不滅の言葉 97年6号

論 説

スワミ・メダサーナンダ

自己分析

 自己分析は、私たち自身を改善する方法として高い地位を与えられてきた。それは私たちが世界を航海するボートの櫂のようなものである。毎日、私たちはたくさんの仕事をし、多くの言葉をしゃべり、諸々のことを考える。ところで私たちが正しい仕事をし、正しい言葉をしゃべり、正しい事柄を考えているか否かを、どうすれば知ることができるであろうか。私たちの行為、言葉、思考が正しいか間違っているかを私たち自身で判断できるのは、自己分析によってである。

 主は、言わば、私たちの心に、「ヴィヴェーカ・ウジワラー・ブッディ」(明晰な識別知)ないし純粋知性の形で宿り、私たちのなす自己省察を助けている。私たちはこの「ブッディ」(知性)の助けを得て、顕微鏡の助けによって水を検べるように私たちの心を検べてみてはどうだろう。

 水を顕微鏡で検べてみると、一見純粋で水晶のように清潔な水が、実際には不純で、バクテリアであふれていることがしばしばあることがわかる。同じように、「ブッディ」の助けを借りて私たちの心を徹底的に検べたとき、私たちの心の弱さと卑小さに気がつき、私たちの心が、情欲、怒り、貪欲、迷妄、虚栄、嫉妬、憎悪、恐怖などの不純なもので満ちあふれていることに私たちは気がつくのである。

 私たちの心にはこれらの悪徳が存在しており、それらが私たちに及ぼす悪影響に一たび気がつくと、私たちはそれらを追い払って、純粋で完全になりたいという衝動に駆られる。

 ところが、皮肉なことに、私たちは自分を責めるより、他人を批判する方が大好きである。私たちは、まるで、自分たちは温室のような安全地帯にいて、他人には石を投げるのが習い性となっているかのようだ。他人を責めるのと同じ欠点を自分が持っていることはしょっちゅうあることだ。その種の批判は、批判する相手はおろか、自分自身にとっても何の益にもならず、むしろ私たち自身の品位の低下につながる。これこそかつてホーリー・マザーが、「洗濯屋は顧客の汚れた下着を洗っていて自分を汚す」と言われた理由である。

 常に他人から自分に眼を転じて、他人でなく自分を批判し、他人でなく自分を分析する方が賢明である。ホーリー・マザーが或る信者を通して私たちに与えられた最後の忠告は、「もし平安を望むなら、他人に欠点を探すのではなく、自分自身に欠点を探しなさい」ということであった。自分自身に欠点を見つけ出し、結果として自らを正すことができるのは自己分析によってである。そうすることによって、私たちは行為において、言葉において、思考において改善され、真の喜びと永遠の平安を得ることができる。


| HOME | TOP |
(c) Nippon Vedanta Kyokai