不滅の言葉 96年6号

ギャーナ・ヨーガについての講話(4)

スワミ・メダサーナンダ

   

 (最初の部分録音不鮮明、要点のみ記録)……キリスト教、マホメット教の中にも、ギャーナ・ヨーガの説くところと同じ理想を見いだすことができる……

 すでに話したことを思い出しましょう。ギャーナ・ヨーガの中心思想は、肉体に宿っている魂 embodied soul は、至高の魂 Supreme Soul とひとつである、というものです。求道者は、私はブラフマンである、と悟るのです。私が黒板に書いた「マハーヴァキヤ」と呼ばれる言葉、「ソーアハム」をおぼえておいででしょう。意味は「私はそれである」というのです。肉体に宿っている魂(複数)、サンスクリットで言えば「ジヴァ」は、ブラフマンである、というのです。言葉をかえれば、「私は神である」ということです。インドにはさまざまの宗教思想がありますが、「私は神である」という宣言ほどショッキングなものはないでしょう。まあ、このような宣言が米国やイギリスでなされても、人びとはそう気にはとめないでしょう。昨今は人びとが宗教の名のもとに公言されるあらゆる種類のナンセンスに慣れていますから。もちろんさまざまの宣言のすべてが無意味なものだと言うのではありません。その中には意味の深い宣言もあります。ただ、西洋では伝統にあるなしを問わず、さまざまの新しい説や行動をきき、または見ることに、人びとが慣れている、と言うのです。五十年、六十年前には、そうではありませんでした。

 聖書を読むと、「天にまします我らの父よ」という言葉を見いだします。これが典型的な、信仰者(バクタ)の態度です。キリスト教では、この態度が伝統の主流です。この場合、もちろんわれわれが、神を呼べば神は愛をもってそれに答えて下さることを信じていても、神と自分との間の隔たりは、認めないわけには行きません。天と地との間には莫大な距離があるのです。しかし、この隔たりの概念は、「神の王国はあなたの内にある」という宣言によって橋をかけられます。このとき信者は、神を身近に感じることができます。到達不可能の高みではない、自分の手のとどくところにおいでになる、と感じるのです。しかし、いくら近くても、そこに距離はあります。ところが、「私とわが父とは一つである」と言う驚くべき宣言に接すると、距離の観念、区別の観念はまったく消滅します。神と信者の区別はなくなる、分析すると、実は、信者が神になったのではなく、信者はつねに神であったのです。ですからこの宣言は、「私はブラフマンである」という、ギャーナ・ヨーガの悟りとまったく同じものです。大方の場合には、キリストは二元論の立場で説法をしました。すなわち、神に対する信者の態度を、説きました。しかし時には彼も、「私とわが父とは一体である」と宣言するムードを経験しているのです。キリストがギャーナ・ヨーガを学んでいた、などということはあり得ません。これは彼自身の悟りのおのずからなる現われだったのです。

 ここで私たちはハヌマーンの言葉を思い出します。ハヌマーンはご承知のとおり、叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公、神の化身と崇められるラーマチャンドラの信者です。ある日ラーマが彼に、「さてハヌマーナ、君は私を何と見るか」と尋ねました。するとハヌマーンはこう答えました、「おおラーマ、私は自分が肉体意識を持っているときには、あなたは私のご主人、私はあなたの召使、あなたは神様、私はあなたの信仰者である、と感じます。自分は肉体に宿った魂である、と感じるときには、あなたは全体であられ、私はあなたの部分である、と見ます。しかし、ただ、自分は魂である、と感じるときには、私はあなたと一体でございます」と。この表白は、ときには天にまします我らの父と呼び、またときには、私とわが父とは一体であると宣言したイエス・キリストの態度と完全に一致するものです。

 今度はイスラムの伝統をとり上げましょう。イスラムは九世紀に生まれた、もっとも新しい宗教です。キリスト教の中にさえ、ある程度の信仰態度の自由は見いだされるのですが、イスラムは保守的な正統派が強い支配力を持っていました。これは、モナスティシズム(出家制度)は奨励していません。しかしそれでも、その中から、スーフィイズムと呼ばれる一派が生まれました。この一派は非常にリベラルな信仰態度をとり、ヒンドゥおよびキリスト教の出家制度の伝統をとり入れています。実はイスラムの中でも正統派に属する人びとは、スーフィイズムを純粋なイスラムとしては認めていません。もちろん、これを認めている諸派もありますが。スーフィイズムという名は、染めていないウールをさす、スフという言葉から来ています。スーフィ派の人びとは、享楽的なアラブ人の生活はマホメットの教えにそむくものとしてこれに反抗し、きびしい生活の象徴として、染めていないウールをまといました。そこから、この名が来たのです。コーランには、信者の神に対する態度が述べてありますが、その中に、非常にまれではあるが、少なくとも一つのこのような宣言があります。「アッラーは我らの血管よりも我らに近い」と。これは、「神の王国はあなたの内にある」というキリストの言葉と同じである、と見てよいでしょう。しかしコーランの中には、個別の魂と至高の魂とはひとつものである、という宣言は、見あたりません。しかし、スーフィの伝統の中には、ある意味ではマホメットがはじめた教えから離れたところが見られます。離れたと言うべきか、進歩したと言うべきか、どちらにせよ、私たちはスーフィイズムの中にある思想を、コーランの中には見いだしません。ラーマやクリシュナは神の化身、キリストも神の化身と見られていますが、イスラムはマホメットを予言者と見ています。しかし驚くべきことにスーフィは、ギャーナ・ヨーガと同じように、世界はうつり変わる現象、それを超えて、実在がある、と信じています。世界をマーヤー、ブラフマンを実在とするギャーナ・ヨーガの思想と同じです。

 スーフィの聖者、アールハルラッジという人は、「私は実在である」と宣言しました。このような宣言は、スーフィをも含むイスラムの伝統の中では非常に特別なものであります。これは、「私は神である」という意味なのですから、このような宣言は重大な冒涜と見られ、その結果彼はついに処刑されました。紀元九二二年に、彼はキリストと同じように十字架にかけられたのです。彼について、一つの話をきいたことを私はおぼえています。マホメット教徒である、ある王様の娘が病気になりました。医師たちは全部、さじを投げました。そのとき、アールハルラッジという聖者がいて、奇跡的な力を持っている、という噂が父なる王の耳に入りました。当然、彼はこの聖者アールハルラッジを宮殿に呼び迎えました。聖者はベッドに横たわっている王女を見て、「あなたはなおっている、立て」と言いました。しかし彼女は立ちません。彼はふたたび、「アラーの御名にかけて私は言う、あなたはなおっている、立て」と言いました。すると彼女は立ちました。そして病気はなおっていました。当然のこと、王様は非常に喜びました。しかし正統派の神職たちはこれを見て嫉妬し、同時に恐れました。自分たちの立場がなくなりはせぬか、と。それで、「この男は自分は神だ、などと言うのです。冒涜ではありませんか」と言ってむりやりに王様にすすめ、彼を処刑させました。聖者はイエス・キリストと同じように、「おおアラー、あなたは私にお示し下さった真理を、彼らにはお示しになりませんでした。ですから彼らはこういうことをするのです。彼らを許してやって下さい」と言ったと言われています。

 重要なのはキリスト教の中にもマホメット教の中にも、ギャーナ・ヨーガと同じ思想が見られる、ということです。もっともスーフィイズムは、ヒンドゥイズムと仏教から大きな影響を受けた、と言われています。それはともかく、キリスト教およびマホメット教の中では、ギャーナ・ヨーガの思想はヒンドゥイズムにおけるほどに奨励されてはいませんし、神を悟る道の一つとして認められているわけでもありません。

 さてここでヒンドゥの伝統の中での、ギャーナ・ヨーガの起源をたどりましょう。少なくともキリスト誕生の二千年前に、アーリア人は霊性の修行にはげんでいたと思われます。そしてヒンドゥの宗教伝統の根底をなす聖典は、ヴェーダです。四つの主なヴェーダがあります。これらのヴェーダは、特定の人物が著わしたものではありません。それらは賢者たちに示された啓示でした。バイブルはキリストの教えの記録、コーランはマホメットの言葉の記録、いずれも一個の存在の教えにその源を発していますが、ヴェーダにはそれがありません。ヴェーダという言葉は、「叡知の書物」、「神の知識」という意味です。この「神の知識」は、神と同じように永遠です。この永遠の知識が賢者たちに啓示されたのです。四つの主なヴェーダの、第一はリグ・ヴェーダ、つぎがサーマ・ヴェーダ、それからヤジュール・ヴェーダ、そしてアタールパ・ヴェーダです。そして、この四つのおのおのが、四つの部分を持っています。第一はサムヒター、第二はブラフマナ、第三はアランニヤカ、第四がウパニシャッドです。第一のサムヒターは、賛歌を含んでいます。ヴェーダの中にはさまざまの神が出てきます。インドラ、ヴァルナ、ヴァーユというように。そのような神々をたたえる歌です。当時の礼拝の形式は、犠牲供養でした。賛歌をうたいながら、火をもやして捧げものを投じました。ここで言われているゴマです。ゴマはサンスクリット語のホマから転じたものです。これはおもしろいことです。ブッダはこのホマという礼拝形式を批判しました。その教えを奉じる仏教がホマを行じているのです。これはタントラの伝統が後に仏教に入り、そのときホマの風習が踏襲されたからです。そのために、ブッダが禁じた礼拝形式が、ここで実践されているのです。インドではホマが行じられる場合、ギー(精製されたバター)、果物、蜂蜜、またはけものが、供物として火中に投じられました。このような捧げものは、祭神を喜ばせ、特定の願望を成就させるために行なわれました。そこには専門の聖職者がいて、それを希望する在家の人の注文に応じて祭祀を行なったのです。その願いはさまざまでした。長生きをしたいとか、子供を授かりたいとか、領土がほしいとか、または死後天国に行って天上の幸福を楽しみたいとか――。サムヒターには、このとき、場合に応じてうたわれるべき賛歌が集めてあります。そしてブラフマナには、行なわれるべき祭祀の詳細が指示してあります。さまざまの種類の犠牲があるから、どのような場合には何を、そしてどのような形式で捧げるか、というような――。アランニヤカには、すでに詳しく述べられた儀式の、意味、哲学が述べてあります。そして最後が、ウパニシャッドです。ヴェーダはまた別の意味で、二つに大別することができます。カルマ・カンダとギャーナ・カンダ、すなわち儀式の部分と知識の部分です。お分かりのように欲望の成就は、心の平安をもたらしません。一つの欲望の成就はつぎの欲望を生むのですから。欲望満足の、享楽の生活を経験した後にはじめて、人はこの生活は自分を永遠の幸せには導かない、ということを理解するのです。そしてギャーナ、知識、すなわち無執着の理想に方向を転じます。欲望の生活、プラヴリッティ・マールガから、無執着の生活、放棄の生活、ニヴリッティ・マールガへと方向を転じるのです。四つの主なヴェーダの中、最初の三つ、カルマ・カーンダはプラヴリッティ・マールガを、最後の一つ、すなわちウパニシャッドは、ニヴリッティ・マールガを説くものです。人がいったん、この道、知識の道に心を転じるなら、もう、儀式に興味は持ちません。もちろん、神を喜ばせる願いは存続しますが、その目的はもはや、自分の願望の成就ではないのです。

 


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