不滅の言葉 96年3号

スワミ・アドブターナンダ:その教えと回想(8)

スワミ・チェタナーナンダ

     

第七章 修行の日々

 バガヴァッド・ギーター(九・二二)の中でシュリ・クリシュナは言う、「私を礼拝し、集中して私を瞑想し、一瞬一瞬私に帰依するならば、私は望みをすべてかなえてやろう」シュリ・ラーマクリシュナへの全面的な信頼が、ラトゥ・マハラージの人格の根幹であった。師が肉体として存在しているあいだ、ラトゥ・マハラージは彼の要望に絶対的に従っていた。師の没後、彼が師の導きをどのように受け止めていたかということは、私たちの理解の及ばないところである。彼自身、あるときこう言った、「私のようなおろかな人間が、生涯のあの時期(シュリ・ラーマクリシュナの没後)にどうやってきびしい修行を始めることができたでしょうか? 私が修行について何を知っていたでしょう? このような鍛錬すべてを手ずから導いて下さったのは、彼なのです」

 一八八六年に師が亡くなってから、一九一二年にヴァラナシに移って永住するまで、ラトゥ・マハラージはほとんどずっと、カルカッタ地区の、師が滞在した場所やしばしば訪れた場所から遠くない所で暮らしていた。しかし、都会でも彼は遊行僧の生活をし、人にも場所にも執着はしなかった。一九〇三年、バララーム・ボースの家に居を定めるまで、彼がわが家と呼んだ場所は一か所もなかった。ときどき、彼は師のさまざまの在家信者の家庭に滞在したが、ほとんどの場合はガンガーの堤防で質素に暮らしていた。彼はしばしば、いろいろな信者たちから食物やわずかの硬貨や最低限の必需品をもらっており、一方、信者たちはこの修行者に奉仕することをありがたいことと感じていた。その時期、彼は僧院に滞在することもあった。

 あるとき、一人の信者がラトゥ・マハラージのところに来て、ほどこしを乞うようなことはもうしないで、在家の弟子たちに必需品を用立てさせてくれ、と頼んだ。はじめ、ラトゥ・マハラージは、食物を乞うのは僧の生活の方法の一部だと言ってこれを拒んだ。しかし、彼の兄弟弟子であるスワミ・ブラマーナンダがこの信者にそう頼むようにすすめたということを知って、彼は折れた。そのとき以来、彼は信者たちからの奉仕を受けるようになったが、どうしても必要なもの以外は決して受け取らなかった。

        * * *

 あるとき、ギリシュ・ゴーシュがある信者に言った、「ギーターに書かれているような僧に会いたければ、ラトゥに会いに行きなさい」その信者は、ギリシュの言わんとするところがわからなかった。ギリシュは言った、「あなたはギーターの第二章を読んでいないのですね。確固たる知恵をもつ人の性質がそこに書かれているのです。そのような性質のすべてが、ラトゥの性格にあらわれていることがわかるでしょう」

 バガヴァッド・ギーターのこの有名なくだり、第二章の最後の部分は、明知の人について語っている。「逆境に心を乱さず、幸福を追い求めず、おそれを知らず、怒りを知らず、物欲を知らぬ者。私はその者を見者、明知の人と呼ぶ。「この者の肉のつながりは断ち切られている。幸運であっても嬉しがらない。不運であっても歎かない。私はこの者を明知の人と呼ぶ」

 シュリ・ラーマクリシュナの在家の弟子であったナヴァゴパール・ゴーシュもラトゥ・マハラージにこれと同じ資質を見出していた。「ひところ、ラトゥ・マハラージは私の家によく来ていました。彼が世間とのすべてのかかわりから遠ざかっていることは誰にでもわかりました。彼は個人的な欲望をいっさい持たず、だれに対する義理も負っていませんでした。彼は食物が来ても美味を楽しまず、あるいは食物がなくてもほしがったり苦しがったりしませんでした。ひと目見ただけで、彼がまったく無欲であることが誰にでもわかりました」

 つぎの話は、スワミ・シッダーナンダによって記されている。「実際に見たある信者が言った、『ラトゥ・マハラージはよく、手ぬぐいの端に干した豆を包んでガンガーに漬けていました。やわらかくなってからそれを食べていたのです。ある日、いつものとおり、彼は豆を漬けて、その上にレンガをのせて固定しておきました。そのときは引き潮でした。彼はすわって瞑想しましたが、あまりに没頭したので潮が変わったのに気づきませんでした。通常の意識に戻ると、河は満潮になっていました。彼の豆は! 手ぬぐいは流されてしまったのか、知るすべはありません。彼はじっとすわっていました。どうすることができたでしょう? ふたたび潮が引いたとき、彼は、豆を包んだ布切れがそのまま、置いた場所にあるのを見つけました。彼はそれを引き上げて、食べ始めたのでした』」

 後年、ラトゥ・マハラージ自身、カルカッタでの当時の日々を語っている。「私はいつもガンガーの堤防にいて、プリ(揚げパン)と、ポテトカレーか揚げた豆を常食としていた。そのころのある日、シャンティラーム・バブー(バララーム・ボースの義理の兄弟)が彼の家に滞在してくれと熱心にすすめてくれた。私は丁重に言った、『おわかりでしょうが、シャーンティ・バブー、私は沐浴や食事などの時間を決めていないのです。どうして私のせいで不必要に面倒な思いをなさることなどがありましょう。私は市場で求めたプリとカレーで十分満足しているのです』彼が何と言ったかわかるか? 『私どもはあのような大家族なので出費もかさみます、したがって、米が一ポンド、小麦が一ポンド減ったところで誰も問題にはしません。それに、ご心配は無用です――食事は昼と夜、あなたのお部屋に運ばせましょう、そうすればあなたはご都合のよいときに召し上がることができます。あなたにもご迷惑はかけませんし、私どもも迷惑ではありません』私はとても、彼にいやだと言う気にはなれなかった。

 「ある日、私は少しぼんやりしてバグバザールでワラを積んだ船にすわっていた。乗務員は私に気づかなかったし、私も船がいかりをあげたのを知らなかった。私は、船が川をさかのぼってダクシネシュワルを少し通り過ぎて初めて、何が起きているのかに気づいたのだ。船員に助けてくれと頼むと、彼らは私を船からおろしてくれた。カルカッタに戻る途中にダクシネシュワル寺院に寄ると、ラームラル・ダーダーがたくさんごちそうしてくれた」

 ラトゥ・マハラージはまた、そのころ起きた似たようなできごとについてある信者に語っている。「私はいつも日中はシヴァ寺院の近くの沐浴ガート(水辺におりるための場所、しばしば階段がついている)で過ごし、夜はバグバザールのチャンドニ(柱廊玄関)のテラスで過ごしていた。これらが、私の瞑想とジャパムの場だった」

 信者が尋ねた、「雨が降ったらどうしていらっしゃったのですか、マハラージ?」

 ラトゥ・マハラージは答えた、「そうだな、ガートの近くにいつも、からっぽの鉄道車輛がたくさんあった。私はよくそこに入り込んでいた。雨がやんだらまた出てくるのだ。あるとき、車輛に入っていると、いつのまにか車輛が機関車につながれてうごいていた。あくる日、何人かの運搬人がやってきて、私に車輛からおりてくれと言った。私がここはどこかと尋ねると、チトポルだと言う。どうすればよかったのか? 私はバグバザールのガートに歩いて戻らなければならなかった。それ以来、車輛に雨宿りをするのはやめにしたよ。雨が降ったら、テラスを離れて、チャンドニの片隅で雨宿りをした。チャンドニの巡査は私を知っていたから、私の邪魔はしなかった」

 ラトゥ・マハラージは回想している。「ブラザー・ヴィヴェーカーナンダが僧院から出発した(一八九九年、西欧への二回目の旅行)とき、私はそこにとどまる気になれなかった。私も出て、ウペン・バブーの印刷所に行った。彼は好きなだけそこにいなさいと言ってくれたのだ」

 ある信者が尋ねた、「どうしてよりによって、マハラージ、印刷所にいることになさったのですか?」ラトゥ・マハラージ「いけないか? 夜は非常に居心地がよかったのだ。私はいつも、紙を入れる大きな木箱の上に毛布を広げてゆったりと横になっていた」信者「しかし、おうるさかったでしょう、マハラージ」ラトゥ・マハラージ「ああ、確かに。しかし瞑想の邪魔にはならなかった。二、三人いた雇い人は私を大事にしてくれたし、よく助けてくれた。それにウペン・バブーは心から私を愛してくれた。だから私はそこにいたのだ」信者「あなたが印刷工などとつき合っていらっしゃったから、立派な人があなたのところに来なかったのです。そういう人間はみなやくざ者だったと聞いています」ラトゥ・マハラージ「そう、私は彼らとつき合っていた。しかし、なぜ人びとは彼らをやくざ者だと思ったのだろう」信者「彼らの多くはがらが悪かったし、酒や賭博に明け暮れていました。そうではありませんか? どうしてあなたがそんなやからと親しくなさらなければならなかったのでしょう」ラトゥ・マハラージ「しかし、彼らは偽善者ではなかった」

 この会話のときに居合わせたある人は、のちに日記にこう書いた、「ラトゥ・マハラージは人間を二種類に分けていた――欺瞞をいっさいしない人びとと、偽善的な人びととにである。彼は、単純で気取らない人には愛と親しみを示したが、識者ふうの偽善者とは距離を置いていた」

 バスマティ印刷所に滞在していたころのある夜更け、ラトゥ・マハラージが声を限りに叫んでいるのが聞こえた。「だまれ、デモンめ! 私を脅す気か、シュリ・ラーマクリシュナの子を? おまえの策略も脅しも無用だ――おぼえておけ!」こういった彼の怒号を聞きつけて、隣室にいた職人たちが彼のいる部屋に駆けつけると、彼は「英雄の姿勢」ですわっていた。これは、礼拝のときにとられる一つの姿勢で、勇敢さと決意をあらわす。彼の目はすわって、らんらんと輝いていた。彼がそれほどぞっとするような雰囲気にあるのを見て、彼らは何と言ってよいのかも、何をしたらよいのかも知らなかった。ようやく一人の男が勇気をふるい起こして尋ねた、「マハラージ、こんな真夜中に誰に向かって叫んでいらっしゃるのですか? ここには誰もいません」ラトゥ・マハラージは何も答えなかった。

 ラトゥ・マハラージはかつてある信者に言った、「求道者が一度サマーディを体験したからといって、その後何度でも、あるいは望むときにいつでも体験することができるとは思うな。それを一度しか味わったことのない求道者はたくさんいるのだ。一生のあいだに一度もそこに到達することのできない者はもっとたくさんいる。師は私に無限の恩寵を下さった。たった八年間、私に奮闘をおさせになったあと、ありがたいことに彼はあの境地にふたたび私を引き上げて下さったのだ。ある日、私はガンガーの堤防にすわっていた。そのとき、河を流れる水から光があらわれるのが見えた。光は次第に大きくなって、ついには天と地、そしてそのあいだの空間いっぱいに広がった。その限りない輝きの内部に、ほかの光が無数にあった。これを見て、私は完全に我を忘れた。次に何が起こったのかはわからない。しかし、そのすばらしい世界から戻ってきたとき、私は忘我のよろこびの境地にあった。何という至福だろう! 言葉であらわすことはできない。心の暗さはすっかり消えていた。私は、全世界が至福に、至福のみにみたされていると感じた」

        * * *

 カルカッタに住んでいたころに、ラトゥ・マハラージは幾たびか、インドの他の地方に巡礼した。一八九五年、彼はベンガルを南に下って、主ジャガンナートの壮大な寺院のある町プリへ旅した。一八九七年には、彼は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダとともにカシミールおよびインド北西部を旅した一行の中にいた。そして、一九〇三年、彼はヴァラナシ、アラハバード、および再度ブリンダーバンを訪れた。同じく一九〇三年には、プリへの二回目の巡礼もしている。後年、彼はプリで過ごした時期のことを語った。「プリの主ジャガンナートは素朴な木像の姿をした生きた存在だ。彼は各人に、各人独特の霊的な雰囲気と達成度に応じてあらわれる。私は彼に祈った、『主よ、あなたがチャイタニヤにお見せになったお姿、恍惚境の中で彼におびただしい涙を落とさせた、あなたの美しいお姿を私にお見せ下さい。私があなたの何を存じ上げているでしょうか? どうぞ私にあなたのお恵みを垂れて下さい』こんなふうに自分を投げ出して、私はそこにとどまって待った。すると、ある日彼は私の祈りに答えて下さったのだ。「私が主ジャガンナートにおいとまごいをしに行ったとき、私は二つの祈りをささげた。一つ目は、あちこちをさまよわずひとつ所に腰を落ち着けて主の瞑想に没頭できますように、ということ。二つ目は、食べたものは何でも消化することができますように、ということだった」

 ある信者が二つ目の願いのわけを尋ねると、ラトゥ・マハラージは答えた、「わからないか? サードゥは常にほどこしものを食べている。だからサードゥは不規則な時刻に食べるあらゆる種類の食物で肉体を維持しなければならない。消化力が弱いと、健康をそこなうだろう、そして霊的な実践の妨げになる。だから私はそういう恵みを乞うたのだ」

 別のとき、彼はジャガンナート寺院の壮大さについて語った。「ほかのどこにあのような巡礼地があるだろうか? あそこではすべてのものが平等なのだ。階級やカースト、宗派の区別がないのだ。これはささいなことだろうか? それに、あそこはとても便利がよい。二、三パイサあれば自分自身と客や友達全員のために、調理ずみの食べ物を手に入れることができる。料理人や料理のことを心配することは要らないのだ。もう少し払えば、彼らはプラサードをあなたの宿にきちんと届けてくれるだろう。あなたは完全に自由の身で霊的な実践に自分自身をささげることができる。その上、寺院は非常に大きいので、中のどこにでもあなた自身のための静かな場所をもつことができる。誰もあなたのことを気にしたりわざわざ邪魔したりすることもない。もっと静かな所がよければ、近くの浜辺に行けばよい。たくさんの修行者がそこで黙々とサーダナー(霊的な鍛錬)をおこなっている。シャンカラ、ラーマーヌジャ、そしてチャイタニヤはプリでサーダナーをおこなった。あそこは非常に神聖な所だ」


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