不滅の言葉 96年1号

スワミ・アドブターナンダ:その教えと回想(6)

スワミ・チェタナーナンダ

     

    第四章 ラトゥ・マハラージの語る師の逝去

 一八八五年の春、シュリ・ラーマクリシュナはのどのがんをわずらい、それが命にかかわることがわかった。その年の終わりまでに、信者たちは彼をダクシネシュワルからカルカッタの、最初はシヤンプクルの一軒の家へ、のちにはコシポルのガーデンハウスへ移した。ここでは、彼は医師の細かい手当ても受けやすいし、信者たちからも、よりよい看護を受けることができた。信者たちは最後の数か月間、彼に仕え、彼を助け、そして彼に会いに来たのである。ラトゥは言うまでもなく、彼のそば近くに仕えた者たちの一人だった。シュリ・ラーマクリシュナの肉体は次第に衰弱していった。師が便所に歩いて行くこともできなくなったとき、ラトゥは彼の心配を見て真剣に言った、「師よ、私がおります、あなたのお掃除人(訳注=インドの最下級層)です。私が何もかもお世話いたします」痛みが耐えがたくなったとき、師はほほえんでささやいたものである、「肉体とその痛みとは仲よくさせておけ。私の心よ、おまえは常に至福にあれ!」

 一八八六年八月一六日、ついにシュリ・ラーマクリシュナはマハーサマーディに入った。それは最後の明知であり、偉大な、霊的な魂の死であった。ラトゥ・マハラージはその日のことと、それに続く日々のことを彼自身の言葉で語った。

*   *   *

 毎晩、お休みになる前に、師はよく言っておいででした、「ハリ・オーム・タット・サット(まことに主は唯一の実在である〕」あの最後の晩、私が彼を扇であおいでいるとき、彼はそう唱えておられました。夜の十一時近くでした。そのとき、師はため息をおつきになって、サマーディにお入りになったご様子でした。ブラザー・ロレン(ナレン)が私たちに「ハリ・オーム・タット・サット」を唱えてくれと頼みました。私たちは一時まで唱えつづけました、すると師がサマーディから降りておいでになりました。それから彼は、シャシ(のちのスワミ・ラマクリシュナーナンダ〕がお口に運んでさしあげたファリナ・プディングを少し召し上がりました。突然、彼はまたサマーディにお入りになりました。それを見て、ロレンは心配をつのらせました。彼はゴパール・ダーダー(ゴパール兄、のちのスワミ・アドワイターナンダ)を呼んで、ラームラル・ダーダーを連れてきてくれと頼みました。

 ゴパール・ダーダーと私はただちにダクシネシュワルに向かい、ラームラル・ダーダーは私たちと一緒に戻ってきました。彼は師を診察して言いました、「頭のてっぺんはまだ温かい。キャプテン(ヴィシュワナート・ウーパーダイ)を呼んで下さい」

 その朝はやく、ドクター・マヘンドラ(ドクター・マヘンドラ・ラル・サルカル)が師を診察しに来て、「彼は肉体をお棄てになった」と言ったのでした。間もなく、キャプテンが到着しました。彼は私たちに、師のおからだをギー(精製したバター)でマッサージしてさしあげてくれと頼みました。シャシが彼の胴体を、そしてヴァイクンタが彼の足をマッサージしましたが、何の効果もありませんでした。

 ホーリー・マザーは自分を抑えることがおできになりませんでした。彼女は師のお部屋に入ると、叫ばれました、「おお、母カーリ、私が何をいたしましたでしょう? 私をお残しになるなんて」マザーが泣いていらっしゃるのを見て、バブラーム(のちのスワミ・プレマーナンダ)とヨギンが彼女に近寄り、ゴラプ・マー(シュリ・ラーマクリシュナの女性の弟子であり、ホーリー・マザーの付き人)が彼女をご自分の部屋にお連れしました。

 やがて、カルカッタの信者たちが知らせを聞いて、ぼつぼつ到着しはじめました。信者たちと一緒の師のお写真が一枚(実際は二枚)撮影されました。そのころにはひるもすぎていました。

 師の遺体は、コシポルの火葬場に運ばれるまで簡易寝台に安置され、美しく飾られていました。ラーム・バブーは私に、アクシェイ・バブーが火葬場から戻るまでガーデンハウスにいよ、と命じました。それで、皆は行ってしまいましたが私はそこにとどまりました。たった一度、ホーリー・マザーが泣いておられるのが聞こえました。その後は静かでした。私はあれほどしっかりとした女性を見たことがありません。

 その夜、私は火葬場に行きました。たくさんの人がガンガーのほとりに静かにすわっていました。シャシが扇を手に、火葬の積みまきのかたわらにいて、シャラト(スワミ・サラダーナンダ)がそのそばにいました。シャラトとロレンの二人がシャシをなぐさめようとしていました。私は彼の手を取って、少し気を引き立てようとしましたが、彼は悲しみに身うごきもしませんでした。それから、シャシは師の遺灰とお骨を集めて、骨壷に入れました。彼は骨壷を頭にのせてガーデンハウスに運び、そこでは骨壷は師の寝台に安置されました。

 あくる日、ゴラプ・マーが私たちに、師がヴィジョンとしてホーリー・マザーに現われ、彼女が腕輪をはずすことをおとめになった、と教えてくれました。彼は、「私がどこかに行ってしまったというのか。私はここにいるのだ。ひとつの部屋から別の部屋に移っただけなのだ」とおっしゃったのです。悲しみにくれていた人びとは、ゴラプ・マーからこれを聞いて、疑念を捨てました。「師へのご奉仕は今までどおりに続けるべきだ」と彼らは言いました。

 ニランジャン、シャシ、ゴパール・ダーダー、ターラクは、その日コシポルに泊りました。ホーリー・マザーがヨギンと私に、カルカッタに行って、師を礼拝するための食糧と他の品々を集めてきてくれ、とおっしゃいました。その日のひるには、師に料理を供えてから、ラーム・ナームを歌いました。それから、ゴパール・ダーダーとターラクと私以外の全員が家に帰りました。

 三、四日後、ホーリー・マザーは、ゴラプ・マーとラクシュミ・ディディ(シュリ・ラーマクリシュナの姪)と私をともなってダクシネシュワルに行かれましたが、私たちは日暮れ前に戻りました。あとで聞いたのですが、その日の正午にシャシ、ニランジャン、ロレン、ラカール、バブラームがコシポルに来ていたところに、午後、ラーム・バブーが訪ねて来て、弟子たちに、ガーデンハウスを引き払って家に帰ってくれと頼んだのです。これを聞いてニランジャンもシャシも衝撃を受けました。彼らはここで師の礼拝を続けたかったからです。その晩すぐに、ニランジャンはバララーム・バブーの家に向かいました。

 あくる日、バララーム・バブーはコシポルに来て、ホーリー・マザーを彼の家にお連れしました。師のさまざまの遺品も一緒に持って行きました。私は、ゴパール・ダーダーとターラクと一緒にコシポルにとどまりました。そのころには、誰も彼もがひるごろにガーデンハウスにやって来て、夕方ごろまでいたものでした。

* * *

 ラーム・バブーは、カンクルガチの彼のガーデンハウスに師の遺骨をおまつりして、そこに僧院を建てたいと思っていましたが、シャシとニランジャンはこの案の受け入れを拒否しました。彼らはラーム・バブーに、遺骨はどうしても渡すわけにはいかない、と言いました。ロレンは彼らをとりなそうとして言いました、「兄弟たちよ、この骨壷をめぐって争うのはよくない。私たちには自分たちの僧院がない、そして、ラーム・バブーは師の御名のもとに彼のガーデンハウスの権利をこころよく与えてくれるのだ。よい提案だ。私たちはそこで師の礼拝を始めなければならない。私たちが自分の人格を師の理想に従って築くことができるなら、私たちは人生の目的を達することになるのだ」(*注1)

 ジャンマシュタミ(クリシュナの誕生日)の前日、私はラーム・バブーの家に行き、あくる朝、私たちは行列をなしてそこからカンクルガチまで、道々ずっとキルタンを歌いながら行進しました。シャシは師の遺灰の入った骨壷を頭にのせて運びました。聖別式の最中に、彼らが骨壷に土をかぶせようとすると、シャシは叫びました、「おお、師が苦しんでおられる!」この言葉を聞いて、居合わせた人びとは泣きました。

 師が亡くなられた日のこと、コシポルの火葬場から戻るときに、ウペン・バブーがヘビに咬まれました。ニティヤゴパールが、真っ赤に焼けた鉄を使って傷口を焼きました。傷は治っていませんでしたが、ウペン・バブーはそれでもキルタンに参加しました。彼は神に身をささげた仲間が大好きだったのです。

 カンクルガチの儀式のあとに、ラームラル・ダーダーは、ダクシネシュワルで饗宴(訳注=葬儀の一部として行なわれる)の手はずをととのえていました。その日はキルタンも行なわれました。ラームラル・ダーダーはバララーム・バブーの家に行って、ホーリー・マザーがダクシネシュワルに来て下さるようにお招きしましたが、彼女はお断わりになりました。でも、私は饗宴に参加しました。

 師が亡くなられた後、私は悲しかったので、コシポルにあまり長くとどまっていることはできませんでした。しばしばラーム・バブーの家に行き、そこからロレンの家に行ったものです。ロレンはよく、師にまつわる多くのことを、くわしく話してくれました。私は彼に言いました、「ブラザー・ロレン、ざっくばらんに言いますが――師はあなたをそれは愛しておいでだったので、あなたがいなければ生きていくことはおできになりませんでした」するとロレンは笑って言いました、「兄弟よ、心配しなくてもよい。彼は、君も、シャシも、ラカールも、非常に愛しておられた、だから彼はこれからも常に君たちのそばにいらっしゃるだろう。君たちにくらべたら、私はほんのわずかしか師にお仕えしていなかった!」見て下さい、ブラザー・ロレンがどれほど謙虚であったことか!

 ある日、弟子たちの一人が嘆き悲しんでいました、「やはり師は私たちをおいて行ってしまわれた」私はこの言葉に衝撃を受けて、言いました、「疑う者にとっては、彼は死んでおいでになります、しかし彼を信じる者にとっては、生きておいでになるのです。彼がホーリー・マザーの前に現われて下さったことをおぼえていませんか? あなたがそのような信仰を持てば、彼はあなたのもとにも現われて下さるでしょう」

 (*注1)ラームチャンドラや他の在家の弟子たちは知らなかったが、実際には、シャシとニランジャンはシュリ・ラーマクリシュナの遺骨をひそかに二つに分けていた。大きいほうの遺骨はバララーム・ボースの家に運ばれ、のちに、若い出家の弟子たちがつくった僧院の中で彼らによって礼拝された。最終的に、数年後、ラーマクリシュナ僧院がベルルに設立されたときに、この遺骨はそこにまつられた。小さいほうの遺骨は、ラームチャンドラが望んだとおりにカンクルガチのガーデンハウスに運ばれた。

    第五章 ブリンダーバンへの巡礼

 ラトゥは、シュリ・ラーマクリシュナの男性の弟子の中で、師の生前、師の妻であり霊性の伴侶であったシュリ・サラダ・デヴィと交流のあった、数少ない中の一人であった。サラダ・デヴィは、シュリ・ラーマクリシュナの弟子たちにはホーリー・マザーとして知られており、ダクシネシュワルの、シュリ・ラーマクリシュナの部屋にほど近い小さな音楽塔、ナハバトに住んでいた。彼女はすばらしい帰依心とこの上なくきよらかな態度で師に仕えていた。しかし、恥ずかしがり屋で、わずかな人びと以外とはあまり接触をもたなかった。ラトゥと同じように、彼女はある村で育ち、村の風習に慣れていた。ラトゥは、とりわけ無邪気なたちで、年少でもあったので、ホーリー・マザーは彼には非常にうちとけていた。彼女は彼を自分自身の息子のように思っていた。彼のほうも、彼女に崇敬の心を抱いており、その心にまさるものは、ラトゥのシュリ・ラーマクリシュナに対する崇敬のみであった。

 あるとき、シュリ・ラーマクリシュナはラトゥの瞑想を中断させて彼に言った、「おまえはここにすわっているが、ナハバトにいる彼女には、チャパティ(インド風の平たいパン)のドウ(訳注=生パンのかたまり)をこねる手伝いがいない」そこで、彼はラトゥをホーリー・マザーのところに連れて行き、彼女に、この少年は非常に純真である、彼女が必要とすることは何なりと手伝ってくれるだろう、と告げた。それ以来、ラトゥはホーリー・マザーの日々の仕事を手伝った。彼と、それから年長のゴパール・ダーダーは、しばしばシュリ・ラーマクリシュナとホーリー・マザーとの間の伝言を運んでいた。

 シュリ・ラーマクリシュナの没後、一か月たたないうちに、ホーリー・マザーはブリンダーバンへの巡礼に旅立った。彼女のお供をしたのは、ラクシュミ・ディディ、ニクンジャ・デヴィ(『ラーマクリシュナの福音』の記録者「M」の妻)、ゴラプ・マー、そして師の出家弟子のうちの三人――ヨギン、カーリおよびラトゥであった。一行はまずデオガルにとどまり、そこで主ヴァイディヤナートの寺院を参拝した。そこから彼らはヴァラナシ(ベナレス)におもむいた。聖地にいる他の巡礼たちと同じように、彼らは主ヴィシュワナートと、女神アンナプルナー――ヴァラナシの有名なシヴァとその伴侶――に参詣して、他の多くの寺院をもおとずれ、さらに、当時ヴァラナシに住んでいた何人かの修行者を訪ねた。ある日、彼らは高名な学者でありサドゥであるスワミ・バスカラーナンダのアシュラマに行った。ラトゥは彼と長いあいだ話し合った。

 スワミはラトゥに言った、「歩きまわっていて時間を浪費してはなりません。一カ所にすわって『彼』をお呼びなさい。そうすればかならず主の恩寵をいただくでしょう。私は若いころ、数多くの聖地を訪ねて数多くのサドゥたちと交わりました。私は歩いて四大聖地(インドの四隅にあるケダルバドリ、プリ、ドワーラカーおよびラーメシュワラム)をめぐったのです。当時は鉄道もないのですから、どれほどの困難を味わわなければならなかったか想像がつくでしょう。しかし、それほどの苦行をしても、ほとんど得るものはありませんでした。無知と悲しみはあいかわらず深かったのです。最後に私は、この庭園のここにすわって、覚悟を決めました、『神を悟らせて下さい、さもなければこの肉体を死なせて下さい』と。そして今、おわかりでしょう、私はわずかばかりの、永遠の至福を得たのです」

* * *

 ラトゥ自身、後年、ホーリー・マザーとともに旅した巡礼の日々について語った。「ある夜、私たちはヴィシュワナート寺院での夕拝に参加しました。宿に戻る途中、マザーはおつかれのようでしたが早足で歩いておいででした――それが実に早足なので、ついていくのが大変でした。宿に着くやいなや、彼女は簡易寝台に横になられて、口をおききになりませんでした。その夜の真夜中、彼女は起き出されて、すわって瞑想をしておいでのご様子でした。朝になって、ゴラプ・マーが何度もお呼びしたのですが、彼女は瞑想から覚めることがおできになりませんでした。私たちは三日間ヴァラナシに滞在しました。それから、一日をアヨディヤー(シュリ・ラーマ生誕の地)で過ごしたあと、一行はブリンダーバンに向かいました。そこの駅で列車から降りたとき、マザーは私が車内に忘れものをしたことにお気づきになり、他のだれかに、持ってきてくれとお頼みになりました。私たちは、カーラ・バブーのガーデンハウスに行き、一行はそこに滞在しました。ホーリー・マザーはそこでヨギン・マー(シュリ・ラーマクリシュナのもう一人の女性の弟子)にお会いになりました。彼女をご覧になったとたん、マザーの押し殺していらした、師への深いなげきが心の奥底からわきあがり、彼女たちは抱き合って泣いておられました。ある日、私たちはマーダヴァ寺院を訪ねました。だれかの子供が中庭をよごしてしまっていました。ゴラプ・マーはためらうことなく着物の一部を引き裂き、水を少しつけて汚れをきよめました。彼女が聖堂を清潔にけがれなく保つことにどれほど熱意をもっていたかを見て下さい! 彼女がマザーと同居していたころ(おそらく、のちのカルカッタのウドボーダンでのことを指すのであろう)、彼女はマザーのお部屋を一点の汚れもないようにしていました。彼女にとって、そこは聖堂と同じだったのです。師のもとに来る前、ゴラプ・マーは世間の決まりごとに関して頑固なほどに因習的な人だったのですが、それがすべて、彼の影響でだんだんに消えてしまったのです。

 マザーはいつも、ラクシュミ・ディディをともなってヤムナ川のほとりを散歩していらっしゃいました。彼女は、時にはヨギンを、また時には私を連れて行かれました。ブラザー・カーリはそのころブリンダーバンのあちこちをめぐり歩いていました。のちに、彼はカルカッタに向かいました。この間に、師が夢の中でマザーのところにおいでになって、ブラザー・ヨギンにマントラを授けよ、とお命じになりました。それまで、マザーはだれをイニシエイトなさったこともなかったので、気がお進みになりませんでした。けれども師がつよくおすすめになったので、彼女はヨギンにイニシエーションをお授けになりました。

 ブリンダーバンに滞在している間、マザーは、花やその他のものをささげて師のお写真を礼拝しておられました。彼女は、師のご遺骨をほんの少し納めた小さな丸い箱を持ち歩いていらっしゃいました。お写真への礼拝のあとに、彼女はいつもこの小箱を額に当ててから、実にうやうやしく、それをもとの場所にお戻しになるのでした。ある日には、彼女は小箱を私たちの頭にも触れさせて下さいました。

 マザーは、キルタンを聴くのがとてもお好きでした。ラクシュミ・ディディと私をお供に連れて、彼女はときどきバガヴァーンジーのアシュラマにいらして、主の御名の歌をお聴きになりました」

* * *

 スワミ・シッダーナンダは、ホーリー・マザーのラトゥへの愛情こまやかな態度について書いている。「ブリンダーバンではラトゥの食事の時間は決まっていなかった。彼はよく、時ならぬ時刻にマザーや彼女の付き人たちのところにやって来て、食べ物を下さいと頼んでいた。その上、彼は何匹かのブリンダーバンのサルに彼の分を与えることもあった。他の女性たちは、無理もなかったがこれをいやがって、彼をよく叱りつけていた。しかし、マザーは彼の無邪気なふるまいをいやがられることは決してなく、ラクシュミ・ディディやゴラプ・マーに彼を叱らないように頼んでおいでだった。彼女自身、よくラトゥのかたわらにすわり、母親のような愛で彼の面倒を見ておいでだった。マザーは、ご自分の子供のことを実によくご存知で、彼の気持ちが傷つきやすいことを知っておられた。彼女は付き人たちに、ラトゥが好きな時に来て好きなように食べられるように、ラトゥの食事を、決まった場所にきちんと蓋をして取っておいてやってくれとお頼みになった。

 スワミ・ヨガーナンダは回想している。「ある日、ラトゥは私たちの間からふっと姿を消し、見つからなくなりました。マザーは無性に心配なさいました。それから三日後、彼は忽然とまた現われたのです。私たちはどこに行っていたのかと尋ねましたが、彼はにこにこしているばかりで何も言いませんでした。ふたたびマザーがお尋ねになると、彼は、『ヤムナ川のほとりにいました』と言いました。そして、子供のようにつけ加えました、『すごくおなかがすきました。食べる物を下さい』マザーはすぐに食べ物を持ってきておやりになりました。彼はそれを食べると、すぐにいなくなりました。マザーは、おっしゃいました、『ラトゥはほんとうに、変わった子ねえ!』と……」


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