不滅の言葉 98年2号

ホーリーマザーのもとで(9)

スワミ・アルパーナンダ


ホーリーマザー(シュリ・サラダデーヴィ)

部分

ウドボーダン

    一九一二年六月二五日

  

 朝、マザーは聖所に隣接する部屋の寝台のそばに座り、私たちと話をなさった。

 弟子「ある人たちは、修行僧(ラーマクリシュナ僧団の)がセヴァシュラム(奉仕の家)や診療所で働いたり、本の販売や経理などで心を煩わすことはよくない、と言っております。師はそのような活動をなさいませんでした。神の悟りへの渇仰を抱いて僧団に加わった求道者たちにそのような仕事が押しつけられています。もし人が何かをしなければならないとすれば、それは聖所での礼拝や瞑想や唱名や信仰の歌を歌うことではありませんか? その他の活動は人を欲望に巻き込んで神の道から逸らしてしまいます」 

 マザー「そんなことを言う人に耳を貸してはいけません。もし仕事をしなければ、昼も夜も、あなたは何をするというのですか? 瞑想や唱名を二四時間することができますか? あなたは師のことに言及したけれど、彼の場合は特別ですよ。マトゥールがきちんと彼に食事を提供していたのですからね。あなたは何らかの仕事をしているからこそ、食べ物を得ることができるのです。そうでなかったら僅かな食糧をもとめて、戸口を一軒一軒歩き回って施しを乞わなければなりません。きっと病気になるでしょう。それに、今どき修行僧に施しをする人がどこにいますか? そんな言葉に決して耳を傾けてはなりません。師の思召しのとおりにやりなさい。この僧院はこのやりかたで運営されます。それに従うことができない人たちは僧院を去ることでしょう。

 「ある日マニ・マリックがある修行僧を訪れて、師に報告しました。『ところで』と師がお尋ねになりました、『彼のことをどう思ったかい?』 『はい』とマニは答えました、『私はその修行僧に会いました。でも……』 『でも……、何だね』 『彼はお金ばかり欲しがりました』 『いくら欲しがったというのだ? おそらく煙草を吸うための僅かな金ではなかったのか? おまえはギー(*バターの一種)や牛乳やマットレスや、そんなもろもろの物を必要としている。そしてその修行僧は煙草のための一パイサを欲しがる。彼らはそれさえ貰ってはならないというのか?』

 弟子「快楽は欲望からのみもたらされます。人は四階建ての家に住んでも、欲望がなければそれをほんとうに楽しむことはありません。そして人は木の下に住んでいても、欲望があるなら、そこにさまざまな歓びを見出すでしょう。師は『親戚がひとりもいない者がいたとしても、マハーマーヤーは彼に猫を飼わせて、彼を世俗的になさる。それが彼女の御遊びである』とおっしゃいました」

 マザー「そう、すべて欲望によるのです。欲望を持たないものにどんな束縛があるでしょう? ねえ、私はこれらすべてのものに囲まれて暮らしているけれど、執着はまったく感じないのですよ。これっぽっちもね!」

 弟子「ほんとうにあなたは欲を持っておられません。しかし私たちの心にはどんなにたくさんのつまらない欲望が現れることでしょう! どうやってそれから逃れることができるでしょうか?」

 マザー「あなたの場合、それらはほんとうの欲望ではありません。何でもありませんよ。それらはあなたの心に生じては消える単なる好みにすぎません。現れたり消えたりすればするほど、それらはあなたのためになりますよ」(一)

 弟子「昨日私は、神が保護を約束してくださらないかぎり、自分の心と闘うことなどできはしないだろう、と思いました。一つの欲望が消えたかと思うと、もう別の欲望が頭をもたげているのです」

 マザー「エゴがあるかぎり欲望は残ります。でも、その欲望があなたを害することはありません。師があなたをおまもりになるでしょう。師の御足のもとに保護をもとめ、なにもかも放棄して彼に避難して、正しい生涯を送ろうと願う者を彼がお守りにならなかったとすれば、それは彼の側の重大な罪です。あなたは彼への帰依の精神をもって生きなければなりません。それがあなたにとって良いことであろうと悪いことであろうと、彼の思召しのまま、彼がなさるままに自分をおまかせするのです。ただし、あなたは正しいことだけを努めて行うようにしなければなりません、そしてそれも彼がお与えになる力によってなされるのです」

 弟子「ああ、お母さん、私はそれほど自分を師に捧げ尽くしてはおりません。ときどき私は少しは自分を彼にゆだねていると感じますが、次の瞬間にはその思いは消えてしまいます。もし彼がおまもりくださらなければ、私たちはどうすればよいのでしょう? ときどき思うのですが、あなたが生きていらっしゃるからこそ、私たちは自分の危険や困難をあなたにお話しすることができますし、あなたのお顔を見て安心することができるのです。あなたが去ってしまわれたら、いったい誰が私たちをまもってくださるでしょうか? あなたが保証してくださるなら私は安心できるでしょう」

 マザー「わが子よ、心配することはありません。何もこわがることはありません。あなたは妻や子供と世俗の生活をすることはないでしょう。そのようなものを持つことはないでしょう。何を恐れなければならないの? そのうち、私が死ぬまでには、あなたは霊性の生活のしっかりとした基盤を築くことができるでしょう」

 弟子「もし神が慈悲深い眼差しを私たちに投げかけてくださらなければ、ジャパや苦行が私たちに何をもたらすでしょう? 彼がおまもりくださってはじめて、私たちはまもられるのです」

 マザー「何もおそれることはありません。師がきっとおまもりになります。心配いりませんよ」......................

 


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