不滅の言葉 98年1号

ホーリーマザーのもとで(8)

スワミ・アルパーナンダ


ホーリーマザー(シュリ・サラダデーヴィ)

部分

   ウドボーダン、礼拝室、

    一九一二年四月、午前七時

 スレンドラ・チャクラヴァルティ氏は数日前に夫人とともにマザーを訪れていた。数日後、彼は一人でやってきた。彼はマザーの前にひれ伏して、「マザー、私たちだけが師のヴィジョンを拝することができません」と言った。

 マザー「時がくれば拝することができるでしょう。これがあなたの最後の生涯です。ニヴェーディタは『マザー、私たちは二人ともヒンドゥ教徒です。でもカルマのためにわれわれはキリスト教徒に生まれたのです』と言いました。彼女たちにとってもこれが最後の生涯です」

 マザーはしばしば大勢の人々に、これが最後の生涯である、とおっしゃった。そこで私はこの日、マザーにそのことをお尋ねすることにした。

 弟子「マザー、『最後の生涯』とはどのような意味でしょうか? 師は大勢の人々に最後の生涯だとおっしゃいました。あなたもやはりそうおっしゃいます」

 マザー「最後の生涯とは、人が繰り返し生まれてくる必要がなくなる、ということです(再生の必要がないこと)。この生涯が過去の幾多の生涯の終わりになるのです」

 弟子「しかしそれらの人々の多くは欲望――家族、妻、子供たち――から解放されてはいないように見うけられます。欲望が放棄されずに、どうやって輪廻が終わるのでしょうか?」

 マザー「師が誰かについておっしゃったことはどんなことであれ、すべて成就します。彼のお言葉が裏切られることはありません。その人がいま欲望を持っていようといまいと、あらゆる欲望が最終的にはその人から脱落してしまうことを師は見越しておられたのです。彼はある人たちについてそのことを予言なさいました」

 弟子「最後の生涯とはニルヴァーナを得ることを意味しますか?」

 マザー「もちろんそうですよ。場合によっては死の前に欲望が完全に心から脱落することもあります」

 弟子「マザー、師はたくさんの人を、自分に非常に近しい『身内』であるとおっしゃっていますが、それはどんな意味ですか?」

 マザー「彼はよく『あるものたちは私のこの身体から、あるものたちは髪の毛から、あるものたちは手や足からやってきたのだよ。彼らは私の永遠の伴侶だ』と言っておられました。たとえば王様がどこかへ行こうとすれば、大勢のお供が彼に従ってついてゆくでしょう? 私がジャイランバティに行くときも大勢の人たちが一緒に行くではありませんか。ちょうどそんなふうに、ある人の『身内』は時代を超えて伴侶でありつづけるのです」

 師は「『内輪』のものたちは私と苦楽をともにする伴侶である」とおっしゃいました。彼のところに来た若い少年たちをさして、「彼らは私が幸福であれば幸福だし、私が悲しめば悲しむ。喜びのときも災いのときも、いつも彼らは私とともにある」とおっしゃいました。

 彼がおいでになるときはいつも、他のものたちもついて来るのです。彼はナレンをサプタルシ(七人の覚者たち)の内から連れておいでになりました。ダクシネシュワルのカーリー寺院で瞑想なさっていたとき、師は母なる神カーリーの後ろに立っているシャンブー・マリックのヴィジョンをごらんになりました。彼はバララーム・ボースのヴィジョンも見ておられました。彼にはじめてお会いになったとき、師は即座に「そうだ、まさにこの彼――ターバンを巻き、白い肌をした――を私は前に見た」とお気づきになりました。それにスレンドラ・ミトラのことも。「この三人は私に必要な物を供給するよう神に定められたものたちだ」と彼は言われました。

 あるとき師が「どうして彼らは母カーリーにお供えせずに、(師の)写真に食べ物を備えるのか?」とおっしゃいました。私たちはそのことを縁起悪く感じて、いくらか不安になりました。しかし、師は「心配するな。時がきたらあらゆる家で私が礼拝されるのをお前たちは見ることになるだろう。誓って言うが、ほんとうにそうなるのだよ」と言って、私たちを慰めてくださいました。(注一)

 現代人は賢くなりましたねえ――師のお写真を撮るのですもの。マスター・マハーシャヤもただの人ではありません。彼は師のお言葉のすべてを書き残しました。写真を撮られたり、こんな形で言葉が記録されたりした神の化身は初めてです。

 弟子「マスター・マハーシャヤはカタムリタ(『ラーマクリシュナの福音』)のことで、書くための資料は十巻から十二巻分くらいあると言っておられました。でもそれがいつ出版されるか、主だけがご存知です」

 マザー「そう、彼ももう歳をとってしまいましたからねえ。全部書き終えることはできないでしょう」

 弟子「マザー、ジャイランバティであなたは、師は白人の信者のなかに再びお生まれになるだろう、とおっしゃいませんでしたか?」

 マザー「いいえ、私は大勢の白人の信者たちが師のもとにやってくるでしょう、と言っただけですよ。この頃では、たとえばキリスト教徒たちもたくさん訪ねてくるようになったでしょう? 師は、信者たちのハートに百年間とどまり、それから再びこの世に生まれてくる、とおっしゃいました。私は『もう一度生まれようとは思いません』といいました。ラクシュミも、『たとえ煙草の葉のように切り刻まれても、この世に再び生まれてきたくありません!』といっています。師は笑って、『逃げることなどできるものか。われわれの根はカルミ(水生植物の一種)の根のように一つなのだ。一方を引っ張るともう一方も引き出されるのだよ』とおっしゃいました」

 でも、そんなことはみな、どうでもよいことです。師はいつも、「おまえたちはマンゴーを食べるために果樹園に来たのだ。葉や枝の数など数えて何になるか」とおっしゃったものでした。

 弟子「マザー、神のヴィジョンを直接見ることがなければ生きている意味はないと思います。私はあるときイスラム教の行者にこんなふうに聞いたことがありました、『魚を得たいと願って人は池や川の堤に釣竿を持って座ります。でも決して自分から泥水のなかに入ってゆこうとはしません。あなたは托鉢僧にまでなって求めようとしたものを一瞥でもしましたか?』」

 マザー「彼は何と答えましたか?」

 弟子「何も言えませんでした」

 マザー「(しばらく考えたあと)あなたが言ったことは正しいことです。ほんとうにそうですよ。何らかの悟りを得ないなら、人に生まれた意味がありません。それに人は霊性への信仰を保ちつづけなければなりません」

 弟子「『隣の部屋に金塊があることを、こちらの部屋にいる泥棒が知ったとします。二つの部屋は頑丈な壁で仕切られています。そのような状況の下で、泥棒は果たして眠ることができるでしょうか? どうやって金塊を盗みだすかを日夜考え続けることでしょう。そのように人が神の存在を確信したなら、彼はもう世間の物事にふけることはできない』というスワミジ(ヴィヴェーカナンダ)もなさった話を、先日シャラト・マハラージがしてくださいました」

 マザー「そうです、そのとおりです」

 弟子「あなたが何をおっしゃろうと、大切なものは放棄と離欲です。われわれはそれを手に入れることができるでしょうか?」

 マザー「もちろんですとも。師に避難をしさえするなら、あなたはすべてを得ることができるでしょう。放棄こそが彼の栄光でした。私たちが師の御名を唱えて食べたり楽しんだりできるのは、すべて彼の放棄のおかげです。師がそのような完璧な放棄の人であったから、人々は彼の信者たちも偉大であろうと考えるのです」

 「そうそう! あるとき師がナハバット(音楽塔)の私の部屋においでになりました。彼のお部屋の薬味入れの小さな袋が空になっていたのです。彼はよく薬味を噛んでおいででした。私は薬味をさしあげ、ほかにもお部屋に持っておいでになるよう小さな紙包みをいくつかお渡ししました。彼は帰ろうとなさいました。でも部屋の方へ行かずに、まっすぐにガンジス川の堤防へ向かわれました。意識がもうろうとして、道がわからなくおなりになったのです。そして、「母よ、私は川に身を投げましょう!」と繰り返しおっしゃいました。私は狂わんばかりに心配になりました。川は満潮でした。そのころ私はまだ若い女性でしたから、部屋から外にでることはしませんでした。近くには誰もいません。誰を師のところにやればいいのか? やっとカーリー寺院のブラーミンが私の部屋のほうに来るのを見つけ、彼にリドイを呼んでもらいました。ちょうどお昼ご飯を食べていたリドイは手も洗わずにすぐさま師のもとに駆けつけました。そうして彼が師をお部屋へお連れしたのです。もう少し遅れていたら、師はガンジス川に落ちておられたでしょう!」

 弟子「どうして師は川のほうに行かれたのですか?」

 マザー「私が師に薬味のはいった紙包みを持たせたので、どうしてよいかわからなくなられたのです。聖者はものを蓄えてはいけません。彼の放棄は百パーセント完璧だったのですよ」

 「あるときヴァイシュナヴァ(*ヴィシュヌ派)の修行僧がパンチャバティ(*ダクシネシュワルの森)に来ました。彼ははじめのうちはまったく何物にも執着を見せませんでした。でも、何ということでしょう、最後にはねずみのようにいろんなものをため込みはじめました――ポットに、カップに、壷に、穀物や、お米や、豆類、などなど。師はそれに気づいてある日、『何とあわれな奴! これで彼もおしまいだ』とおっしゃいました。彼はマーヤーの罠に落ちかけていたのです。師は彼に放棄についての強い助言を与えて、その場所を立ち去るようおっしゃいました。それから彼は出てゆきました」

 ひとりの信者がマザーに挨拶に来た。彼が去ったあとでマザーは、「私はかつてハリッシュに愛情を見せて誤解されたことがあります。だから今は誰にも私の感情を表さないのですよ」とおっしゃった。......................

 


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