不滅の言葉 96年4号特別号

ホーリーマザーのもとで(1)

サラジュバラ・デヴィ記(1)


ホーリーマザー(シュリ・サラダ・デヴィ)

      

    はじめてお目にかかったとき

 金曜日の朝、ショカハランが私たちのパタルダンガハウスにやってきて「あした、ホーリーマザーにご挨拶にまいりますから、どうぞ準備をしておいて」といいました。あした、ホーリーマザーにお会いできる! その夜、私は一睡もできませんでした。一九一一年年のこと、それまで私たちはカルカッタに十四、五年間住んでいました。この長い歳月のあと、やっとホーリーマザーは私にあわれみをおかけくださったのでしょうか。

 翌る日の午後、私は車を雇ってブラフモ女子学校に妹のスマティを迎えに行き、それからホーリーマザーにご挨拶にうかがいました。そのときの私の夢中な思いを言葉にあらわすことはとてもできません。私たちが着いたとき、マザーはバグバザールの家の彼女の礼拝室の入口に立っておられました。一方の御足を敷居に、もう一方の御足はマットの上に置いておられました。頭はヴェールで覆われてはおらず、左手を上げてドアにおき、右手は下げ、上半身も裸のままで、目をじっと前方に向けておいででした。私たちが御足のちりを取ったとき、彼女は、私は誰か、とお尋ねになりました。スマティが「私の姉でございます」と答えました。彼女は前に何度かここを訪れたことがあったのです。それからマザーは私を見ておっしゃいました「ごらんなさい、私がどんなに困っているか。兄嫁、姪、ラドゥ、みんな熱を出して寝込んでいます。いったい誰が側にいて世話をするというのでしょう。でも私の娘よ、この服を洗濯してくるあいだ、座って待っていてください」。私たちは座りました。しばらくして彼女は神に捧げられたお菓子のおさがりを持って帰ってきて「どうぞ私の義理の娘(スマティ)にも分けてあげて、あなたもおあがりなさい」とおっしゃいました。スマティは学校に帰らなければなりませんでした。そこですぐに私たちはマザーにていねいにおじぎをして帰りました。マザーは「どうぞまたおいでなさい」と言ってくださいました。私はたったの五分間ほど彼女にお会いしただけでした。それは十分ではなく、私は満たされない思いを抱いて家に帰りました。

    一九一一年二月一三日

 この日、ホーリーマザーはバララーム・バブーの家におでかけになっておられました。私はお帰りになるまでバグバザールのマザーの家でお待ちしていました。私がおじぎをして頭を上げると、彼女は笑みをうかべて「誰と一緒に来ましたか」とお訊きになりました。

 「甥と一緒でございます」

 「元気でしたか?」とマザーはお尋ねになりました。「義理の娘(スマティ)も元気ですか?(注=ホーリーマザーはこのような親密な関係を彼女の子供たち(信者)とのあいだにつくっておられた。「出版者注」)長いことここに来ませんでしたね。あなたが病気ではないかと心配していたのですよ」

 私はびっくりしました。彼女が私をごらんになったのはあのときだけ、しかもたったの五分ほどでした。それなのに私のことを覚えていてくださったのです。うれしさに涙があふれました。

 愛情をこめて私を見つめながら、マザーは「あなたが来ていたので、それできっと私はバララーム・バブーの家で落ちつかなかったのでしょう」とおっしゃいました。

 私はほんとうに驚いてしまいました。

 スマティから、マザーの幼い甥(クディ)のための毛糸の帽子を二つことづかってきていましたので、彼女にさしあげました。その小さな贈り物は彼女を非常によろこばせました。彼女はご自分の寝台のうえにお座りになっておっしゃいました、「ここにおいでなさい、私のそばにお座りなさい」

 私が横に座ると彼女は愛情をこめておっしゃいました、「私は、ずっと前からあなたを知っていたかのように、前に何回も会ったことがあるような気がするのですよ」

 「どうしてでしょうマザー、私はたった一度だけ、それも五分くらいお会いしただけでしたのに」と私は言いました。

 マザーは笑って、それから私と妹の愛と信仰を褒めてくださいました。

 だんだん大勢の婦人たち、みなマザーの信者、が到着しはじめました。彼女たちはみな、愛でとろけたように、マザーの笑みを浮かべた慈悲深いお顔を見つめていました。私はこのような光景を見たことがありませんでした。迎えの車が到着して人が呼びに来たとき、私はすっかり魅了されてこれらのすべてを見ておりました。マザーはすぐに立っておさがりのお菓子を少し手に取ると、食べさせようと私の口元に押しつけになりました。私は恥ずかしがってそれを手にいただきました。お別れを言って帰ろうとすると、「さあ、お帰りなさい。でも、またいらっしゃい。ひとりで下に降りられますか?いっしょに行ってあげましょうか?」と、階段のところまで来てくださいました。

 「マザー、ひとりで大丈夫です」と私は答えました、「どうぞおいでにならないでください」

 「そうですか」彼女はおっしゃいました「それではいつか朝においでなさい。

 私は彼女の不思議な愛のことを思いながら、このたびは満たされたハートで家路につきました。

    一九一一年五月一四日

 今日マザーにお目にかかりに行ったとき、私がおじぎをした瞬間、彼女は不満をおもらしになりました。「やっと来ましたね。どうしたのか心配していたのですよ。どうして来なかったのですか? ねえ、どうしてだったの?」

 「私はここにおりませんでした、マザー」と私は答えました「父のところへ行っていたのです」

 マザーは私の家族についてお尋ねになり、それから「今日は何と暑いのでしょう」とおっしゃいました。言いながら彼女はうちわを私の手に渡し、それから「それではあなたはあわてて食事をしてここに来たのですね。かわいそうに、私の近くに横におなりなさい」とおっしゃいました。

 マザーのために床に敷物がしかれていました。それに気づいて私は彼女ご自身のベッドに寝るのを遠慮しました。「かまいませんよ、ここに休みなさい」

 とうとう私は横になり、彼女が居眠りなさったので、静かにしておりました。ちょうどそこに二人の女性の信者が二人の尼僧とともに到着しました。一人は年かさ一人は若い女性でした。目は閉じたままで「ゴウルダシですか?」とマザーがお尋ねになりました。

 「どうしておわかりになったのですか、マザー」と若い方の女性が訊ねました。

 「そう思ったのです」マザーはお答えになりました。しばらくしてから彼女は座りなおされました。

 「私はベルール僧院へ行ってまいりました」と若い女性が言いました。「プレマーナンダ・スワミジがご馳走してくださいました。あのお方がいらっしゃると誰も食べないで帰ることはできません」

 マザーは若い女性が額に赤いしるしをつけていないことに気づいて、やわらかくおたしなめになりました。

 あとでゴウリ・マー(ゴウルダシ)はマザーから私のことを聞いて、彼女のアシュラマに招待してくださいました。

 「私たちはそこで五、六十人の少女たちを教えています」と彼女は言いました。「あなたは裁縫ができますか?」

 「ええ、少しなら」と私は答えました。そこで彼女は私が知っていることを少女たちに教えるよう頼みました。

 マザーのお許しを得て、私は一度ゴウリ・マーの学校を訪ねました。彼女は私をとても親切に迎えて、毎日二時間来て少女たちに教えるよう熱心にすすめました。私は「私の貧しい知識で先生になるなどとんでもございません。でも、あなたをよろこばせるためにアルファベットを教えることくらいなら、もちろんできるでしょう」と答えました。

 しかしゴウリ・マーは私を離しませんでした。とうとう私はうなずかざるをえませんでした。

 ある日私は学校の後で、ゴウリ・マーのアシュラマから直接、マザーに会いにゆきました。夏のことで、その日私は少し疲れていました。彼女は部屋の中で大勢の女性の信者たちに囲まれておいでででした。私がおじぎをするやいなや彼女は私の顔を見て、すばやく蚊帳の上からうちわを取って私をあおぎはじめられました。「すぐに上着を取りなさい。風でからだを冷やさなければ」と心配そうにおっしゃいました。私は大声で「どうぞ私にうちわをお渡しください、自分であおげますから」と言いました。それでも彼女は愛深く「かまいません、気にしないで、まずあなたを冷やしてあげなくては」とおっしゃいました。彼女はおさがりのお菓子と水の入ったコップを私に持ってきてくださるまで、おやすみになりませんでした。学校の車が待っていましたので、私はいくつか言葉を交わしただけでおいとましなければなりませんでした。

    一九一一年八月三日

 この朝、私は必要な品物をいくつかたずさえて、イニシエーションを受けるために、マザーのところへまいりました。私はゴウリ・マーから、私のために必要な物と彼女にもってゆくべき物とについて聞かされていました。私たちがマザーの家に着いたとき、彼女は深い祈りと礼拝のなかに没入しておいででした。しばらくして目をお開きになると、彼女は私たちに座るようしぐさでお示しになりました。礼拝が終わると、ゴウリ・マーは私のイニシエーションのことを言いました。私はそのことについてマザーとすでに話し合っておりました。しばらくして彼女は私に「敷物を持ってきて私の左に座りなさい」とおっしゃいました。

 「マザー」私は言いました。「私はまだガンガで沐浴を済ませておりません」

 「それはかまいません」とマザーはお答えになりました。「服は着替えてきたのでしょう」

 私は彼女のおそばに座りました。心臓がドキドキしました。マザーはみなに部屋から出るようお命じになりました。それから「夢の中で何を受けたか言ってごらんなさい」とおっしゃいました。

 「書きましょうか、それとも口で言いましょうか」

 「言ってごらんなさい」

 イニシエーションのとき、マザーは私が夢のなかで受けたマントラの意味を説明してくださいました。「はじめにそのマントラを唱えなさい」、それから彼女は新しいマントラを言って「おわりにこれを唱えて、それからそれを瞑想しなさい」とおっしゃいました。

 マントラの意味を説明なさるまえのわずかの間、マザーが瞑想のなかで忘我の状態におはいりになったことに私は気づきました。彼女がマントラをお授けになったとき、なぜかわかりませんでしたが、全身が震えて、私は涙をながしました。マザーは赤い白檀のペーストをとって私の額に大きなまるいしるしをおつけになりました。私はいくらかのお金をダクシナとして祭壇の師に捧げました。おわりにマザーはゴラプ・マーを呼んでお金をお渡しになりました。

 イニシエーションのあいだマザーのお顔はとても荘重でした。礼拝用の敷物から立たれたあとで彼女は「瞑想をし、マントラを繰り返し、しばらくお祈りをしなさい」とおっしゃいました。

 私はそのようにし、最後に起きあがって、それから彼女の御足にひれ伏しました。彼女は私を祝福して「あなたが信仰を得ますように」とおっしゃいました。私は心のなかでさけびました、「どうぞ忘れないでください、あなたのお言葉をお忘れにならないでください。私をお見捨てにならないでください」

 マザーはガンガへ沐浴に行こうとしておられました。ゴラプ・マーもご一緒なさるところでした。私はマザーの着替えとタオルを持ってお供しました。彼女がちょうど河にお入りになったときに小雨が降りはじめました。沐浴されたあと、彼女はブラーミンの神職にバナナとマンゴーと小銭をあげて、「私がくだものを差し上げましたが、恵みはあなたのものになりますように」とおっしゃいました。ああ、神職者よ、あなたにこれらのものを差し上げられたお方がどなたであるかも、あなたが聞いたお言葉がどんな意味をもっているかも、あなたはご存知ないでしょう。……

 マザーは私の手から乾いた服を受けとり、あとで濡れた着物を渡してから、「さあ、行きましょう」とおっしゃいました。

 ゴラプ・マーが先頭を歩き、マザーが二人の間を、そして私は後ろに従いました。マザーはガンガから汲んできた水の入った小さな水差しをお持ちで、途中のすべてのバンヤンの木の根元に水を注いでおじぎをなさいました。家に着いたとき、ゴラプ・マーはガンガの水を汲んできた水差しを置きに礼拝室にゆかれました。階下には水槽の横に水差しが置いてありました。マザーはそこで足をお洗いになり、それから私に「あなたの足にも泥がついています、ここでお洗いなさい」とおっしゃいました。私は水がないかまわりを見まわしました。すると彼女は大声で「どうして私の水差しをつかわないの」とおっしゃいました。

 「しかし、そのお水はあなたがお使いになったことによって、聖められております」と私はこばみました。(注=インドの習慣では、尊敬すべき人がさわった水で足を洗ってはならないとされている)

 「最初に数滴あなたの頭にふりかければだいじょうぶでしょう」とマザーはおっしゃいました。

 私の気持ちは彼女のようにシンプルに働くわけではありません。「そんなことはできません」と私は答えました。私は他の器を持ってきて水槽の水で洗いました。マザーは私を待っておられました。それから私たちは二階にゆき、神に捧げたお菓子のおさがりを二枚のサルの葉のお皿に盛りつけて、ひとつを私に、もう一つを彼女ご自身がおとりになって、ここに座ってお食べなさいとおっしゃいました。

 だんだん大勢の婦人たちが集まりはじめました。私はそのなかの誰も知りませんでした。彼女たちはみなお昼のプラサード(おさがり)をいただくのだということでした。捧げものが終わったあと、私たちは皆おさがりをいただくために席につきました。マザーも彼女のお席にお着きになりました。彼女は三度ごはんを唇でさわって私を呼び、それを私に下さいました。私はいただきました。いまでも不思議に思うほどの香りが鼻孔にただよったのでした。あとで彼女がお捧げになった食べものが全員に配られました。ゴラプ・マーがみんなに配り、最後に自分も座ってお食べになりました。マザーはいまは笑ったり話しをしたりしながらお食べになっておられます。それを見て私は安心して溜息をつきました。というのはイニシエーションのときからずうっと、私には彼女が別人――神聖で、心が内に集中し、罰したり祝福を与えたりできるほんとうの女神さま――のように思えていたのです。私は畏敬の念にうたれてすくんでいたのでした。この出来事のあと、私は彼女が大勢の人たちにイニシエーションをお与えになるのを見ました。すべては三、四分で終わり、あの神聖なムードを見ることは二度とありませんでした。彼女はたびたび弟子たちに、立ったままで、あるいは座って、笑いながらイニシエーションをお与えになったものでした。彼女たちも幸福そうに満足して、すぐに帰ってゆきました。好奇心から私は他の弟子たちに、イニシエーションのときに彼女がどんなふうに見えたか、聞きました。ひとりの未亡人がいちど私に話してくれました。「ええ、ふだんとかわりませんでしたよ。私は(家の)世襲のグルからイニシエーションを受けておりました。マザーのことを聞いたとき、私はここにきてイニシエーションを受けたのです。彼女は世襲のグルから授かったマントラを十回唱えてごらんなさいと指示なさいました。それから彼女のマントラをお与えになりました。そして師を指して『彼がグルです』とおっしゃいました。それから別の神様のお姿を見せて、『これがあなたの理想神です』とおっしゃいました。そのあと彼女は『師よ、今生においてこれまでにおかした罪と、過去世においてなした罪のすべてを、どうぞお取り除き下さい』と祈るようお命じになりました」。それから彼女は続けました、「どうぞ私のどこに問題があるのかおっしゃってください。どんなにやってみても私は三〇分以上お祈りを続けることができないのです。何かが座っている私を押しのけでもするかのように感じるのです。あなたにもこんなことが起こりますか? 私はマザーに話したいことがいっぱいあります、でも何も言えないのです。あなたはマザーと自由にお話しなさっているようですね。彼女は私を避けていらっしゃるのでしょうか」――私はこのようなことを聞かなければよかったと思いました。質問をなさった婦人はかなり高齢の方でとても率直に話されました。私は「どうして言いたいことをなんでもおっしゃらないのですか。何日か修行なさればきっと彼女の前で安心できるようになりますよ。はじめは私たちもお互いに自由に話すことができませんでした。いまでもときには、彼女がとても重々しく見えて、近寄りがたく感じるときがあります」と言いました。

 日が傾いて、集まっていた婦人たちは一人また一人とマザーにご挨拶をして帰ってゆきました。

 しだいに夕暮れがせまってきました。マザーはお祈りのために礼拝室に来るよう、ラドゥ、マク、そして他のものたちをお呼びになりました。かれらが遅れると、彼女は「ごらんなさい、夕拝に来ずに、あの人たちがどんなふうにウロウロしているかを」とご不満をおもらしになりました。まもなくかれらもやってきました。

 ゴラプ・マー、ヨギン・マーはじめ他の幾人かがマザーにご挨拶にやってきました。彼女は御手を彼女たちの頭におおきになり、あるものにはあごにふれ、あるいは接吻をし、また他のものには手を合わせて挨拶をして祝福なさいました。それから彼女は師におじぎをし、敷物をしいてジャパのためにお座りになりました。マザーがジャパを終わられてお立ち上がりになるまでに、ランプに火がともされて夕拝の準備が整えられました。


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