不滅の言葉 96年5号

スワミ・アドブターナンダ:その教えと回想(10)

スワミ・チェタナーナンダ
   

    第八章 兄弟の僧たちとともに(2)

 この期間に、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはその地域の非常に古い寺院を訪ねた。戻ると、彼はその寺院がおそらく約三千年前のものだろうと言った。ラトゥ・マハラージはどうしてそれがわかったのかと尋ねた。「それを君に説明することは不可能だ」とスワミジーは冗談に言った。「もっとも、君が少しでも教育を受けていたら、やってみないでもないが」

 ラトゥ・マハラージは答えた。「わかった!やっと君の学識の深さがわかった。あまりにも深いので、私のようなおろか者に説明するために浮かびあがってくることができないのだ!」これを聞いて、いあわせた一同は大笑いした。

 ラトゥ・マハラージは回想している。「ある日のこと、デリーでひとりの男がスワミジーのもとに来て尋ねた。『師よ、私はジャパムや瞑想をそれこそ何度も実践しているのですが、まだ光明が見えません』スワミジーは答えた。『あなたは意味を知らずにオウムのようにサンスクリット語の祈祷や聖歌を暗誦している。そうではなく、あなたの母語で真剣なあこがれの気持ちをもって神に祈りなさい。そうすれば、光明が見えるだろう』」

 ケトリでは、ラトゥ・マハラージは、スワミジーの弟子であり友人であるマハラージャと話をした。ラトゥ・マハラージが非常に知的なので、マハラージャには彼が正式な教育を受けていないとは思いもよらなかった。実際、彼はラトゥ・マハラージと話すのが非常にたのしかったので、それをスワミジーにつたえた。スワミ・ヴィヴェーカーナンダの弟子であるスワミ・ディラーナンダは語っている。「ある日、ケトリのマハラージャは地球儀を持ち出してきて、ラトゥ・マハラージにいろいろな国々を指して見せはじめました。ラトゥ・マハラージはそれまでに地球儀を見たことがありませんでした。スワミジーはただちに状況を察し、兄弟弟子に助け船を出して、話題をすっかり変えてしまったので、ラージャはラトゥ・マハラージが学校教育を受けていないことを知ることはありませんでした」

        * * *

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、ラトゥ・マハラージ、そして一行の残りの人びとは、一八九八年の初頭にカルカッタに戻った。恒久的な僧院の本部として、カルカッタのやや北にあるベルルのガンガー河畔に地所を購入したのは、これからまもなくのことであった。その数年前に、僧たちは最初の居住地であったバラナゴルから、アラムバザールにある別の家に移っていた。今回は、僧院はふたたびアラムバザールから、新しい地所にさらに近い、ベルルの村のニランバル・ムケルジーのガーデンハウスに移った。

 当時見習いであったひとりの僧が、こんな話をしている。「私はニランバル・バブーのガーデンハウスでラトゥ・マハラージを知りました。そのころ、シャラト・マハラージ(スワミ・サラダーナンダ)は西洋から戻ったばかりで、その僧院に滞在していました。彼はすっかりあかぬけて、部屋や持ちものをきちんと整理していました。ラトゥ・マハラージは部屋に入っては本を机からベッドに移したり、インクつぼを片隅にかくしたり、そんなことをして、整然としていた部屋をかきまわしはじめていました。それはほとんど彼の日課になっていました。シャラト・マハラージのベッドのシーツはまっ白でした。ときどき、ラトゥ・マハラージは清潔なベッドの上をわざとよごれた足で歩きまわり、それから横になってころがっていたもので、そのあいだ笑いどおしでした。シャラト・マハラージは尋ねていました。『何をしているんだ、ブラザー・ラトゥ?』

 ラトゥ・マハラージは笑って言っていたものです。『何もしていないよ。ただ、君が私たちの前の暮らしかたをおぼえているかためして、君がどれだけ西洋かぶれしたかを調べているのさ』これにはシャラト・マハラージも笑っていたものでした」

 一八九八年十一月のカーリ・プージャの前日、ホーリー・マザーが新しいベルル僧院の地をおとずれ、彼女の存在で境内を祝福なさった。ラトゥ・マハラージは回想している。「あの日、マザーは僧院の境内をおとずれて、彼女自身で師に礼拝なさった。各々の弟子たちは彼女のみ足のちりをとって、それからそれを集めて小箱に入れていた。その小箱はいまでも僧院で礼拝されている。マザーは僧院の敷地をごらんになって非常によろこんでおられた。ダクシネシュワルのカーリ聖堂の尖塔がそこから見えることをお知りになって、彼女はおっしゃった。『すてきですね。ここに来る人びとは、ダクシネシュワルを見ることになります、そして師の神聖なおあそびを思い起こすことでしょう』」

 ラトゥ・マハラージはある信者に語った。「霊性の師になろうとする者は、各人の素質を見ぬく才能を持っていなければならない。指導者が適材を適所に任用することができないと、僧院は円滑にいかない。ブラザー・ヴィヴェーカーナンダはこの才能を最大限に持っていた。彼は、ブラザー・ハリ・プラサンナ(スワミ・ヴィッギャーナーナンダ、工学の教育を受けていた)をベルル僧院に連れてきて、建築作業を彼にゆだねた。八か月のうちに建物は完成した。「聖別式の日(一八九八年十二月九日)、私たちはみな列席した。ブラザー・ヴィヴェーカーナンダは、シュリ・ラーマクリシュナの遺骨をお納めしたつぼを彼自身の肩にのせて僧院の聖廟にはこんだ。彼は自分自身で礼拝をおこなって、それが終わると私たちに向かって簡単なあいさつをした。『本日、師はここに鎮座なされた。兄弟たちよ、シュリ・ラーマクリシュナを私たちのみちびき手とせよ。完全に、無条件に、自分を彼のおみちびきのもとに置くよう、お願いする。彼は私たちにただ三つのことをもとめておいでになる――浄らかさ、素朴さ、およびおおらかさである。かならず、この三つの理想のもとに生きてくれ。ここではすべての信仰と宗派が尊重され、調和していなければならない。何ものも、他に従属すると見なされてはならない』」

 一九〇一年の初めに、ラーマクリシュナ僧団の理事会が設立されたとき、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはラトゥ・マハラージに理事のひとりになってくれと頼んだ。しかし、ラトゥ・マハラージはことわった。「私は地位も権威もほしくはない。たのむ、ブラザー、私をまきこまないでくれ」「ブラザー・ラトゥ、」スワミジーは答えた。「お願いだからしたがってくれ。理事として君の名を記入させてくれ。こばまないでくれ」スワミ・ブラフマーナンダも同じことを彼に熱心にすすめたが、ラトゥ・マハラージは断固として言った。「私は何ごとにもかかわりたくない」彼は、シュリ・ラーマクリシュナの出家の弟子のうち、理事にならなかったごく僅かの中のひとりとなった。

 一九〇〇年十二月のある夜、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはアメリカとヨーロッパへの二回目の旅行から突然戻ってきて、だしぬけにベルル僧院にあらわれた。そのときたまたま僧院にいあわせたある在家の信者が、そのできごとを語っている。「その夜、夕食が終わりに近づいたころ、園丁がやってきて『イギリス人が来ました』と誰かに知らせました。スワミジーの西洋人の弟子のひとりが来たのだろうと思われたので、スワミ・プレマーナンダが頼まれて来訪者をむかえに行かれました。その間にスワミジーは門をよじのぼってすでに中庭に入っておられました。スワミ・プレマーナンダは門まで行く途中、客にあい、その客はいきなりベンガル語で話しはじめました。相手がわかって、スワミ・プレマーナンダは笑いながら叫ばれました。『スワミジー!どうして電信を打って下さらなかったんだ?』みな、スワミジーをめざして走りました。「ラトゥ・マハラージは、僧院のそばのガンガーの舟つき場の最上段にすわっていました。私は彼のところに走って行って、スワミジーが到着したと知らせました。ラトゥ・マハラージも走ってスワミジーに会いに行くものと思っていたので、彼があわてる様子をまったく見せないのにおどろきました。そのかわりに、彼はガンガーの川べりにすわって瞑想しないかとさそいました。『なぜそんなに興奮なさるのですか?今は瞑想によい時刻です。おすわりなさい、さあここに』と彼は言いました。『ごらんなさい、ガンガーのおだやかなこと。瞑想なさい』「スワミジーは食事を終えると、ラトゥ・マハラージに会いに舟つき場に行きました。彼らは抱きあいました。少し言葉をかわしたあと、スワミジーは言いました。『レト、どうしたんだ?君以外はみな私に会いにきた。君は私が嫌いなのか?』『嫌いなはずがないではないか』とラトゥ・マハラージは言いました。『私の心がここにいたがったのだ、だからここにいたのだ』『君は僧院に滞在していないと聞いた。どうやって生活しているのだ?』とスワミジーは尋ねました。「『ウペン・バブーが助けてくれたのだ』とラトゥ・マハラージは言いました。『たのまないと食物がもらえないような日には、私は彼の店の近くに立っていたのだ。彼はすぐに察して、四アンナや二アンナの硬貨をくれた』これを聞いて、スワミジーは天をあおいで言いました。『おお、主よ、ウペンに祝福を』この簡潔な祈りがどのように聞きとどけられたか、今や誰の目にも明らかです。(ウペン・バブーは非常に裕福になった)月は上空にかがやき、川面に映っていました。スワミジーは言いました。『ガンガーの銀色の波をごらん。エジプトのナイルの波とそっくりだ』さらに何分か会話をかわしたあと、スワミジーは僧院の中に入ってやすみました。ラトゥ・マハラージはもといた場所にすわったままで、まもなく瞑想に没入しました」

 翌朝の四時にこの信者が舟に乗ってカルカッタに向かおうと舟つき場に来たとき、彼はラトゥ・マハラージが同じ場所に同じ姿勢で依然として瞑想しつづけているのを見いだした。

 次のできごとで、ラトゥ・マハラージと兄弟弟子たちとの関係、とりわけスワミ・ヴィヴェーカーナンダとの関係をさらにかいま見ることができる。

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダはベルル僧院で規則をつくった。僧は午前四時に起きて、いそいで洗顔をすませたら、聖所にすわって瞑想しなければならない、というのである。翌朝、鐘が鳴って、全員が起こされた。ラトゥ・マハラージはのちに語った。「私はその規則が好きではなかったので、誰にも告げずに僧院を去ることにした。その朝、衣服とタオルを持って出ようとすると、スワミジーが私を呼び止めて尋ねた。『どこに行くのか?』私は言った。『カルカッタに』『なぜ?』そこで、私は彼に言った。『君は最近、西洋から戻って、新しい規則や規律をとり入れた。私にはそれをまもることは容易でない。鐘が鳴ったら心をしずめて瞑想する、というように心を制御できる段階にはいないのだ。私の心がいつ没入できるのか、誰にわかるだろうか?私はまだそのような境地に達していない。君ができるのならそれでよい』すると、スワミジーは言った。『わかった、行っていい』だが、私が門に着かないうちに彼は私を呼び戻して言った。『君はこの規則をまもらなくてもよい。君の好きなようにすればいい。これらの規則は見習い僧のためのものだ』私は言った。『そう言ってくれてうれしいよ』」

 またあるとき、ラトゥ・マハラージは言った。「スワミジーは、僧たちは頑健であってほしいと思ったので、全員、亜鈴で体操しなければならないという規則をつくった。当時、私は僧院にいた。私は彼のところに行って、尋ねた。『ブラザー、これは何だ?この年齢で体操をしなければならないのか?私にはできない』スワミジーは笑い出して、何も言わなかった」

 スワミ・シュダーナンダが語っている。「ラトゥ・マハラージは自分では聖典が読めなかったのですが、聖典の朗読を聞くのは大好きで、よくほかの人びとに読んでくれと頼んでおられました。私は彼と同じ部屋に寝ていたときのことをおぼえています。真夜中に彼は起きて、言いました。『スディル、スディル、ギータを読んでくれ』それで私はその夜、彼にギータを読んで聞かせました」

 スワミ・サラダーナンダはもう一つ別の話をしている。「ある日、一人の僧がカタ・ウパニシャッドをラトゥ・マハラージに読んで聞かせていた。このくだりに来た。『プルシャ、親指ほどの大きさもない、内なる自己、これは人の心の中につねに存在している。人をして彼を忍耐づよく肉体から分離せしめよ。草の葉からやわらかな葉柄を分けるように』(二・三・一七)ラトゥ・マハラージはこの一節を聞くと、叫んだ。『まさにそのとおり!』彼は彼自身この境地に達していたにちがいない。そうでなければあの難解なサンスクリット語の一節を理解できたはずがないもの」

 スワミジーは、カシミールを旅行していたときに、みごとな高価なショールを買ってラトゥ・マハラージに贈った。その少しあと、ラトゥ・マハラージはそのショールを着けてスワミジーの弟子のシャラト・チャンドラ・チャクラヴァルティのもとをおとずれた。シャラト・チャンドラがショールをほめると、ラトゥ・マハラージはすぐにそれをはずして彼に贈呈した。「気に入ったか、シャラト?よかった。このような高価な品は僧のためのものではない。スワミジーからの贈りものだから、私は一日だけ着けた。君が受け取ってくれると私は非常にうれしい」

 シャラト・チャンドラは少しまごついた。「しかしマハラージ、これは私のグルからのあなたへの贈りものです。どうして私が受け取れましょう?」彼はラトゥ・マハラージにショールを返した。この話はスワミジーに届いた。のちに彼はシャラト・チャンドラに言った。「君にショールを受け取ってほしかった。知ってのとおり、ラトゥは気まぐれだ。彼は誰かにショールをやってしまっただろう。君が受け取ってくれていたら、少なくともショールがなくなることはなかった」

 ある日、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはさまざまの国々でひろくおこなわれているいろいろな種類の礼拝について話していた。突然、ラトゥ・マハラージが彼に尋ねた。「ブラザー、君は遠方までひろく旅して、非常にたくさんのことを見聞きしている。どこかの国で大地に礼拝している人びとを見たことがあるか?」

 スワミジーは少しおどろいて尋ねた。「なぜそんなことを聞くのか?」

 ラトゥ・マハラージは答えた。「こういうわけだ。私たちのまわりで目にするものは何でも大地から生まれている。私たちの富と輝きはすべて、彼女(訳注=大地)のハートから取り出されている。私たちが食べるもの、着るもののすべて、家の中にたくわえてあるものや、自分は他にまさっている、と私たちに考えさせるもののすべてが彼女から来ている。それで私は、人びとが欲するもの、楽しむものを何でもそこから得ている大地を、彼らは礼拝しているのだろうかと思ったのだ」

 スワミ・サラダーナンダがスワミジーの横にすわっていた。彼をふりむいて、スワミジーは言った。「われわれのプラトー(訳注=ラトゥのもじり、プラトンの意)がいかに賢明に話すかをごらん!」

 一九〇二年、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯の最後の年のあるときに、スワミジーはラトゥ・マハラージに言った。「レト、どう思う?これはたった今、はじまったばかりなのだ。ヨーロッパやアメリカの人びとが、今、私たちの師の偉大さを知りはじめているのだ。数年後には、彼らは師の思想を受け入れるだろう。今はひとにぎりだが、将来は何百人もがやってくるだろう。そうしたら、このヴィヴェーカーナンダが何をなしたか、君にわかるだろう」

 ラトゥ・マハラージはスワミジーの言うことに耳をかたむけていた、そしてしずかに言った。「ブラザー、君は何か新しいことをやったのか?君はほかの偉大な師たちが旅したのと同じ道をあゆんでいるのではないか?――ブッダやシャンカラのような」

 するとスワミジーは言った。「君の言うとおりだ、私のだいじなプラトー。私はただ彼らの志を継いだだけなのだ」そしてスワミジーは手をあわせ、古代の師たちに敬礼をした。

 


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