不滅の言葉 96年6号

ホーリーマザーの福音(2) 

  第一部 会話

      ジャイランバティ

        一九〇七年二月一日 

 午前八時三〇分、叔父のヴァラダが来て、「マザーが君を呼んでいらっしゃる」と言った。

 奥の間にはいると、マザーが自室のドアのところに立って私を待っていて下さった。ご挨拶をすると、「どこから来ましたか?」とお尋ねになった。私は自分の村の地方の名を申し上げた。

 マザー「あなたはいま師のお教えを読んでいるのでしょう?」

 私は何も答えなかった。彼女は私に、まるでごく古くからの知り合いであるかのようにお話しになった。いまでも、私は彼女のやさしく愛深いお姿を思い出す。

 マザー「あなたのカーストはカーヤシュタですか?」

 信者 「はい」

 マザー「兄弟は何人?」

 信者 「四人です」

 マザー「お座りなさい、そして何かお食べなさい」

 そう言いながら、マザーはベランダの床に小さな敷物を広げて、昨夜聖所に捧げられたルチとお菓子を私にくださった。

 私はマザーに、前の日はタラケシュワルからずうっと歩きどおしだったこと、ジャイランバティの北西のデシャラという村で一夜を過ごしたこと、ハリパルの駅で会った若者の家に泊めてもらったことなどを申し上げた。マザーはこれらすべてに耳をかたむけていて下さったが、私が食べ終わると、「いまは沐浴をしないようになさい、ずいぶんたくさん歩いてきたのですからね」と言い、それから食後に噛むベテルの葉をくださった。

 彼女は昼の礼拝のあとで再び人をお寄こしになった。聖所での供物奉献がおわると、彼女はいちばん先に私に食事を下さった。彼女のお部屋の前のポーチで、ご自分の手でサルの葉の上に盛って下さった。食事をいただいている私に「たくさんお食べなさい。いいですか、恥ずかしがってはいけませんよ!」と言い、あとでベテルの葉をくださった。

 午後の三時か四時ころ再びホーリーマザーのところへゆくと、彼女はパンの粉を練っていらっしゃった。東向きに床の上に座り、足は前に伸ばしておられた。彼女の前にはオーブンがあった。彼女は慈悲深い眼差しをむけて、「なんですか?」とおっしゃった。

 信者 「お話したいのです」

 マザー「何の話ですか? ここにお座りなさい」

 彼女は私に座具を下さった。

 信者 「マザー、人々は、私たちの師は不滅・絶対の神であられる、と言います。あなたはどうお思いでしょうか?」

 マザー「そうですよ。彼は私にとって不滅の絶対の神です」

 彼女が「私にとって」とおっしゃったので、私は続けた、「すべての妻にとって夫が不滅の絶対の神であるというのは真実です。私はそのような意味でお尋ねしているのではありません」

マザー「ええ。彼は私の夫として不滅の絶対の神です、そしてまた広い意味でも同様です」

 そこで私はこう考えた。もしシュリ・ラーマクリシュナが不滅の神であられるなら、彼女、ホーリーマザー、は神なる力、神なる宇宙の母でいらっしゃるはずである、と。彼女はその神聖な配偶者と一体であるはずだ。彼女と彼はシーターとラーマ、ラーダーとクリシュナのよう。私は心にこのような信仰をいだいてホーリーマザーのもとにやってきたのだった。「それが事実なら、それではどうして私は普通の女性のようにパンをつくっておられるあなたを見るのでしょう? マーヤー、だと思います、そうではありませんか?」と私は彼女にお尋ねした。

 マザー「マーヤーですよ、ほんとうに! そうでなくて、どうして私がこのような境遇におちこむでしょう? でも神は人間としてお遊びになるのがお好きなのです。シュリ・クリシュナは牛飼いの少年として、ラーマはダシャラタの子供としてお生まれになりました」

 信者 「あなたはあなたの本来のご性質を思い出されることがおありですか」

 マザー「ええ、ときどき。そのようなときには『私は何をしているのか? これらはみんな何なのか?』と自分で自分に言うのです。それから、家を思いだし、建物や子供たち(手のひらで家々を指さしながら)を思いだし、そうして自分の本性を忘れるのです」

 私はほとんど毎日、マザーを彼女のお部屋にお訪ねした。彼女はベッドに、眠っているラドゥと一緒に横になって話をなさったものだった。ランプが部屋にほのかな明かりを投げかけていた。女中がリューマチのための油薬をつけて彼女の足をさすっている日もあった。

 ある日、話のなかで彼女はおっしゃった、「ある信者の思いが私の心に届き、そして私が会いたいと強く願うと、彼がここにやって来るかあるいは手紙をよこすかするのです。あなたはある感情にうながされてここにやって来たに違いありません。おそらくあなたは心のなかに、宇宙の母なる神を思っているのでしょう」

 信者 「あなたはすべてのものの『母』でいらっしゃるのですか?」

 マザー「ええ」

 信者 「これらの小鳥や動物たちにとっても?」

 マザー「そうです、これらのものたちにとっても」

 信者 「それなら、どうして彼らはこんなに苦しまなければならないのですか?」

 マザー「今生ではこのような経験をしなければならないのです」

 ある夕方、私はホーリーマザーのお部屋で彼女と次のような会話を交わした。

 マザー「あなたは私の身内だから、ここに来たのですよ」

 信者 「『あなたの身内』でございますか?」

 マザー「そうです、『私の身内』です。疑いがありますか? もし人がほんとうに『もう一人の身内』であるなら、その人たちは幾生涯を通じて不可分の関係をたもつことができるのです」

 信者 「みながあなたをアプニ(注1)と呼びますが、私はそうできません。トゥミという言葉が自然にでてくるのです」

 マザー「それはほんとうに良いことですよ。それは親しさをあらわします」

 (注1、ベンガル語には相手に呼びかける言葉が三つある。アプニは目上の人に対して尊敬をこめて使われ、トゥミは対等な関係において親しみをこめて用いられる言葉であり、トゥイは召使いなど、目下のものに対して使われる)

 会話のなかで、私は彼女に申し上げた、「あなたは、ご自分が神聖なマントラをお授けになった人々の責任を取っておいでになるはずでございます。それなら、私たちがあなたにある願いをかなえて下さるようお願いしたときに、どうして『そのことを師に申し上げましょう』とおっしゃるのですか。あなたには私たちの責任を取ることがおできにならないのでしょうか?」

 私はまだぜひともイニシエイションを受けたいという強い願いを感じていなかった。それだからこのような質問をしたのだ。 

 マザー「私は、ほんとうに、あなたがたの責任をとっていますよ」

 信者 「心の清らかさと神への愛を持つことができますよう、おおマザー、どうぞ私を祝福してください。マザー、私には一人の同級生がいました。もし私が、あの仲良しへの愛の四分の一をシュリ・ラーマクリシュナに捧げることができたら、どんなに幸せでしょう」

 マザー「ああ、ほんとうに、そうです! では、そのことを師にお話ししておきましょう」

 信者 「どうしていつもあなたは、師にお話しする、としかおっしゃらないのですか? あなたは彼とはおちがいになるのですか? 私の願いはまちがいなく、あなたの祝福だけで、かなえられるでしょうに」

 マザー「わが子よ、もしあなたが私の祝福によって完全な知識を得ることができるなら、私の心と魂のすべてをこめてあなたを祝福しましょう。いったい人が助けなしに自分をマーヤーの手から解放することなどができますか。師が霊性の苦行をお極めになり、その成果を人類の救済のためにお与えになったのは、このことのためだったのですよ」

 信者 「人は、シュリ・ラーマクリシュナを見ることもなしに、どのようにして彼を愛することができるのでしょうか?」

 マザー「ええ、それはほんとうです。人が、どのようにして空虚なものと親しい関係を持つことなどできるでしょう!」

 信者 「いつ、私は師のヴィジョンを得ることができるのでしょうか?」

 マザー「あなたは必ず彼を見ます。ちょうどよいときに、師を見ますよ」

 ある日マザーはベッドに横になられ、女中のカミニがリューマチのための油薬を塗って彼女の膝をさすっていた。マザーが私におっしゃった、「身体はひとつのもの、霊魂はもうひとつのものです。霊魂は全身に浸透しています。ですから私は足に痛みを感じているのです。私が心を膝から引っ込めてしまえば、そこには何の痛みも感じないのですよ」

 マントラによるイニシエーションについて、私は彼女に申し上げた、「マザー、なぜ教師からマントラを受ける必要があるのでしょうか? マントラを唱えずに、ただ『マザー・カーリー、マザー・カーリー』と繰り返すだけではだめなのでしょうか?」

 マザー「マントラはからだを浄めます。人は神のマントラを唱えることによって浄らかになります。ひとつ話をお聞きなさい。ある日、ナーラダが主にお目にかかりにヴァイクンタへ行き、彼とながいあいだ話をしました。そのときはナーラダはまだイニシエーションを受けていませんでした。ナーラダが宮殿を去ったあとで、主がラクシュミにおっしゃいました、『牛糞でその場所を浄めなさい』『なぜですか、主よ?』とラクシュミは尋ねました。『ナーラダはあなたの偉大な信者です。それなのにどうしてそうおっしゃるのですか?』主はおっしゃいました、『ナーラダは、まだ、イニシエーションを受けていない。肉体はイニシエーションなしには純粋にはなれないのだ』

 人は、すくなくとも肉体の浄化だけのためにも、グルからマントラを受けなければなりません。ヴァイシュナヴァは、信者にイニシエーションを与えたあとで、彼に言うのです、『いまやすべてはおまえの心しだいである』と。『人間としての教師は耳にマントラを唱えるが、神は魂に霊を吹きこむ』と言われています。すべては人の心にかかっています。心の浄らかさなしには何ひとつ成就しません。『求道者がグル、主、そしてヴィシュヌ神信仰者の恵みを受けたとしても、《ひとつ》の恵みがなければ悲しむことになる』と言われています。その《ひとつ》とは心です。求道者の心は彼に恵み深くあらねばなりません」

 彼女の母君について、ホーリーマザーは、「私の母は、私たちのところに神の信者たち誰でもがやって来るととても喜びました。『おお、私の孫が来た!』と、大声で叫んだものでした。彼女は一所懸命に彼らの世話をしました。彼女はこの信者たちのファミリーを自分の血と肉のように見なしていたのです」とお話しになった。

 つづけて、ホーリーマザーはおっしゃった、「師がお亡くなりになったとき、私も肉体を去りたいと思いました。彼が私のまえに現れて『いや、おまえはここに残らなければならない。しなければならないことがたくさんあるのだ』とおっしゃったのです。後になって私自身もそれが真実であったことを知りました。しなければならないことがたくさんありました。師はよく『カルカッタの人々は闇のなかを這いまわる蛆虫のように生きている。おまえは彼らを導くのだ』とおっしゃいました。彼は信者たちのハートに、幽体のなかで三百年生きるだろうとおっしゃいました。また白人のなかにも多くの信者を持つだろうともおっしゃいました」

 「師がお亡くなりになったあと、はじめ私はひどく恐れました、というのは私は細い赤の縁どりのサリーを着て手首には金の腕輪をつけていたのですが、そのことを人々が何と言うか恐れたのです。(注1)そのとき私はカマルプクルにいました。シュリ・ラーマクリシュナが私のまえにたびたびお現れになるようになりました。それからしだいに恐怖にとらわれなくなったのです。ある日師が現れてキチュリを食べさせてくれとおっしゃいました。私は料理をして、聖堂のラグヴィル(注2)にお供えしました。それから私は心の内で師にお食事を差し上げました」

 (注1、伝統的な習慣では、ヒンドゥの寡婦は縁取りのない白いサリーを着て、装身具を身につけてはならないとされている。はじめマザーはこの習慣に従うことを望まれたが、シュリ・ラーマクリシュナがヴィジョンに現れ、自分は死んでいないのだからそのようにしてはならない、と彼女に告げられたのである。

 注2、カマルプクルのシュリ・ラーマクリシュナの家の守護神)

 「その頃ハリシュが幾日かカマルプクルに来ていました。ある日私が近所の家を訪ねて家に帰ろうとしたら、彼が私を追いかけはじめました。当時彼は精神が錯乱していました。彼は妻のために気が狂っていたのです。そのとき家のなかには誰もいませんでした。どこへ行ってよいかわからず、私は納屋の裏手に向かって急いで走りました。しかし彼は私をそのままにしておきませんでした。私は走りに走って、疲れきってしまうまで納屋を七回もまわりました。そのときに、私のほんとうの自己が現れたのです。私は彼を地面に投げ飛ばし、彼の胸を膝で押さえつけて、舌を引っ張り出し、彼の頬を、私の指が赤くなるまでひどく叩きました。彼は苦しくなって喘ぎはじめました」(注1)

 (注1、ハリシュはラーマクリシュナ兄弟団の草創期にバラナゴル僧院をたびたび訪れていたシュリ・ラーマクリシュナの信者である。彼の妻は彼が放棄の生活にひかれてゆくのをおそれて薬物と魔法によって彼を思いとどまらせようと謀り、それが次第に彼の精神を狂わせたといわれている。この狂気の状態で、あるとき彼はカマルプクルを訪れた。マザーは彼の状態を知り、誰か来て彼を連れ去ってほしい、と僧院へ手紙をお書きになり、それに応じてスワミ・サラダーナンダとニランジャナーナンダが出発した。右記の事件が起きたのは、彼等が到着する直前のことであった。「そのときに私の本性があらわれました」というマザーの言葉には多くの人々が神秘的な意味を見いだしている。彼らはマザーが、女神の化身として、望めばいかなる姿をもとることがおできになったのだと信じている。この例の場合には、彼女にはマハーヴィディアのひとつであるバガラ意識があったにちがいないとされている。というのはバガラは、ちょうどマザーがハリシュをお懲らしめになったのと同じやり方で、アシュラを殺したといわれているからである。この罰はハリシュに良い効果をもたらした。彼はヴリンダーバンへ逃げて行き、そこでしだいに心の平静をとりもどした。このような神秘的な意味づけを別にしても、この出来事は、あの「ダコイトのお父さん」の話とともに、想像を絶するマザーの人間性と個性の特徴を表している)

 会話はヨゲン・マハラージ(スワミ・ヨガーナンダ)のことに移った。

 マザー「ヨゲンほど私を愛した者はいません。誰かが彼にいくらかのお金をあげると、彼は『マザーが巡礼にいらっしゃるときのために』といって、それをとっておきました。彼はいつも私のそばにいました。他の僧たちは、彼が女ばかりのこの家にいるものだから、ときどき彼をからかいました。彼は私に、自分のことをヨガと呼んでください、と言っていました。亡くなるときに彼は『ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、そしてシュリ・ラーマクリシュナ・・・マザー、彼ら全部が私を迎えにきました』と言いました」

 ご自身について彼女は「バララーム・バブーはよく私のことを『偉大な苦行者、寛容の権化』と言っていました。あなたは同情心を持たないものを人と呼びますか? 彼はけものにすぎません。ときどき私は同情に我を忘れてしまいます。そのようなときには、私は自分が誰であるかさえ思い出すことができないのです」とおっしゃった。

 最後にホーリーマザーは私に「あなたには大変うちとけることができます。カルカッタで会いにおいでなさい。そして私のところにお泊まりなさい」と言ってくださった。

 その頃私は、修道生活にはいりたいという強い願いを抱きながら、家族と一緒に暮らしていた。私は「彼女の恩寵によって、将来、たぶん私は僧になって、彼女のおそばに住むことができるようになるだろう」と自分に言い聞かせていた。

 私がジャイランバティにいたとき、ラドゥの母親のスラバラの気がふれた。彼女は娘のラドゥの装身具を全部彼女の父親の家に持っていった。父親は彼女の狂気につけこんで装身具をすべて自分のものにしてしまい、そのことが彼女の狂気をいっそう悪化させた。ジャイランバティへの帰途、シンハバヒニのお寺で、ラドゥの母親は装身具のことを祈って泣いていた。夕暮れだった。私はマザーのお部屋で彼女と話をしていた。そのとき突然マザーは、「私の子供よ、私は行かなければなりません。あの気のふれた義妹には私のほかに親身になってやる者がいないのです。彼女は女神のまえで装身具のことで泣いています」と言って部屋を出て行かれた。しかし私には泣き声などは聞こえず、またそれは聞こえるような距離でもなかったのである。それでも彼女は声を聞き、ラドゥの母親を連れてお戻りになった。その後者が彼女に「お義姉さん、あなたが私の装身具を捨ててしまったのでしょう。あなたが私から取り上げてしまったのでしょう」と言った。マザーは、「もしそれが私のものだったら、すぐに全部カラスの糞みたいに捨ててしまいましたよ」とおっしゃった。笑いながら、ラドゥの母親のことを、「ギリシュが、彼女は私の気違いの仲間だ、と言っていました」と私におっしゃった。

 はじめ私はホーリーマザーを「マザー」とお呼びすることをためらっていた。私自身の母親は私が子供の頃に亡くなっていた。ある朝、ホーリーマザーはある人のところへ私を使者としてつかわされた。私がでかけようとすると、マザーが「彼に何と言いますか」とお聞きになった。私は「なぜですか? 私は彼に『彼女があなたに・・・と告げよとおっしゃいました』と言うつもりです」と答えた。ホーリーマザーは「いいえ、私の子供よ、彼には『マザーがあなたに伝えるようおっしゃいました』と言うのです」とおっしゃった。彼女は「マザー」という言葉を強調なさった。

 ある朝私はマザーのお部屋の前のポーチで、マザーと何人かの信者さんたちに、大声で本を朗読していた。私は「ラーマクリシュナ・プンティ」という題の、詩に描かれたシュリ・ラーマクリシュナの伝記を読んでいた。彼女のシュリ・ラーマクリシュナとの結婚について書かれた章のところで、著者は彼女を非常に誉め称えて「宇宙の母」と呼んでいた。私がそのくだりを読むと、マザーはポーチをお離れになった。何分か前に私は彼女に、M(注)によるカタームリタが連載されていたウドボーダン誌のある頁を読んでいた。そのときは他には誰もいなかった。私は次のところを読んでいた。

 (注=マヘンドラ・ナート・グプタ、「ラーマクリシュナの福音」として邦訳された「カタームリタ」の著者)

ギリシュ「私は願いをもっております」

師「どんな願いだね?」

ギリシュ「私は愛のための神への愛を得たいのです」

師「そのような愛はイーシュワラコティたちだけが持つことができるのだ、普通の者はそれを得ることはできないよ」

 私はホーリーマザーに「ここで師は何を言おうとしていらっしゃるのでしょうか」とお訊ねした。

 マザー「イーシュワラコティたちの欲望はすべて神によって満たされているのです(プールナ・カーマ)。ですから彼らには世俗的な欲望がありません。神の愛のための愛を得ることは人が欲望を持っているかぎり不可能です」

 信者 「マザー、あなたのご兄弟たちはイーシュワラコティのレベルに属しておられるのでしょうか?」

 彼らは彼女の兄弟なのだからシュリ・ラーマクリシュナの出家の弟子たちとおなじ霊的能力をそなえているに違いないと、私は思ったのだ。このときマザーは、あたかも「比較などできますか! 私の兄弟だというだけで、いったい何が達成できますか? 師の親しい弟子になるということは、まったく別のことです」と言うかのように、ただ冷笑なさっただけだった。

 ある朝、ホーリーマザーは籾摺りの仕事を手伝っておられた。それは彼女の毎日の仕事だった。私は「マザー、どうしてあなたがそんなにお働きになるのですか?」とお尋ねした。「私の子供よ」と彼女はお答えになった「私は自分の生活を手本にするために必要以上に働いているのです」

 ある夜、家の者たちがみな寝静まっていたとき、ホーリーマザーの姪のナリニの夫がナリニを彼の家に連れて帰ろうと牛車で突然やってきた。ナリニは夫の家から実家に帰ってきており、戻りたくなかったのだ。夫の目的を知って、ナリニは彼女の部屋の入口を閉じ、もし夫が無理矢理つれて帰ろうとするなら自殺をするといっておどかした。しかしホーリーマザーが、帰らなくていいから、と安心させて、部屋の扉を開けさせられた。その夜は一晩中家族がもめて、ホーリーマザーはナリニの部屋の前のポーチに座って夜を過ごされた。彼女は空が白みはじめると灯火を消して、そっと、「ガンガー、ギーター、ガーヤトリ、バーカヴァタ、バクタ、バガヴァーン、シュリ・ラーマクリシュナ、シュリ・ラーマクリシュナ!」と唱ておられた。

 ある日ホーリーマザーは、パグリ(気違いの意=狂った義妹のこと)の父親を、ジャイランバティへ来るか、あるいは娘から奪った装身具を返すかするよう説得するために、年とった使用人といっしょに、私をお遣わしになった。ずいぶん骨を折って説得したあげく彼は私たちと一緒に来ることになったが、装身具は持って来なかった。マザーは彼に、それらを返すよう、そしてパグリを精神的な苦しみから解放するようお頼みになった。しかし強欲なブラーミンは耳を貸そうとしなかった。

 私はシヴァラトリの翌日に家へ帰るつもりだった。シヴァラトリの二日後のシュリ・ラーマクリシュナ誕生祭をベルール僧院で過ごしたかったからである。私はマザーにそのことを申し上げた。彼女は私に、まずカマルプクルへ行くようおすすめになった。家を出たとき、私はホーリーマザーにお会いすることに夢中で、傘や着替えなどを持って来ることを忘れていた。マザーの勧めに従って、私は師の生誕の地を訪れることにした。彼女は私に洗った服を渡して、これは返さなくてもよい、とおっしゃった。

 マザー「お金は持っていますか? 乗物に乗らなくてはならないでしょう。お金を持っていらっしゃい」

 信者 「お金は持っております。あなたから頂くわけにはまいりません」

 マザー「家に着いたら手紙をお書きなさい。ああ、私は私の息子に十分に食べさせることができませんでした、ご馳走をつくってあげることができませんでした。このところナリニとパグリのことで家のなかにごたごたが続いていたので」

 私は彼女のまえにひれふし、目には涙があふれた。ホーリーマザーはしばらく私たちについておいでになり、それから私たちが見えなくなるまで見送ってくださった。彼女への愛で、私はカマルプクルに着くまで泣きつづけた。

 カマルプクルに着くと、私はホーリーマザーがお住みになった部屋を見せてもらった。そこでマザーのお写真を見て、私はもういちど彼女にお会いしたいという思いにかられた。翌日Mとプラボーダ・バブーが、カマルプクルで数時間すごしたあと、ジャイランバティに向かった。夕方、マザーの弟子のラリット・バブーが長い上衣にズボンをはき、頭にはターバンを巻いて到着した。彼はジャイランバティへゆく途中だった。ある信者が、私がひとりでカマルプクルからカルカッタにゆくのは難儀だから、一度ジャイランバティへもどって、それからラリット・バブーと一緒にカルカッタに行けばよい、と勧めてくれた。そこで私は彼とともに再びジャイランバティへ行き、ホーリーマザーに「またやってまいりました」と申し上げた。マザーはたいそう喜んで「それはよかったこと、ラリット・バブーと一緒にカルカッタへ行けますよ」とおっしゃった。

 シヴァラトリの祭りが終わったあと、信者たちは食事のために席に着きました。彼らは葉っぱのお皿にプラサード(おさがり)をいただいた。私がそれは何かと訊ねると、彼らは、ホーリーマザーのおさがりだ、と言った。私もそれをいただいた。あとでホーリーマザーに「みんなあなたのプラサードをよろこんでいただきました。でもあなたはこれまで一度も私には下さいませんでしたね」と言うと、マザーは「私の子供よ、あなたが欲しいと言わないのに、どうして私から言いだせますか?」とおっしゃった。何という謙虚さ。

 翌日、ラリット・バブーが駕篭に乗って、ラドゥーの装身具を取り戻すために、彼女の祖父のところにでかけた。ラリットは政府の役人になりすまし、カルカッタの警察の高官が書いたことになっている手紙を持参した。ホーリーマザーは、若い者が高齢のブラーミンを侮辱する言葉を使ったりしないように、Mにも一緒に行ってくれるようお頼みになった。ともかくその午後、彼はラドゥの祖父を、装身具とともに、ジャイランバティに連れてくることに成功した。夜中の二時頃、私たちはホーリーマザーが眠れないでいらっしゃる物音を聞いた。彼女は神経質になっていらっしゃった。Mと私は彼女の奥のお部屋にはいり、私は、人々が薬を探している間に、マザーにどうなさったのか伺った。彼女は、「あの人たちが装身具を取り戻すためにでかけていったあとで、私は彼らが年をとったブラーミンを馬鹿にしたりはしないかと心配で怖くなったのです。それで気持ちがたかぶってしまいました」とおっしゃった。この問題を引き起こした張本人であるブラーミンへのマザーの慈悲深い心を目のあたりに見て、私は驚いてしまった。

 次の日の午後、一団の人々とともに私はカルカッタへ向かった。マザーはラリット・バブーに私のことを「彼は神への深い信仰をもっています。どうぞ彼を連れていってください」と言ってくださった。私たちはみな彼女のまえにひれふしてご挨拶をした。彼女の目には涙がいっぱいたまった。私たちを見送って家の外の門のところまでおいでになったとき、彼女は涙を抑えることがおできにならなかった。カルカッタへの途中、ヴィシュヌプルで、Mとプラボーダ・バブーと他の者たちは、母なる神のお姿の一つであるムリンマイーの神殿を訪れた。しかしラリット・バブーと私はまっすぐに駅へ行って汽車に乗った。Mはプラボーダ・バブーをよこして、私たちにも神殿を訪れるようすすめたが、私たちはチンマイー(生きた女神)を見てきたのだからムリンマイー(土の女神)を見に行こうとは思わなかった。私はベルール僧院でシュリ・ラーマクリシュナのお誕生祭を見たあと、家に帰った。


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