スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思い出(1)
私がみたスワミ・ヴィヴェーカーナンダ
シスター・クリスティン

 

 時折、長い時の経過をおいて、一個の生命がこの地球にやって来る。彼は疑いもなく他の天体からやって来たたび人である。彼は悲しみにみちたこの世界に、自分がやって来た遥かに遠い領域の栄華、力、光輝の幾分をもたらす。彼は人々の間を歩きまわるが、ここではくつろげない。彼は一人の巡礼者であり、一人の異国者である。彼は一夜しか滞在しない。

 彼はまわりの人々と生活を共にする。彼らと悲喜をわかち合う、彼らと共に喜び、共に悲しむ。しかしそのあいだ中、彼は自分が誰であってどこから何のために来たのであるかを決して忘れない。自分の神性を忘れることがない。自分が偉大な、光り輝く、高貴な「自我」であることを憶えている。自分が、光の中の光によって輝いているために太陽も月も必要としないかの言語に絶する至高の領域からやって来たものであることを知っている。「すべての神の子が歓喜の合唱をした」時よりずっと前に、すでに自分が在ったことを知っている。

 そのような人を、私は見、きき、崇めたのである。その人の足下に、全霊を捧げて帰依したのである。そのような生命は、一切の比較を絶している。通常の標準や理想をすべて超越している。他の者たちは才気従横であろう。彼の心は輝いている。彼にはあらゆる知識の源泉に自己を直結させる力があった。彼はもはや普通の人間がたどりつつある遅々とした過程にはしばられない。他の者たちは偉大であろう。彼らは同類者と比較してのみ偉大なのだ。他の者たちは善良であり、力があり、才能があるであろう。同輩者と較べてより多くの善、力、才能を持っているのだ。これは比較の問題にすぎない。聖者は普通の人間よりも、より尊く、より清く、より純真である。しかし、スワミ・ヴィヴェーカーナンダにあっては、比較というものは不可能であった。彼はみずからが一つの等級であった。別の秩序に属していた。この世界のものではなかった。他の高級な領域から一定の目的を持って降りて来た輝ける存在であった。彼がこの世に長くとどまらないことは予想し得ることだった。

 自然がそのような者の誕生を喜び、天が開き、天使が賛歌を唱うのは不思議なことだろうか。

 彼が生れた国は恵まれている。この世に彼と同時代に生きた者は恵まれている。そして彼の足下に坐した少数のものは、更に非常に恵まれている。

 

師とその言葉

 人生が死のようにじっと澄んだ単調な流れの中に過ぎゆく時がある。食事、睡眠、談話――と同じことの退屈なくり返し、ありきたりの考え、型にはまった思想、いつ果てることもない単調な仕事、悲劇がやって来る。一瞬、それは私たちに衝撃を与え、私たちを静止させる。しかし、私たちは静止したままでいることはできない。回転木馬は私たちの悲しみのためにも幸福のためにも停止しない。確かにこれが人生にあるすべてではない。これがこの世における私たちの存在理由ではない。不安が来る。私たちは何をまち望んでいるのか。すると、ある日私たちが長い間まち望んでいた素晴らしいことが起る。それは死のような単調さを追い払い、全人生を新しい径路に誘導し、そして遂には私たちを遠い国に導き、異なる習慣と異なる人生観をもつ異国の人々――私たちが初めから不思議な親近感を覚える人々、自分が何を求めているかを知り、人生の目的は何かということを知っている素晴らしい人々の間に連れていく。私たちの不安は永遠に静まるのだ。

 多くの生れ替りの後に、また数えきれないほどの苦しみ、戦い、征服の後に実が結ぶ。しかし、人はこのことをずっと後になるまで知らない。小さな種子は強力なバンヤン樹に成長する。なだらかな平地にある二、三尺の盛り上りが、小川が北に流れて最後に合い北極海に達するか、それとも南に流れて黒海、あるいはカスピ海の暖い水に流れこむか、を決定する。

 一八九四年二月のある寒い夜、私はデトロイトのユニテリヤン教会で開かれる講演会に出席するために不承不承家を出たが、その時私は、自分がこれからわが人生の全コースを変えるようなこと、自分が知っていた今までの基準では測り得ないほど極めて重大なことをしようとしているのだ、とは夢にも思わなかった。当時、講演会に出席するということは死ぬほど単調なしきたりの一つだった。新しいことや心の高まる話を聞くことはどんなに稀であったろう。その年の冬、デトロイトに来た講演者たちはひどく退屈であった。幻滅が毎度のことであったので、人は希望を失い、それと一緒に、間きたいという願いも失っていた。それゆえ私はほんとうにいやいやながら、私の友人マリー・C・フンケ夫人のたっての願いをことわりきれないで、「ヴィヴェーカーナンダというインドから来た僧侶」の話を聞くために此の特定の講演会に出席したのであった。フンケ夫人はほれぼれとするような楽観的な人で、常に幻を抱きつづけ、いつかは「かの何ものか」を見出すであろうと尚信じていた。私たちは此の「インドから来た男」の話を聞くために出かけた。今日までの無数の過去世において私たちがこれほど画期的な一歩をふみ出したことはなかったにちがいない。彼の話を五分ときかないうちに、私たちは自分が長い間探し求めていた基準というものをやっと見出したことを知ったのである。私たちは異口同音に叫んだ。「この機会をのがしていたら……!」

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダの風采について多くのことを耳にしておられる人々は、最初につよい印象を与えたのはこの風采ではなかった、というと不思議に思われるであろう。壇上に登って来た力づよい男性的な姿は、西洋においてふつう霊性を連想させる痩せこけた苦行者タイプとは似ても似つかぬものだった。ひよわい聖者なら誰でもなるほどと思うが、力の強い聖者などというものは誰もきいたことがなかった。この神秘な存在から放射する力は非常に大きかったので人は尻ごみせざるを得なかった。それは圧倒的であった。眼前にある一切のものをひっさらうおそれがあった。人は、これをあの最初の忘れ得ぬ瞬間において感じたが、後に、私たちはこの力が実際に働くのを見ることになったのであった。最初に力づよく訴えてきたのは心――かの驚嘆すべき心であった。その雄大さ、華やかさ、壮麗さをほんのすこしでもほうふつさせるにはなんと言えばよいのだろうか。

 それは他の人々の心を、天才といわれる人々の心さえをも遥かに抜きんでていたので、まるでちがう性質のものであるかのように見えた。その思想は非常に透徹しており、非常に力づよく、また非常に先験的であったので到底一個の限定された人間の知性から発し得たものとは信じられなかった。しかし、その思想は素晴らしく、驚嘆すべきもので、その心から流れ出るあの目にみえない何ものかは驚異であったが、同時にそれらはみな不思議に私たちに親しみ深いものであった。私は自分が「あの心はずっと以前から知っている」とひとりごつのをきいた。彼は太陽の光線をとらえて一点に集中したかと思われる赤い金色の炎に包まれて私たちの前に立った。まだ三十そこそこであった。このインドからはるばるやって来た説教師は。永遠の青春によって若々しく、古代の叡智によって老成していた。私たちは生れてはじめてアートマン――「真我」を説くインドの古代の教えに接した。

 聴衆は、彼が美しいカシミールの肩掛けのように輝かしく色彩ゆたかな織物をおりなすあいだ中、魅せられたようにきき入っていた。ある時はひとすじのユーモア、またある時は一片の悲劇、またある時は多くの真剣な思想、憧憬、高貴な理想主義、叡知。これらすべてを通してインドの最も神聖な教えの横糸が走っていた。人間の神性。人間の生れながらの永遠の完全性。この完全性は育成されるものではなく、また徐々に獲得されるものでもない。いま此処にある現実の姿である。「汝はそれである」あなたがたは、いま、それなのである。それを実現する以外に何もすることはないのだ。この実現はまばたきの間にやって来るかも知れない。数百万年後に来るのかも知れない。しかし、「すべてのものはこの太陽に輝く高地に達するのである」私たちは自分が考えているような頼りない限定された存在ではない。生れもしなければ死にもしない、不滅の、浄福にみちた栄ある神の子である。古代の聖賢のように彼もまた、たとえ話によって話をした。話題はいつも同じであった――人間の本性について、私たちの見せかけの姿ではなく、真実の姿である、私たちは金鉱の上を歩きながら自分は貧乏だと思っている人たちのようなものである。羊小屋に生れたので自分が羊であると思っていたあのライオンのようなものである。狼が来た時、彼は自分の本性を知らないで、恐ろしさのあまり羊のように啼いた。ある日、一匹のライオンがやってきて、彼が羊の中でメーメーと啼いているのを目撃し、彼に向ってこう叫んだ。「お前は羊ではない。ライオンだぞ、恐れることはない」ライオンは直ちに自分の本性に気がつき、力強くほうこうした。彼はユニテリヤン教会の説教壇に立ち、きいたこともないような声、韻律にみち、あらゆる感情を吐露する声で壮麗な真理を語りつづけた。誰ものぞき見たことのないような悲劇の深淵をかきたてる哀感をもって語るかと思うと、苦しみが堪えがたくなる頃にその同じ声が突然相手を陽気に導く。しかしそれは、相手を畏怖に打ちのめすほど強烈な熱情のかみなり、覚めよと呼びかけるラッパの声によって、たちまち中途でさえぎられるのであった。人は、この驚嘆すべき声を聞くまでは自分は音楽を全く知らなかったのだ、と感じた。

 当時彼の講演に出席した私たちの中の誰が、インドのあの古い教えの言葉をきいた時の魂の感動を忘れることができよう――「聞け、汝ら不滅の浄福の子らよ、天国にすむものまでも。われは『永遠の一者』を見出した。彼を知ることによってのみ汝らはまたふたたび救われるのである」そしてライオンと羊の物語。祝福された真理! 羊の声、臆病、恐怖にもかかわらず、あなたがたは羊ではない、常に、強力な恐れを知らぬ百獣の王、ライオンであったし今もあるのだ。あれは克服さるべき一つの幻にすぎない。あなたがたはいまそれなのである。こうした言葉と共に、人を純粋で稀有な雰囲気へ徐々に高めていく微妙な力、影響力がやって来るのであった。これをきき、かつ肌に感じてなお同じ人間でいるということができようか。人の一切の価値観は変ぼうせしめられた。年ごとに成長してついには実を結ばずにはいない霊性の種子が蒔かれたのだ。確かに、この崇高な教えは年老いて霜のように白い。ヒンズーの男女は一人のこらずそれを知っているのかも知れない。多くの人々がそれをはっきりと系統をたてて述べることができるのであろう。しかしヴィヴェーカーナンダはそれを権威をもって語った。彼にとって、それは思弁哲学ではなく「生きた真理」であった。他のすべては間違いかも知れないが、これだけは真実であった。彼はそれを自覚したのだ。みずからの偉大な自覚の後、人生は彼にとって一つの目的しか持たなかった――自分に托された神託を世に与えること、進むべき道を示して唯一至高の目標への途上にある人々を助けることであった。「立て、めざめよ。目標に到達するまで立ちどまるな」

 こうしたすべてのことを人は、彼の光り輝く雰囲気の中に自分の心が吸収されてしまったあの忘れられぬ最初の時に、多かれすくなかれ莫然と感じた。後に、徐々にそして時には痛いほどつよく、もっとも多くの努力と献身を経て、私たちのある者は自分の心そのものが変ぼうしていることを見出したのである。師は偉大である!

 ユニテリヤン教会における彼の最初の講演をきいた人たちは他の人々をつれて二回目、三回目の講演にもやって来た。彼らは言った。「来て、この素晴らしい人の話をまあ、きいてごらん。私たちが今までにきいたこともないような人です」そして、彼らは立錐の余地がなくなるまでやって来るのであった。彼らは部屋を一杯にうずめ、廊下に立ち並び、或いは窓から覗くのであった。くりかえし、くりかえし、彼は教えを説いた。今日はこの形で、あすはあの形で、またある時はラーマーヤナやマハーバーラタの物語を、あるいはプゥラーナや民話を引用して説いた。ウパニシャッドを彼は絶えず引用した。初めにサンスクリットの原語で朗読し、次にそれを自由詩に訳した。彼が語る言葉は大きな印象を与えた。しかし、彼の朗読はそれよりも更に大きな効果を生み出した。底知れない深淵がかき立てられた。そして韻律が耳に響きわたると、聴衆は坐したままうっとりと息をひそめた。インドに対する私たちの愛情は、彼があの驚嘆すべき声で「インド」という言葉を発するのをきいた時に生れたのだと思う。五文字からなるこの短い言葉にあれほどの意味を含ませることができたとは、まったく信じがたいことである。そこには愛、情熱、誇り、憧れ、崇敬、悲劇、騎士道的精神、郷愁、そして再び愛があった。あらゆる書物をもってしてもこのような感情を人に抱かせることはできないであろう。それは、きく人の心に愛をはぐくむ魔術的な力を持っていた。この後でさえも、インドは私たちの憧れの国になった。インドに関する一切が――インドの国民、歴史、建築、風俗習慣、河川、山、平原、文化、偉大な霊的思想、聖典――が私たちの興味をひき、私たちにとって生きたものになった。こうして新しい生活、研究と瞑想の生活が始まった。興味の中心が移ったのである。

 宗教会議に出席したあと、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはポンド講演会事務所(この事務所の名称を確認することは難しい――出版社)の指示に従って米国を講演旅行することにした。こちらの習慣に従って訪問先の町の世話役が「人間の神性」「インドの風俗習慣」「インドの女性」「われらの遺産」などという幾つかの題目の中から一つを自由に選ぶのであった。知識階級の全く存在しないような鉱山町がかえって一番難解な題目を選んだ。彼は、知恵の光の反応が全く認められないような聴衆に向って話をすることがどんなに難かしいかを私たちに語った。こうして毎晩講演し、夜中をかけて旅するようなことを数週間つづけたあと、この束縛は彼にとってもはや耐えられぬものとなった。デトロイトには彼を知り、彼を愛し、彼を尊敬する友人たちがいた。彼は彼らのもとに行き、「私を自由にして下さい! 私を自由にして下さい!」と懇願した。彼らは有力な人々だったので、彼をこの契約から解き放つことができた、不公平な金銭的条件の下にではあったが。彼はこのようにして得た資金でインドで仕事を始めるつもりだったのである。しかし、これが彼の活動の唯一の理由ではなかった。彼を促し、また彼の心を去ることのなかった推進力は、師から托された使命であった。彼にはなすべき仕事、世に与えるべきメッセージがあった。それは神の託宣であった。どのようにして与えるべきか。デトロイトに到着するまでに、彼は講演会がこの自由に適さないことを知った。そして自分の目的にかなわぬことには自分の時間を一時間たりとも浪費すまいと思った。彼は六週間デトロイトに滞在した。心はひたむきにこの目的に注がれていた。講演会は時たま行われた。私たちは彼の講演を一つもかかさなかった。幾度も幾度も私たちは「自我の素晴らしい福音」をきいた。幾度も幾度もインドの話をさまざまな観点からきいた。私たちは自分の師を見出したことを知った。その頃グル(師)という言葉を私たちはまだ知らなかった。彼に個人的に面会したこともなかった。しかしそれがどうしたというのか。私たちが師から学んだことを消化するには数年もかかるだろう。そしてそれからまた師が何処かでどうにかして現われ、私たちを再び教えるにちがいない。
 


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