不滅の言葉 96年3号

 スワミ・サラダーナンダの思い出 (2)

スワミ・ブテシャーナンダ

  

 おなじ信者がのちに、世間を放棄したいと言った。マハラージは彼に「君は世間を放棄したい。でも私はまだそこまでできていないのだよ」それから彼の温かい服を指して「ごらん、私が何枚の服で自分を覆っていることか!」とおっしゃった。それは冬のことで、サラダーナンダジはリューマチの傾向をおもちだったので、温かくするためにたくさんの服が必要だったのだ。彼はおつづけになった、「私は一枚の衣服だけで北インドじゅうを放浪したときもあった。しかしいまではごらんのように何とたくさんの服で身をつつんでいることか! それでどうして世間を放棄することができたなどと言うことができよう?」

 この言葉をどの程度その紳士が理解したか、私にはわからない。「世間」という言葉でマハラージが肉体意識を意味しておられたことは明らかだ。肉体と自己とを同一視するかぎり――それは肉体を「私」と「私のもの」と感じることであるが――この世界は存在しつづける。世間の放棄とは家を出たり、親族から離れて住むことではない。世間は家族や親類だけでできているわけではなく、私たちの肉体をもふくんでいるのだ。「私と私のもの」という意識が私たちをこの世界に縛りつづけるのである。おそらくそれがマハラージが言おうとなさったことであったのだろう。もちろん、このことでそれ以上の細かい説明はなさらなかった。

 私たちは彼の小さな部屋でつづけられたすべての会話のなかから、しばしば、このような霊的指導のきらめきを得たものだった。そのとき、もし私がそれらを書きとめておいたなら、すばらしい宝物になっていたことであろう。ああ、私はそのようなことを何もしなかった。当時私は若すぎたし未熟だった。なぜこれらすべてを書きとめなければならないのか、聞きたいときにはいつでも聞くことができるではないか、と思っていた。このようなことがいつまでもつづき得るものではないこと、そしてこれらの貴重な霊性の指導を得ることが後には難しくなるということに、そのときの私は思い至らなかったのだ。

 とにかく、スワミ・サラダーナンダジの態度や個性は私たちの若い心に深い印象をもたらした。修道生活のなかで私が受けた恵みはなんであれすべてシュリ・ラーマクリシュナの恩寵を通じてもたらされた――そしてその恩寵は彼の直弟子たち、ことにサラダーナンダジという媒体を通してもたらされたのである。私がシュリ・ラーマクリシュナの直弟子のかたがたに親しく近づくことができたのは幸運であった。しかしサラダーナンダジとのかかわりはおのずからより一層親密なものであった。それだからおそらく私への彼の影響は他の方々のそれよりも大きかったのだろう。

 僧団にはいった後、ブラフマチャーリアの戒を受けようという願いが生じたときに、私はスワミ・サラダーナンダジのところへ行ってそのことを話した。笑いながら、彼は即座にその考えを受け入れて、「私は戒を与えない。マハプルシ・マハラージ(当時僧団の長であった)がお与えになる。ベルール僧院へ行って彼に話しなさい」とおっしゃった。「私はマハプルシ・マハラージに近づくのはおそろしゅうございます。あの方には伝えることができないかもしれません」と私は言った。マハラージはおもしろがって、「何だって? どうして彼をこわがらなければならないのだ?」それから間をおいて「よし、行ってギヤン・マハラージに言いなさい」とおっしゃった。私は「彼に言って何になるのですか、認めてくださらないことはわかっています」と言った。「私が君をよこしたと言うのだ」と彼はおっしゃった。そこで私はベルール僧院へ行ってギヤン・マハラージに告げた。それから彼がマハプルシ・マハラージのところへそのことを相談にゆき、日どりがきめられて私は戒を受けたのだった。このようなことのすべてがどんなに簡単に運んだかおわかりかね。私は何かを求め、サラダーナンダジのもとへ行ってそれを要求する、ちょうど赤ん坊がお母さんにものをねだるように。彼は反対もためらいもなさらない。ただの一度も、「しかし君はそれにふさわしいか?」などとお尋ねになったことはなかった。

 あるとき、何人かの友人たちといっしょに私はジャイランバティとカマルプクルにでかけた。そのころ汽車はチャンパダンガまでしか通じておらず、あとは歩かなければならなかった。帰途、チャンパダンガに泊まらなければならなかった。翌朝私たちはカルカッタ行きの汽車に乗った。汽車が出発してからのことだ。恐ろしいことに私は数珠を失くしたことに気づいたのだった。私は旅を中断し、歩いてチャンパダンガにもどり、徹底的に探した。しかしどこにも数珠の痕跡さえも見あたらなかった。それから私は、汽車に乗ったり歩いたりして、夕方カルカッタに着き、疲れはて、しょげきってサラダーナンダジの前に出た。「マハラージ、私は数珠を失くしました」と私は言った。「ばかだねえ! 数珠を失くしたからといってそれがどうしたというのだ? 指で数えるのがジャパをやる一番いい方法ではないか」そして安心させるように、「心配しなくてよい、もう一つあげるから」と彼はおっしゃった。それから私によく食べさせるよう、いろいろ気をつかって他の者にお命じになった。数珠を失くしたことでふさぎこんで、私は一日中何も食べていなかったのだ。マハラージの恩寵によって、私の心配と肉体の疲れの両方がいっぺんに吹き飛んでしまったのだった。

 もうひとつの出来事がある。そのとき私はすでにサニヤーシンであった。私は聖典の研究のためにカシ(ベナレス)へ行きたいという願いをもった。私はマハラージに「研究のためにカシへ行きたいと思います」と言った。彼はおっしゃった「いいかね、私の子供よ、君はベルール僧院にいる。マハプルシ・マハラージがそこにいらっしゃる。彼に許可をお願いしなさい」たまたま、そのときマハプルシ・マハラージは旅行に出かけておられた。私は手紙を書いた。彼はお返事を下さった、「われわれの人生の目的は研究者や学者になることではない。もし君がヴェーダーンタを学びたいのなら、ベルール僧院にヴェーダーンタの良い教師がいる。君は彼の指導のもとに学習することができる。カシへ行く必要がどこにあるか」私はこれを読んで、即座に、行こうという考えを棄てた。このようにしてマハプルシ・マハラージは、霊性の生活における最大の危険のひとつから、私を救って下さったのだった。その時には私は彼の言葉の重大性を完全には理解しなかった。しかし後になって、私は聖典への耽溺というようなことがあることを理解した――この耽溺は他のものへの耽溺に勝るとも劣らず魅惑的であり有害である。聖典の学習は人々の霊性の生活の進歩を加速させることができるが、聖典への耽溺は大きな障害となるのである。マハプルシ・マハラージは彼の洞察力によってこのことをお見抜きになり、それで私の考えをお認めにならなかったのだ。もし彼がこの考えを気に入っておられたのであれば「もちろん、君は行くべきだよ」とおっしゃったに違いない。彼は常にあらゆる高尚な活動を激励なさったからだ。

 私はベルール僧院に住んでいた。心中に疑念が生じるといつも、私はウドボーダンのサラダーナンダジに会いに行こうとした。いちど私は彼を訪ねて霊的修行について質問をした。「こいつ、何でもかんでも私に訊かなければならないのか」と彼はおっしゃった。私は多少傷ついて自問した、いったい他の誰に訊けばいいというのだろう。彼は私の思いを察した様子で、すぐに「かわいい息子よ、私たちがいつまでも君たちのそばにいられると思うか? どんな疑問にも、君は自分自身で答えを見いだすように努めなければならないのだ。私たちがいつでも、君たちの質問に答えるためにいつでも身近にいるわけではないということを覚えておきなさい。君はそれを自分自身でしなければいけない。問題の解決を君自身で見いだそうとするのだ」とおっしゃった。私が自らの足で立つことを学ぶことを彼が望んでいらっしゃるのだということを、私は理解した。

 しかし、まえにも言ったように、私はあまりにも若く未熟であったために、そのときの私には彼の肉体の存在がある日そっくり奪い去られてしまうものであることを実感できなかった。いま振り返ってみて、私は、霊性の探究においても、私たちに次第に自己への信頼を持たせようと、彼がどのように努力しておられたかを知るのである。これこそが最高の霊性の教師たちのなさりかたである。彼らは弟子たちがいつまでも彼に頼りつづけることを許さない。彼らは弟子たちを自立させる。それがスワミ・サラダーナンダジが、ときには穏やかにさとし、ときには愛のこもった助言をもって、彼のすべての弟子たちになさったことであった。

 もし誰かが彼のお叱りを受けたなら、それはその人のすばらしい幸運だった。なぜなら、あとですぐに、彼はマハラージの心のこもった愛の表現を見るに決まっていたからである。これがマハラージがいつもなさったことだった。彼は決して人が長いあいだ苦しむような荒い言葉はお使いにはならなかった。

 サラダーナンダジは非常に真面目で、静かで、思慮深い気質をお持ちだった。私たちは初めは彼に近づくのにためらいやおそれを感じた。しかし後にもっと近しく接する機会を得るとおそれることなど何もないことがわかった。どんな間違いをしでかしても、マハラージの前ではおそれる必要はなかった。なぜならマハラージは無限の許しの権化であられたからだ。ひとつの例がある。そのとき私はベルール僧院にいた。ひとりの僧が大きな過ちを犯し、そこの先輩僧たちは彼は即座に追放されるべきであると決定した。そのときマハプルシ・マハラージは僧院を留守にしておられた。そこでこの僧は僧団の事務総長スワミ・サラダーナンダジがいらっしゃったウドボーダンへ連れてこられた。彼らは「この者は規律を破りました。私たちは彼は僧院から追放されなければならないと思います」と言った。

 マハラージはなんとおっしゃったか? 彼はこうおっしゃったのだ、「私は彼がそのような厳しい罰を受けるに価することに同意する。私はまた彼が規律を破ったのがこれが最初ではないことも知っている。しかし、私は彼がもう一度自らを正す機会を与えられるようお願いする」驚きであった! マハラージは事務総長である。彼の判断は最終的な決定だった。それなのに彼はご自身の見解を請願として提案なさったのだ。当時私たちは若くてあらゆるものを黒か白に見た。私たちはしばしば人を圧倒する弱さへの同情を持ち合わせていなかった。私たちはみなその僧は僧団から排除されなければならないと感じていたのだった。しかしマハラージの反応はまったくちがっていた。彼はただ「彼にもう一度機会を与えなさい」とおっしゃったのだった。このような場合の彼の反応はいつもこんなふうだった。彼が許すことができないとお考えになる弱さや規律違反は存在しなかった。それだから彼の前で怖い思いをするということなどありえなかったのだ。彼はホーリーマザーの分身であられた。すべてを許しすべてを愛するマザーの性質がおのずから彼の存在の一部になっていたのだった。私たちはあたかもマザーご自身が異なる姿でウドボーダンに住んでいらっしゃるかのように感じていたものであった。

 彼の慈悲深いハートは、彼の愛の庇護のもとに幾人かの精神に障害を持つ人々がマザーズハウスに住んでいたほどであった。これらのあわれな魂たちはふつう人々にのけものにされていた。しかし彼らはいつもマハラージから慈悲深い扱いを受けた。そのひとりは頭にターバンを巻き、大きな棒をもって、自分を「マハラージの門番」と称して立っていたものだった。うぬぼれのつよい者たち、学歴を自慢する者たち、また他の人々に対してまったく耐え難いふるまいをなす者たちもいた。多くの人がマハラージに不平を言った、「あなたはこのような人たちがここに住むのを許していらっしゃいます。彼らにその価値があるでしょうか?」彼はお答えになったものだ、「そうだ、友よ。私は彼らをよく知っている。私はまた彼らが他のところでは受け入れられないことも知っているのだ。それだから私は彼らをここに住まわせている。もし私が彼らをここから追い出したとしたら、このあわれな人たちはどこに行くだろう」

 この人たちはサラダーナンダジの配慮によって居場所を保証されていた。彼らは、いつか彼が自分たちを追い出すかも知れない、というような疑念や心配を決して抱かなかった。不平不満を言う者が始終彼のところにやってきたのだが、彼はこれらの精神病の人たちへの愛を取り上げるようなことは決してなさらなかった。それがサラダーナンダジの性質――あらゆるものへの無限の愛――だった。彼の愛深いお世話には決して分け隔てがなかった。誰もがこのマハラージの性質を見ることによって大きな霊感を得た。もちろん私たちが多少狼狽させられて、「なぜマハラージはこんな世話のやける者たちをお泊めになるのか」と内に思う場合もあった。しかしマハラージはそれを違う角度から見ておられた。私たちのうちの誰かがふざけて「マザーズハウスは精神病院だ」などと言ったものである。あの頃私たちは、精神の病を負う人々を保護してお世話なさる魂の偉大さを理解しなかったし、理解しようともしなかったのだ。

 まさにその当人たちから、彼がどれほど多くの敵意ある言葉、どれほど多くの侮辱を受けなければならなかったことか。一度彼は彼らのひとりにある費用の請求書を出すようにおっしゃった。その男はマハラージに「おまえに計算の何がわかる?」と言った。マハラージは怒ることなく、穏やかにおっしゃった、「これこれ、限度を越えないようにしなさい」彼は、自分は、この人たちのすべての行き過ぎを許すけれども、他の人々は決してそうはしないことを知っておられたのだ。彼らは仕返しをし、このような狂った人たちはわざわいをこうむるかもしれない。それだから彼はその男に限度を越えないようやさしく注意なさったのだ。

 サラダーナンダジの偉大な性格のひとつは他者の良い性質を伸ばし、彼らの弱点を重く見ないことであった。この心の広さがなかったら、ラーマクリシュナ運動はこれほど急速に広がりそして発展することはできなかっただろう。振り返って見ると、シュリ・ラーマクリシュナが、責任をそれに最もふさわしい人にお与えになったことがわかる。あるときシュリ・ラーマクリシュナはサラダーナンダジの膝の上にお座りになり、あとで「私は彼がどれだけの重さに耐えることができるかを見たかったのだ」と説明なさったという。サラダーナンダジはどのような責任の重圧にも耐え得る無限の能力をお持ちだった。皆さんは、ホーリーマザーが「シャラト(スワミ・サラダーナンダ)だけが私の世話をする責任をとることができます。他の誰にもそれはできないでしょう。ヨギン(スワミ・ヨガナンダ)がいました。そして彼のあとにはシャラトがいます」とおっしゃったということをご存じだろう。

 彼がどのようにホーリーマザーのお世話をなさったか、あなたがたはみな本で読まれたであろう。彼ご自身はサニヤーシンであられたのに、ホーリーマザーについて動きまわった信者の大家族という荷物を背負われなければならなかった。ただの一度でさえ、彼は我慢できないと思われたことはなかった。彼はカマルプクルとジャイランバティという二つの村の利益のためにお働きになったと言うことができるだろう。「カマルプクルとジャイランバティの猫や犬でさえ私たちにとっては聖なる存在であり、私たちの愛と尊敬を受けるに価する」と彼はおっしゃった。猫や犬でさえ! これは詩的な誇張ではない。サラダーナンダジの態度はほんとうにそのようであったのだ。

 彼はまた無限の忍耐をお持ちだった。ホーリーマザーの真の子供そして侍者、それが彼であった。彼はこの忍耐の性質をホーリーマザーご自身から受け継がれた。彼のなかにはホーリーマザー以外の何ものもなかった。彼の人に対するふるまいはホーリーマザーのそれにそっくりであった。それだからマザーのマハーサマーディーのあと、信者たちはマザーの不在によってもたらされた生活の空白を、彼のもとにきて充たそうとしたのだった。おそらくホーリーマザーは彼がそれをなさらなければならないことを知っておられたのであろう。それだから彼女は初めから彼をそんなふうに徐々に訓練なさったのである。

 またラーマクリシュナ僧団の管理という大変な責任もあった。マハプルシ・マハラージが僧団の長であったとき、彼は、問題をかかえて彼のところにきたものには誰にでも「シャラト・マハラージに訊きなさい。彼の言うとおりにするのだ」とおっしゃるのだった。マハプルシ・マハラージご自身がこのような問題にお関わりになることは決してなかった。彼はシャラト・マハラージが適切な指示を与えることができることを知っておられた。だから皆を彼のところにつかわされたのだ。そしてサラダーナンダジはこの両方の重責に幾年も幾年もお耐えになった。彼は不平も不満も言わず、まさに彼の生涯の最期にいたるまでそれをなさったのである。

 彼がいかに有能にこの重責を担われたかということは、いまでは事実として歴史に残っている。かどのある不完全な私たちが僧団にいることができたのは、ひとえに彼のような愛深く忍耐強い人格がさまざまな問題の舵をとってくださったからであった。もし新入者の資格が、情け容赦のない人たちだけで決められていたら、私たちはいったいどこに行っていたことだろう。完全で咎のない人生をもって彼のもとに来た者などひとりもいないのだ。私たちは過ちや弱さをもっていた。彼は常に、私たちの心の埃や汚れを、ご自分の手でぬぐい去ってやろうとなさった。彼の恵みによって、私たちは彼の御足のもとに座り、私たち――無数の私たちのような他の者たちも――は救われ、人生により高い意味を見いだしたのだった。このことを、どのようにして言葉やさまざまな出来事によって説明することができよう。これは経験された事実である。それはたやすく言葉に表せることではない。

 あたかも、ホーリーマザーに奉仕し、組織を運営するという責任だけでは足りないかのように、彼はもうひとつの途方もない責務をお取りになった。すなわち、わかりやすくやさしい言葉でシュリ・ラーマクリシュナの生涯と彼によって示された理想について書くことであった。サラダーナンダジの不滅の事業「シュリ・シュリ・ラーマクリシュナ・リーラプラサンガ」(シュリ・ラーマクリシュナ・ザ・グレイト・マスターという題で英語に翻訳されている)はウドボーダンオフィスの入口近くの小さな部屋にすわって書かれたのだった。そこは、ふつうの人であれば数分間でさえ心を集中することができないようなところだった。絶え間なくやってくる人々の流れによる騒々しさはそれほどのものだったのだ。

 加えて、サラダーナンダジはウドボーダンに住む僧や毎日訪れる信者たちの面倒もごらんになった。彼らは霊性の問題と世間の問題の両方をもって彼のもとにやってきた。多くの年老いた婦人の信者たちは自分の貯金を彼に預けた。彼女たちはここが安全な場所であることを知っていたのだ。彼は彼女たちのものを小さな包みにして彼の食器棚に注意深く保管なさった。彼は一度も「なぜこんなことで忙しくしなければならないのか。私は僧なのだ。どうしてあなたがたはそんなことを頼みに私のところに来るのか」とはおっしゃらなかった。彼はすべての人々の世話をし、すべての人々に仕えることを彼の義務であると感じておられたのだった。それはほかならぬホーリーマザーご自身によって彼に与えられた義務であったのだ。

 もうひとつの出来事を話そう。サラダーナンダジが惜しみなく賞賛しておられた人物がいた。彼はその人の霊性の修行と放棄の精神を高く評価しておられた。しかし後にその人の生活の質がかなり堕落したのが見られた。ある人たちは「マハラージは彼をたいそうお誉めになったけれども、なぜそんなことをなさったのだろう」と言った。いま私には、マハラージが彼の現在だけを見て誉めておられたのではなく、過去と未来を見ておられたのだということがわかる。後日、私たちは、おなじ人がたいそう悔い改めてほとんどの時を神への祈りについやして許しを求めているのを見たのである。マハラージはその人が理想の生活にもどることを前もって知っておられ、それだから初期の頃に誉めて彼をお助けになったのだ、と私は感じる。

 私たちのほとんどは人生の短い期間だけをもとに人を判断するという間違いを犯す。誰かを正しく判断するためには完全なデータ――その人の過去・現在・未来――を持つべきであることに私たちは気づかない。それがないために間違いを犯し、判断を誤ってしまうのだ。しかし偉大な教師たちはそのような狭い視野を持たない。彼らは現在だけでなく、すべての人の過去と未来をも見ることができる。どんなところにも偉大なるものの現れの可能性を認めれば、彼らはそれを賞賛する。たびたび私たちは、マハラージの祝福を受けた者がなぜいつもそれに価する彼自身を表さないのだろうかと不思議に思ったものであった。私たちはとても気が短い人間なのだ。彼の祝福が裏切られることはなかった。それを受けた者は誰であれ、その生涯のうちにいつか必ずその祝福の成就を見せると、私たちは信じていた。ただ、それらの祝福の結果が衆目に明らかになるのがいつであるかは誰も言うことはできなかった。ある者たちは速やかに成功するだろうし、ある者たちはもう少し時間がかかるかも知れない。それが何であろう? 鉄に試金石が触れたとき、一片の鉄は金になる。その金がどのような形であろうとかまわないではないか。それだからサラダーナンダジのところにきて彼の祝福を受けた者は誰でも、いつかは人生のゴールに到達するのである。

 そして彼に会うという機会に恵まれなかった者も、もし彼の聖なる生涯を学び彼の教えにそって修行に努めるならば、その人たちもまた完成にいたるのである。なぜなら神の化身とその伴侶たちのあいだにはほんとうは違いはないからだ。シュリ・ラーマクリシュナは彼らはひとつながりの水辺の蔓草のようなものであるとおっしゃった。他のものを取りあげることなしに一つだけを取りあげることはできない。化身はいつも選ばれた仲間たちと一緒に下生なさる。彼らの生涯を切り離すことはできないのである。それだから、スワミ・サラダーナンダジの祝福は同時にシュリ・ラーマクリシュナの祝福であり、彼の恩寵はまた、シュリ・ラーマクリシュナの恩寵である。私たちは聖書の「息子を見たものは父を見たのである」という言葉を読んだ。おなじようにシュリ・ラーマクリシュナの直弟子たちを見て彼らの恩寵を得た者は、まさにそのことによってシュリ・ラーマクリシュナの恩寵を受けたのである。直弟子たちを通してすべての者の上に降り注がれたのは、シュリ・ラーマクリシュナの恩寵以外の何ものでもない。

 いちどある信者がスワミ・シバナンダジに「スワミ・ブラマーナンダとホーリーマザーのどちらからイニシエイションを受けたらよいでしょうか」と尋ねた。マハプルシ・マハラージは持ち前の単純さで即座に「違いはない。二つの蛇口から出る水はおなじガンガの水である」とお答えになった。シュリ・ラーマクリシュナの弟子たちはみなこの蛇口のようなものであり、それを通して後の世代の者たちに彼の恩寵が流れつづけているのである。私たちがそのことに気づこうと気づくまいと、この恩寵を得た者はみな生涯のうちに完成を見るのだ。もし私たちがいまこのことに気づかなくても、いつか将来においてそのことに気づくだろう。

 私はホーリーマザーの生涯のある出来事を思い出す。ある人が「マザー、霊性の生活において自分が進歩しつつあるかどうかをどのようにして知ることができるのでしょうか」とたずねた。彼はマザーの弟子であったけれども、自分が進歩しつつあるかどうか分からなかったのだ。マザーは村の女性であって学者ではなかった。だから彼女は哲学的な答え方はなさらなかった。学者たちの答えは印象的であるかもしれないが、いつもハートを満足させるとはかぎらない。マザーの答えは単純で実際的だった。「私の子供よ、たとえばあなたが眠っているときに誰かがあなたをベッドへ運んだとしますね、あなたはそのことに気づきますか?」

 その暗示は明らかである。私たちがそれを知っていようといまいと、シュリ・ラーマクリシュナとホーリーマザーの恩寵によって霊的な進歩はかならず遂げられる――事実それはすでに遂げられつつあるのである。もしそれを知る目を持っていたなら、私たちはこのことをとっくの昔に理解していただろう。遅かれ早かれ私たちはみな私たちの人生における恩寵の働きを理解することになるのだ。


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