラージを見て彼がそれをシュリ・ラーマクリシュナと間違えた、というこを話した。

 あるとき私は、混雑する停車場で、マハーラージを見ていた一人の男が友達に向かってこう叫ぶのをきいた、「あの男を見給え! どこの人だろう。マドラス人のようでもなし、パーシー教徒のようでもなし、ベンガル人のようでもパンジャブ人のようでもない。君に彼の生まれが分かるか」

 するともう一人が答えた、「いや、分からない。だが彼が神の人だということは、よく分かる」と。


幼年・少年時代

 スワミ・ブラマーナンダは一八六三年一月二十一日、ベンガル州カルカッタに近いシクラという村で生まれた。両親はアーナンダ・ゴーシュとケラシュ・カミニだった。母のケラシュ・カミニはクリシュナを信仰し、大方の時を祈りと礼拝と瞑想に過ごした。マハーラージは彼女の一人息子だった。クリシュナの信者であるから、彼女は息子をラーカール「羊飼いの少年」と名付けた。彼女はラーカールが五歳のときに没した。

 ラーカールは他の子供たちといっしょにいるのが好きで、あらゆる種類の遊びを楽しんだ。特に「お寺ごっこ」がすきで、母なる神の像を土でつくり、友達といっしょにこれを拝んだ。寺院の祭礼にはいつも聖職者の背後に席をとり、礼拝を見まもるうちに信仰の情熱にみたされて、ときどき母なる神の思いの中に没入してしまうのだった。

 アーナンダ・モハンは園芸を愛した。子供の時からラーカールは父といっしょに仕事をし、早くに彼から園芸の術を学んだ。彼はまた魚釣りがすきで、よく池の釣り糸を垂れ、辛抱づよく幾時間もすわっていた。晩年にも、われわれは彼がこの園芸と魚釣りという、二つの楽しみに対する幼時以来の情熱を、決して失っていないのを見た。

 少年時代から、彼は音楽の愛好者だった。母なる神やクリシュナを讃える歌を学んだ。彼と友人たちとはよく、マンゴーの林に入ってこれらの歌を合唱した。後年、彼は弟子たちに信仰の歌をうたうことをすすめ、彼の身辺にはいつも二、三の音楽の専門家がいた。彼の行くところでは必ず、主の賛歌がうたわれた。

 村の小学校を卒業するとラーカールは、中学校に入るためにカルカッタに来た。十二歳だった。この学校に付属して運動クラブがあり、彼はこれに非常に興味を持った。クラブ員は年若い少年たちで、後にヴィヴェーカーナンダと呼ばれるナレンがそのリーダーだった。このようにしてラーカールとナレンとは識りあったのだった。二人は同じ年で、大の仲良しとなった。後には二人とも、グハという人の指導するある体育館の生徒となった。

 この当時、ケシャブ・チャンドラ・センが、その力強い弁舌と熱心な信仰と、東西両洋の宗教に関する広い知識とによって、ベンガルの若者たちに大きな影響を与えていた。彼はブラーモ・サマージの指導者だった。神を父であると説き、人びとは兄弟であると説いた。いつも話の中に、ウパニシャッドとキリスト教聖書の両方を引用した。この新しい行き方は、当時のベンガルの知識階級に属する人びとの間に宗教への興味を復活させた。ブラーモ・サマージの教義は、神は唯一つであるという考え方だった。これはキリスト教の唯一の信条であり、同時にヒンドゥの聖典の中にも、他のさまざまの考え方と共に見いだされるものである。ケシャブはさまざまの神々や女神たちを拝むヒンドゥの信仰を多神教として非難したが、実は、これらの神々は唯一絶対のブラフマンのさまざまの相であるにすぎないのだ。彼は寺院に祠られる神像を拝むことに反対した。ナレンとラーカールはこの運動に参加し、その教義に同意の署名をした。

 ラーカールは学業には身を入れず、祈りと瞑想にのみ没頭した。「神は我らの父、まさに我らの身内なのだ。どうしたら「彼」に達しえるのか」 これが、彼の心を占める唯一の思いだった。後にシュリ・ラーマクリシュナは、彼のことをよくこう言った、「ラーカールは神への強烈な愛の心をもって生まれた。このような愛は普通は多年の、または幾生涯の修行の後にはじめて得られるものなのだ」と。ラーカールはきちょうめんにブラーモ・サマージの礼拝に出席した。神の啓示を願う祈りは、呼吸の動作のように絶え間なく続いた。

 ラーカールの学業の成績はあまり良くなかったので、彼が十六歳の誕生日を迎えた頃には父は少年の将来を心配した。彼は、息子の心を神に向けた青春の多感性が、この不勉強の原因だ、と考えた。結婚させたらもっと世間のことを考えるようになるだろう、と思った。資格を取って妻を養うことも考え、従ってもっと勉強するようになるだろう。そこでラーカールを、ヴィスウェーシュワリという少女と結婚させることにした。

 シュリ・ラーマクリシュナの偉大さを最初に公に説いたのはケシャブ・チャンドラ・センだった。信者たちが、師を訪ねようとドッキネッショルの寺院に群がりはじめた。その人たちの中に、マノモハン・ミトラとシャマ・スンダリ、つまりヴィスウェーシュワリの兄と母とがいた。ラーカールが結婚したときには、この二人はすでにシュリ・ラーマクリシュナの熱心な信仰者であり、彼をシュリ・チャイタニヤの生まれ替わりと仰いでいた。このように、結婚という世俗事の影響がケシャブの霊的影響力と結びついて、ラーカールをその将来の愛する師の足下につれて来る、ということになったのである。

 マノモハンが自分の新しい義兄弟であるラーカールをシュリ・ラーマクリシュナに紹介するのは自然なことだった。彼らが訪ねて来る少し前に、師は自分の将来の弟子に関する霊的ヴィジョンを見た。あるとき、シュリ・ラーマクリシュナは母なる神に、「母よ、私は自分の常住の伴侶となる者が欲しうございます。心が浄らかで深くあなたに帰依している少年をつれて来て下さい」と祈った。数日後に彼は、寺院境内のベンガル菩提樹(バンヤン樹)の下に立つ一少年の姿を霊視した。また別のときに、この同じ少年が別の形で現れた。師自身の言葉をかりると、「ラーカールが私の処に来る数日前に、母が小さな男の児を私の膝の上に置いて、『これがおまえの息子だ』とおっしゃった。最初私はびっくりした。『私の息子ですって?』母はお笑いになり、私が普通の意味の息子を持とうとしているのではなく、この子は放棄の最高理想を生活に実践するはずの、私の霊の息子なのである、ということを分からせて下さった」

 このとき以来ずっと、シュリ・ラーマクリシュナは熱心に、霊の息子の到来を待っていた。ラーカールが実際に到着する直前に、彼はもう一つのヴィジョンを見た。突然、彼は、ガンジスの河面に開いた一輪の、千弁の蓮華を見た。一々の花びらは、得も言われぬ美しさに輝いていた。その蓮華の上で二人の男の児が、足くびに飾り輪をつけて踊っていた。その中の一人はまぎれもないシュリ・クリシュナであり、もう一人は前のヴィジョンで見たのと同じ少年だった。二人のダンスはたとえ様もなく美しく、一々の動きで美の大海の泡がとび散るかのようだった。シュリ・ラーマクリシュナは恍惚状態に入った。

 まさにそのとき、一艘の舟がマノモハンとラーカールとをのせて到着した。シュリ・ラーマクリシュナはラーカールを見てろうばいした。「これは何ということか」 彼は思った。「バンヤン樹の下に立っていて子だ。母が膝の上に置いて下さった子だ。たった今、蓮華の上でシュリ・クリシュナと踊っているのを見たばかりの少年だ。これが、私が母にお願いをした、心の浄らかな伴侶なのだ」

 シュリ・ラーマクリシュナは、ひととき無言でラーカールを見つめた。それから、マノモハンに向かってにこやかに、「この子はすばらしい可能性を持っているよ」と言った。そのあとで、師はまるで旧友に対するように、しばらくの間ラーカールに話をした。

 「名は何と言うのか」と彼はたずねた。

 ラーカールは答えた、「ラーカール・チャンドラ・ゴーシュ」

 「ラーカール」という名を聞くと、シュリ・ラーマクリシュナは深く感動し、「ラーカール! ブリンダーバンの羊飼いの少年――シュリ・クリシュナの遊び相手だ!」とつぶやいた。

 それから、優しい、愛にみちた声で、「ぜひまた会いにおいで」と言った。

師の前で、ラーカールは特別な喜びの感情と、愛とそして強烈は魅力を感じた。寺の境内を出たとき、「ぜひまた会いにおいで」という、あの美しい声が胸の中でこだまし続けていた。

 ラーカールは家に帰り、学校に行ったが、師を訪ねたことが忘れられなかった。数日後、学校が終わってから、一人でドッキネッショルに行った。師は大層歓迎し、深い愛情をこめて、「なぜもっと早くこなかったのか。私は待っていたのだよ」と言った。ラーカールは何と答えてよいか分からなかった。師を見つめていると、前回と同じ、恍惚とする喜びがこみ上げて来た。彼は神、全ての者の父、の足下にすわる小児のように感じた。二人の関係は定まった。ラーカールはシュリ・ラーマクリシュナの中に父を見、母を見、神を見た。シュリ・ラーマクリシュナはラーカールの中に、神なる子供を見た。

 ラーカールの訪問は次第に繁くなり、時おりは幾日も寺で師といっしょに暮らした。ここにいる間は彼はまったく世間を忘れ、神の現在の意識に没入した。彼は自分を、神なる師の永遠の伴侶と感じた。

 この頃を回想してシュリ・ラーマクリシュナはよく、親密な弟子たちにこう言った、 「あの当時のラーカールの霊的ムードは言い現し様がない。ほとんど常に、恍惚状態の中に生きていた。常に神とのつながりを意識し、母の腕の中で一切を委ねた赤子のようだった。彼がそばにいると、私ももっと高い霊的意識の中に運ばれた。私はいつも、ちょうど、神なる子供クリシュナと遊んだ神なる母ヤショダのように、彼といっしょに遊んだ」

 ラーカールの父親はさまざまの方法で、息子の心を世間の生活への興味に引き戻そうとして、ドッキネッショルに行ってはならぬときびしく命じた。忠告も威嚇も効き目が無いと知ると、彼はラーカールを家の中に閉じこめた。ラーカールは師のもとに行きたいと熱望し、シュリ・ラーマクリシュナは熱心に、ラーカールの霊的過程に横たわる生涯が除かれるよう、母なる神に祈った。

 ある日、アーナンダ・モハンはラーカールを書斎の自分のそばにすわらせ、自分はある法律関係の書類に眼を通していた。ラーカールは、父が仕事に深く心を打ち込んだのを見るや否や、その機を逃さず部屋をぬけ出して師のもとに走った。

 アーナンダ・モハンは、ラーカールはシュリ・ラーマクリシュナものとに行ったに違いないと思ったが、ある訴訟事件のため法廷に出なければならないので、数日間はどうすることもできなかった。しかしひまができるとすぐ、息子をつれ帰るつもりでドッキネッショルに行った。父親がやって来るのを見ると、ラーカールは恐れて隠れようとしたが、シュリ・ラーマクリシュナはそれを許さなかった。そこでラーカールは、師の忠告に従い、父に会って、非常に深い愛情と尊敬の念をこめて挨拶した。アーナンダ・モハンが心を変えたのはこのときだった。もはやラーカールの帰宅を強要せず、ただ、少年をときどき、自分のところによこして下さるよう、シュリ・ラーマクリシュナに懇請した。.......................


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