スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思い出(3)
私がみたスワミ・ヴィヴェーカーナンダ
シスター・クリスティン

   

サウザンドアイランド・バークの弟子たち(その二)

 その年の冬中、仕事はつづけられた。そしてシーズンが終って初夏に入ったとき、この信仰深いグループは講義が中断されることを欲しなかった。彼らの中の一人が聖ローレンス河畔のサウザンドアイランド・パークに一軒の家を持っていた。一同がそこで夏をすごすことが節に提案された。彼は同意した、彼らの無音曲に動かされて。彼は、ある友だちに、クラスという素材の中から二、三の「ヨーギ」を造りたいと思っている、と書いた。彼は今や自分の仕事が本当に始まったと感じ、サウザンドアイランドまで自分についてくる人々は自分の本当の弟子であると感じたのである。一八九五年五月、彼はオーレ・ブル夫人にあててこう書いている。

 「今週が私のクラスの最後の週になるでしょう。私は来週の土曜日、レゲット氏と一緒にメイン州にいくつもりです。氏はそこに美しい潤と森を持っています。私は二、三週間そこに滞在し、そこからサウザンドアイランドにいきます。私はまた七月十八日、カナダのトロントで開かれる宗教会議に話をするよう招待されています。サウザンドアイランドからそこへ出掛け、また戻ってきます」また六月七日には、「私はレゲット氏と共に遂にここにきました。ここは私がかつて見た神で最も美しい場所の一つです。丘にかこまれ、うっそうとした森林に覆われたひと気のない潮を思い浮かべて下さい。実に美しく、静かで、心がやすまります。都会のさわがしさにもまれたあとで私がどんなに喜んでいるか、あなたにはおわかりでしよう。ここにいると寿命がのびるような気がしました。私はひとりで森に入ってギーターを読み、全く幸福です。私は十日ぐらいでここを去り、サウザンドアイランドへいきます。私はここで何時間も何日間も瞑想し、しかもその間たった一人でくらすでしよう。ここ思うだけで心が高まります」六月初句、サウザンドアイランドには、彼と共に三四人のものが集まり講義はすぐに始められた。私たちは一八九五年七月六日の土曜日にやってきた。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは既にそこに集まってきていた数人のものに月曜日入門式を授けることを計画していた。「私はあなた方が入門式を受ける用意ができていると確信するほどあなた方をよく知っていない」と、日曜日の午後に彼は言った。それから、すこしはにかみながらこう付け加えた。「私はまれにしか使わない一つのカを持っています。あなた方の心を読むカです。もし御異存がなければ、私はあなた方の心を読みたい。明日、他の人たちと一緒にあなた方に、入門式を授けたいからです」私たちは喜んで同音心した。彼はその結果に満足した様子であった。翌日、他の数人と一緒に私たちにマントラを授け、私たちを彼の弟子にした。後に、私たちの心を読んでいる間に何を見たかを尋ねると、彼はすこしばかり話した。彼は私たちが信仰深いということと、その霊的生活において進歩をするであろうということを見たという。彼は、見たもののうちの二、三について述べた。おのおのの画面に解釈は与えないで。たとえば彼の心の眼の前に、東洋の諸国に広範囲な旅行がおこなわれることを意味する光景がつぎつぎに現われたそうである。彼は、私たちが住む家、私たちをとりかこむ人々、私たちが受けるさまざまな影響まで描写した。私たちはこの力について彼に質問した。彼は、これは誰でも獲得できるものだと答えた。その方法は、話すだけなら簡単であった。まず、空間を考える−I広々とした、青い、四方に無限にひろがる空間を。やがてこの空間をじっと瞑想しているうちに絵が現れる。これを解釈しなければならない。ある場合には、人は絵は見るがそれを解釈するすべてを知らないのである。彼は、私たちのどちらかがインドとかたく結ばれるのを見た。重要なことも些細な事柄もいろいろ予言されたが、それらはすべて実現している。この霊読では、人格の素質も啓示された。気性、能力、性格などである。この試験に合格したのであるから、もう自己軽視、自己に対する不信などがあるはずはない。果かない疑いはすべて静かな自信と入れ替えられるのである。この人格はこの世の唯一の存在から承認の印を受けたのではないか…

 サウザンドアイランド・パークは、長さ九マイル、幅一・二マイルで、サウザンドアイランズ(諸島)の中で最も大きい。気船は河べりにある村に到着する。当時、島の他の部分は全く淋しかった。私たちが案内された家は、村から一マイルばかり昇ったところにあった。それは岩の上に建てられていた。このことは象徴だったのだろうか。家は前面が二階建てで後部は一二階建てになっていた。深い森がそれをとりかこんでいた。人里はなれていながら、生活物質は手に入れることができた。どの方向に散歩しても人には逢わなかった。時々、スワミジーはランツベルクと二人だけで出掛けた。時には私たち一人か二人に一緒についてくるように言った。しばしば全員が一緒に出掛けた。歩きながら彼はいろいろ話をした。議論的なことは殆んど話さなかった。孤独と森林がインドの森ですごした過去の経験を想い出させたのであろう。彼はそこでさすらいの旅をした頃の内面的経験について語った。私たちはこの隠遁生活で、たまに面会に来る人々を除いては殆んど人に逢わなかった。この環境は私たちの目的にとっては理想的であった。このような場所がアメリカの中にあるなどとは信じられないことであった。なんという偉大な思想がそこで語られたことであろう。なんという素晴らしい雰囲気がかもし出され、なんというカが生み出されたことであろう。そこで師は、彼の最高の飛翔の幾つかを経験し、そこで彼はそのハートと心を私たちに示した。私たちは思想が展開し、花咲くのを見た。その後につづく幾年かのうちに実際の施設にまで成長した多くの計画が生まれ育つのを見た。それは祝福された経験であった――ワルドー嬢に「私たちはこれを受けるに値いする何をしたというのだろう」と叫ばせたほどの経験であった。私たちもみなそのように感じた。最初の計画は、彼らが一つの共同体として、召使を使わず、各自がその分担を受けもって生活するというごとであった。彼らの殆んですべてが家事には不慣れであり、不向きであるということが分った。その結果は面白かった。時が経つにつれて、それはやっかいなことになろうとした。「ブルック・ファーム」の物語をたまたま読んでいた私たちのあるものは、自分たちがそれをここで再演しているように感じた。エマーソンが先験主義者たちのあの共同生活体に参加することを拒否したのは不思議なことではない。彼の静けさは明らかに高い代価を払って手に入れたものだったのである。ある者は皿を洗うことができるだけだった。バンを切ることがその義務である他の者は、その仕事にかかるといつもうめいて泣きだした。こうした些細な事柄で人の性格がこんなにもはっきりと試されるのは奇妙なことである。普通のつき合いでは一生かくされていたかも知れない弱点が、この共同生活のたった一日の中でさらけ出されるのだった。それは興味深かった。スワミジーにあってはその効果は全く違っていた。彼らの中の一人だけが彼よりも若かったのであるが、彼は父のように、また忍耐づよくやさしい母のように見えた。緊張があまりに大きくなると、彼は極度のやさしさをこめて「今日は私が皆さんの食事をつくりましょう」と言った。これをそばできいてランツベルクは叫ぶのだった。「天よ、我らを救い給え!」その理由は彼の説明によると、ニューヨークでスワミジーが料理すると彼、ランツベルクは後になって家中の皿を洗わなければならなくなり、われとわが髪の毛をかきむしったのだそうである。

 この共同体の家事で数週間の不幸な経験をしたあと、外部から助手がやとわれ、一、二のやや能力のあるものが若干の責任をもつことになったので、私たちにはまた平和が戻って来た。しかし、ひとたび必要な仕事が終って私たちが教室に集まると、雰囲気は変った。この部屋の中には不穏な要素は一つもなかった。私たちは、肉体と肉体の意識を外に置いてきてしまったかのようであった。私たちは半円形を描いて坐った。そして侍った。今日は「永遠」に到る何れの門が私たちのために開かれるであろうか。天上のいかなる光景が私たちの眼前に現われるのであろうか。そこにはいつも冒険に似たスリルがあった。「まだみぬ国」「悲しみのない国」が希望と美の新しい展望を開いた。それでも、私たちの経験はいつも期待をうわまっていた。ヴィヴェーカーナンダの飛翔は私たちを彼と共に天上の高みへ導いた。その後、どの程度の悟りを私たちが得たか、または得なかったかは別として、私たちはこの一事だけは忘れることができない。私たちは「約束された国」を見たのである。私たちもまたピスガ(死海の北端東にある山、モーゼが死の直前、この山頂から約束の地カナーンをはるかに望見したという)山頂につれて行かれたのである。その後は私たちにとって、この世の悲しみや試練は完全な真実感を伴わなくなった。

 彼は、美しい庭園とそれを見た人の物語りをした。ある人が行って塀ごしにこの庭園をみて、それが余りにも魅惑的なので遂にその塀を越えた。彼は二度とは戻ってこなかった。彼のあとに同じ人がつぎつぎとつづいた。しかしある人は、塀ごしにのぞいて同じくそれが非常に魅力的であることを見出したが、大きな慈悲心からあとにとり残された人々に告げて彼らがその塀を乗りこえる手助けをしようと戻ってきた。私たちは、その人を師と仰ぐという、かけがえのない幸福に恵まれているのである、と。こうして、その話は朝から夜中までつづいた。彼は自分の与えた印象がどんなに深いかを見た時、ほほえみを浮かべて言うのだった。「コブラがあなた方をかんだ。あなた方は逃げることができない」また時には「私はあなた方を網の中につかまえた。あなた方は逃けだすことができない」と言った。

 この宿主であるダッチャー嬢は、良心的な小さな婦人で、献身的なメソジストだった。彼女がこの夏彼女の家に集った人々のようなグループとどうしてかかわりを持つようになったかということは、誠実な魂たちをひきつけ保持するスワミ・ヴィヴェーカーナンダの力を知らないものには謎であったろう。しかし、ひとたび彼に接し、彼の声をきいた人が、彼に従わずにいられたであろうか。彼は「神」、人が失われた王国に掃りつくまで彼を呼び戻しつづける「神」の化身、だったのではないか。しかし、その道はきびしかった。そして宗教の慣習や伝統にしばられているものにとってはしばしば恐るべきものだった。彼女にとって、自分の一切の理想、一切の価値観、宗教観は破壊されてしまったように思われた。ほんとうは、それは修正されただけだったのである時には、彼女は二日も三日も姿を現わさなかった。「分りませんか」とスワミは言った。「これは普通の病気ではありません。それは彼女の心中におこっている混乱に対する肉体の反応です。彼女はそれに耐えることができないのです」最も激しい発作がある日、彼の講義内容に対する彼女の内気な反抗の直後におこった。「義務の観念は、魂をやきつける真ひるの大腸にも似た不幸です」と彼は言ったのであった。「私たちの義務は……」と彼女は始めたが、それ以上先へは進めなかった。人の魂にかせをつけて敢て束縛するという思想に反旗をひるがえして、この偉大な自由な魂は一切の束縛を破ったのである。ダッチャー嬢は数日間現われなかった。こうしてこの教育方法は進んでいった。グルに対する信仰が深ければむずかしいことはなかった。その場合、人は蛇のように古い皮を捨てて新しい皮をつけるからであった。しかし、古い偏見や慣習が信仰よりも強い場合には、それは恐るべき、そして殆んど破壊的な方法であった。
 


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