不滅の言葉 96年4号特別号

スワミ・アドブターナンダ:その教えと回想(9)

スワミ・チェタナーナンダ

     

    第八章 兄弟の僧たちとともに(1)

 ラトゥ・マハラージは、一八九三年、スワミ・ヴィヴェーカーナンダがシカゴでのアメリカ大博覧会の一環として開催された宗教会議への代表としてアメリカに出立したことを知った。彼はのちに言った。「私は、ホーリー・マザーからブラザー・ロレンがアメリカに旅立ったことを伺った。私は彼の様子を聞きたくてたまらなかった。師がお亡くなりになったあと、師がブラザー・ロレンのかがやかしい未来についておっしゃった予言はまちがっているという人びともいたが、私は彼らを決して信じなかった。私は彼らに面と向かって言ってやった。『師がそう宣言なさったからには、あなたがたにもいつかわかるだろう、それは言葉のはしばしにいたるまですべて実現するだろう。いつの日か、彼は私たち全員を超えるだろう』そして、ついに、スワミジーのアメリカでの活躍が新聞に載ったとき……おお、私のよろこびをどうやって表わすことができるだろう!」

 ギリシュ・ゴーシュは言った。「ラトゥはよく私の所に来て、アメリカでのスワミジーの華々しい活躍をことごとく聞きたがった。彼のふるまいはまるで子供で、信頼と感激でいっぱいだった。スワミジーの講演が最良のものとみなされたのだと教えてやると、彼は少年のように大よろこびに笑って、言った。『あたりまえのことです。彼には十八の力がその最高の形態ではたらいている、と師はおっしゃったではありませんか? それ以外になりようがありません。師の予言がまちがうはずがありますか?』ある日、彼はあまりのよろこびに我を忘れて叫びました。『彼に手紙を書いて下さい。「おそれることはありません、師があなたをまもっていて下さいます」と』そして別の人に彼は言いました。『見てごらん、師が「偉大になる」と目印をおつけになった人が、隠れたままでいられるかね?』」

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、一八九七年二月十八日、西洋からカルカッタに戻った。その日の昼、彼はバグバザールのパスパティ・バスゥの家に行った。兄弟弟子たちやその他の人びとが彼に会いにそこに行ったが、ラトゥ・マハラージは屋内に入らなかった。スワミジーは、ラトゥ・マハラージはどこかと尋ね、彼が戸外の群衆の中にいると知ると、自身で彼をさがそうとした。

 ある信者が、そのあとの話をラトゥ・マハラージから聞いた。「スワミジーが西洋から戻ったとき、西洋の弟子たちが数人、彼と一緒にいた。西洋人を弟子にしたりして、スワミジーはいささかうぬぼれてしまったのかもしれないと思い、私は彼に会いに行かなかった。しかし、スワミジーは私を見つけ出して、私と話した。彼は私に尋ねた。『他の者はみな来た。なぜ君は来なかったのか?』私は答えた。『あなたは今や男や女の西洋人の弟子をかかえている。私はあなたが私をおぼえているのかどうか、いぶかったのだ』彼は私の手をにぎりしめて言った。『君は私の同じ昔のブラザー・ラトゥだ、そして私は君の同じ昔のブラザー・ロレンだ』それで、彼が以前と同じように私たちを見ていること、名声も地位も彼の私たちに対する愛をそこなわなかったことが私にはわかった。彼は、食事を一緒にしよう、そばにすわらないかと私をさそった。それで、私はスワミジーの心が自尊心でくもらされてはいないことを確信した。その上、カルカッタに着くとすぐに、彼は高価な洋服をやめて二ルピーのチャダール〔ショールにする布〕と二ルピー半の靴を前と同じように身に着けたことに私は気づいた。彼は、偉大な名声と栄光を四散させたのだ。「『スワミジーのカルカッタ到着のおよそ十日後、彼らはショババザールのラジャの邸宅の前庭で盛大な会合をもよおした。私がスワミジーの講演を聞いたのはこれが初めてだった。私は、彼の人びとへの感化力が非常に強まっていることに気づいた。彼が話すにつれ、聴衆が強烈に感動するのを見たからだ』」

 一八九七年五月一日、スワミ・ヴィヴェーカーナンダによってカルカッタで会合が召集され、そこでラーマクリシュナ・ミッションが初めて組織されるとともにその理念が掲げられた。その会合のあと、スワミジーの兄弟弟子の一人が、このアイディアはシュリ・ラーマクリシュナの教えとあいいれるのかと質問した。ラトゥ・マハラージは回想している。「ブラザー・ヨギンがスワミジーに言った。『会合をひらき、講演をし、慈善活動をおこなう――これらは西洋風の考えかたで、エゴをそだてるだけだ。師はこのようなことを私たちにお教えになったのか?』「スワミジーは非常に真剣になって言った。『これが師のお考えでないとどうしてわかるのだ? 彼の思想は無限だ。君は彼を君のせまい知性の領域の中に制限したいのか? 私はそれをゆるさない。私はいかなる制限も打ちやぶり、彼のおおらかな思想を世界にひろめる。彼は決して、私に彼の写真への礼拝を説いてくれ、とおたのみにはならなかった。瞑想すること、祈ること、彼の高貴な力づけられる理想を私たち自身の人生の中で実現すること、そしてまたこれらの思想をひろい世界に伝えること、これらが彼が私たちにお教えになったことだ。「『おそらく、君は私が新しい宗派をおこそうとしていると思っているのだろう。ちがう、まったくそうではない。恵まれたことに、私たちは彼の神聖な御足のもとに守護されている。私たちは、制限をもうけることなく万人にひとしく彼のすばらしい思想をまきちらすために生まれたのだ。「『見てくれ、ブラザー、私は彼の恩寵を何度も何度も感じてきた。私は、私の背後に立ってこれらのことすべてをやるように仕向けておられるのは彼なのだと言うことをひしひしと感じた。ヒマラヤの小道で飢えて気をうしなったとき。身にまとうぼろ布もなかったとき。無一文なのに西洋に行くことにしたとき――このような場合のすべてに、私は彼のあふれる恩寵を感じた。そしてまた、アメリカの大通りが、このヴィヴェーカーナンダをひとめ見ようとつめかけた群衆であふれんばかりになったとき、そんなときにも彼は私に恩寵を浴びせて下さった、そして崇拝にも似た名誉と敬意の影響のもとにあっても私に冷静さを保たせて下さったのだ。いたるところで私に成功がついてきたのは、彼のおかげなのだ。「『そして今、私はこの国のために何かしたいのだ。疑念を捨ててくれ、そしてこの仕事で私を手伝ってくれ。君にもいつかわかるだろう、彼のご意志によって、全人類は利益を得るのだ』「すると、ブラザー・ヨギンは言った。『私たちは誠心誠意、君の主導にしたがってきた、しかし、本当のことを言うと、ときどき疑いをもつのだ。私たちの見るところ、師のなさり方はちがっていた。そして私たちは彼の教えから外れようとしているのかもしれないと思うのだ。ただただ心配なばかりにこう言うのだ』「スワミジーは答えた。『私たちの師は、君が思うほど狭量ではない。彼の生涯は実に偉大で、彼の思想は無限なのだ。自分は彼を理解した、などと誰が言えるか? 彼は無比の存在だ。有限なものは決して、無限をつつみこむことはできない、そして彼はいかなる点でも無限であられたのだよ。彼は、決意なさっただけで、またたく間に百万人のヴィヴェーカーナンダをつくることがおできになる。私がもう仕事をしないと言ったら、私は休ませてもらえると思うか? 彼は、この肉体と心を彼のお道具として欲していらっしゃるのだ。彼はこれらをとおして仕事をなさりたいのだ。それに服してしたがう以外に私に何ができよう?』「スワミジーとブラザー・ヨギンとのあいだでかわされたこの対話は、私たちの目をひらき、そして師のお言葉が私の心にぱっとひらめいた。『薄ぐらいランプのような者たちもおり、あかるいランプのような者たちもいる、そして、またたく星のような者も一人二人いる。しかし、私のナレンはまぶしい太陽だ。彼の前では他の者はみな、かすんでしまう』「ある日、私はブラザー・ロレンに言った。『ブラザー、なぜこのような活動すべてを始めたのか? 私たちの瞑想や祈りのさまたげにならないだろうか?』「彼は私にほほえんで言った。『このような仕事すべてになぜ私が着手したのか、どうしたら君にわかるだろうか? 君はのろまだ。プララーダのように、カーの字を見ただけで君は涙を流す(*注)。君たちはみなバクタ〔帰依の道をあゆむ者〕だ。君たちにこの仕事の何がわかる? 君たちは赤ん坊のようにむずかって泣くことしかできない。君たちは、泣くことによって救われる、最後の日には師が来て天国につれていって下さる、それからそこで心ゆくまで楽しむことができる、と考えているのだろう! そして、知識を得るために聖典を学ぶ者、人びとに正しい道を教え、病み苦しむ人びとを救うために働く者はみな地獄に行く、こんな仕事はみなマーヤーなのだから、と言うわけだ。まったくすばらしい考えだ! 人類に善をなすことはよけいなお世話で、こんなやっかいな活動によっては神に到達することはできない、とは。これが君たちの見方なのだろう、そうではないか? まるで神のさとりがとても簡単なことであるかのように――君たちが神を呼ぶ、すると神がやってくる! ただ神の画像を祭壇においてその前に花を二、三輪投げる人の前に神があらわれるのかね? それを教えてくれ』

 (*注)ヒンドゥー教典にプララーダの物語がある。プララーダは、主の偉大な信者であり、彼の父、ヒランヤカシプーはデモンの帝王であった。プララーダが学校でアルファベットを教わっているとき、第一文字であるカーの音を聞いて、彼は主クリシュナの名を思い起こし、恍惚境のうちに涙を流した。「私は仰天してものも言えなかった。もう一人の兄弟弟子が私の考えに口ぞえしようとしてもごもご言ったが、はげしいけんつくを食った。スワミジーはつづけた。『ああ、君たちが帰依と呼んでいるものは、人間をよわよわしくするだけの感傷的なナンセンスだ。誰がそんな帰依をしたがるものか。人間を自己中心的にし、自分自身の救済にこだわるあまり、心が他に向かわないようにさせる、そんな帰依を私はいっさい信用しない。私は一人の真実の人間をそだてるためなら千回でも地獄に行ってやる、だが、君たちのするような帰依のとびらからは決して天国に入りたくない。私はそのような種類の救済は好きではない。君たちのシュリ・ラーマクリシュナがそんな教義を説いているのなら、私は彼の言うことを聞く耳をもたない。おぼえておいてくれ! 君たちも知ってのとおり、ある日、私はおろかにも師にこの種の帰依と救いを求めた、すると彼は私をおしかりになって、私のことを利己的で心がせまいとおっしゃった。君たちの言葉にまどわされるものか。私は彼がおっしゃったとおりに働く。自分の救いなどという考えを捨てて、他者の善のために働く用意のあるものは、私が彼のしもべであるとわかってくれる』「ブラザー・ヴィヴェーカーナンダは涙をあふれさせて部屋を出ていった。そのとき私たちはとても悲しんだ。なぜ私たちは彼と議論したのだろう? 師が彼を私たちの指導者になさったのだ。私たちのなすべきことは彼にしたがうことなのだ。「翌日、彼が一人でいるところを見つけて、私は彼に言った。『ブラザー、私がばかだった。私の言ったことを気にやまないでくれ』」

 一八九七年に、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはラトゥ・マハラージと他に数人の兄弟弟子や僧たちをつれて北インドへの旅に出た。彼らは、アルモーラ、アンバーラ、アムリツァー、カシミール、ラホール、デーラ・ドゥン、デリー、アルワール、ケトリ、ジャイプールをおとずれた。ずいぶんあとになって、ラトゥ・マハラージはある人に語った。「スワミジーのために小さなことでも尽くしてあげれば、彼はそれを大きな献身と思い、決してわすれなかった。アルモーラでバドリ・シャーの家に滞在していたとき、一度、スワミジーは突然会話を中断し、通りに走り出てファキール(イスラム教の修行者)の手に二ルピーをにぎらせた。私はおどろいて尋ねた。『なぜあの人にお金をやったのか?』彼は答えた。『いけなかったか? あのファキールは昔、私の命をすくってくれたのだ。私がこの町で飢えて気をうしない、道にたおれていたとき、私にキュウリを食べさせて意識を戻してくれたのが彼なのだ。どう思う、レト? わずかの硬貨で、いったいあの恩にむくいることができただろうか?』」

 カシミールに滞在しているとき、スワミジーはハウスボートを借りた。主人とその家族は、ボートの一角を家屋に使っていた。ラトゥ・マハラージはこれをうれしく思わなかった。一行の中で彼は最初にボートに乗り込んだが、船内に女性がいるのを見た瞬間、また外に飛び出してきた。スワミジーは事態を察したが、いくらラトゥ・マハラージを説得しても、彼は女性と一つのボートにいてはならないと言い張った。ついにスワミジーが言った。「君と一緒に私がいる。何をこわがることがある? 何も起こらないよ」それでやっとラトゥ・マハラージは承知した。

 ある日、スワミジーは面白がって、主人の若い娘に、ラトゥ・マハラージにベテルロール(訳注=ビンロウジの種子を葉でまいたもの。口内清涼剤としてかむ)をやってくれと頼んだ。ラトゥ・マハラージは、スワミジーが本当は彼をからかっているのだということはわかっていたが、彼はこの種の悪ふざけがきらいだった。その結果、泳げないのに彼は迷わず船べりから氷のような水に飛び込んだ。スワミジーは離れた所から見ていたが、これほど極端な反応を予期していなかった。彼は主人の助けを借りて救助にかけつけ、ラトゥ・マハラージを水からひっぱりあげた。世慣れた人間にはこのようなふるまいは極端に思えるかもしれないが、ラトゥ・マハラージはおもてうらがなく純粋であったので、僧としての生活信条をまったく完全につらぬいたのである。

 ここで強調しておきたいが、シュリ・ラーマクリシュナは決して、弟子たちに女性を嫌悪せよと教えたのではない。そうではなく、放棄すべきは色欲であると教えたのである。彼は弟子たちに、あらゆる女性を母なる神のあらわれと見よ、と教えた。宗教の歴史上、シュリ・ラーマクリシュナほど女性に対して敬意をはらった師はいない。同時に、彼は女性の弟子たちにはすべての男性を父なる神の化身と見よ、とすすめた。

 カシミールに滞在していたある日、スワミジーはラトゥ・マハラージに調理ずみの飯と肉を自分に買ってきてくれと頼んだ。当時、ラトゥ・マハラージは肉食を断っていた。スワミジーがラトゥ・マハラージも肉を食べるべきだと主張するかもしれないと考えて、彼は言った。「あなたに飯と肉を買ってくることはよろこんでやるが、いいね、私自身は食べないよ」スワミジーはラトゥ・マハラージにそれなら買ってこなくてもよいと言ったが、とにかく彼は店に行ってスワミジーに食料を買ってきた。


| HOME | TOP |
(c) Nippon Vedanta Kyokai