NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan
不滅の言葉 1965年4号

心の力
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ

 いつの世にも、世界の到るところに、超自然的なものに対する信仰がある。我々は誰でも異常な出来事について聞いたことがあり、我々の多くはそのような出来事についての直接の経験を持っている。私はこの講演を、私自身が経験した或る事実をお語しすることによって始めよう。私はかって或る男の話を聞いた。誰かが質問を心に抱いてその男の所へ行くと彼はたちどころにその質問に答えるというのだ。私は彼が事件を予告するともきいた。私は好奇心に駆られ、二、三の友人と一緒にその男に会いに行った。私たちはそれぞれ質問を抱いていたが、間違いをさけるために、その質問を紙に書いてポケットにしまいこんでいた。その男は私たちの一人を見かけるや否や、私たちの質問を繰返して、それらに答を与えた。それから彼は紙の上に何か書いてそれを折りたたみ、私にその上にサインするように命じてこう言った、「これを見ないで下さい。私がそれを下さいと言うまでポケットにしまいこんでいて下さい。」私たち一人一人に同じことを繰返した、次に彼は将来私たちに起るであろう事件について私たちに語った。それから彼は言った。「さて、お好きなどの国の言葉でもいいですから、一つの単語か文章をお考え下さい」。私は彼の全く知らないサンスクリット語の長い文章を考えた。「ではポケットから紙をお出し下さい」と彼は言った。するとその同じサンスクリット語の文章がその紙の上に書いてあった! 彼はそれを一時間前に書いたのだった。それには「私が書いたことを確認してこの人は此の文章を思うであろう」という註が書かれてあった。それは全く正しかった。同じ紙を渡されてそれにサインし、それをポケットにしまいこんでいた他の者も或る文章を考えるように要求された。彼はその男がおよそ知っているとは思われないアラビヤ語の文章を考えた。それはコーランからの或る句であった。そして私の友人はそれがその紙の上に書かれてあるのを見出した。私たちのうちのもう一人の男は医者だった。彼はドイツ語の医学書から或る文章を考えた。そしてそれもその紙の上に書かれていた。

 数日後、私は再びその男の所へ出掛けて行った。前回には多分ごまかされたのであろうと思って。私は他の友人を連れて行った。そしてこんども彼は全く素晴らしくやってのけた。

 またある時インドのハイデラバッドで、私は、何処からともなく様々な物をとり出すことのできる或るバラモンの噂をきいた。その男は街で仕事をしていた。彼はりっぱな紳士だった。私は彼にそのトリックを見せて貰いたいと頼んだ。たまたま此の男は熱病を患っていた。インドでは聖なる人がその手を病人に置けばその病人はよくなるということが一般に信じられている。そこでこのバラモンは私のところへやってきていった。「どうか貴方の手を私の頭の上におのせ下さい。私の病気が癒されるように」私は答えた。「よろしい。だが、私にあなたのトリックを見せて下さい。」彼は約束した。私はのぞまれるままに彼の頭の上に手をのせた。後程、彼は約束を果たしにやって来た。彼は腰のまわりに一枚の布をまとっているだけだった。私たちは彼から他の一切のものを取り上げたのである。寒かったので私は持っていた毛布を彼に与えて体を包ませ、彼を片隅に坐らせた。二十五組の眼が彼に注がれていた。彼は言った。「さて、みなさん、欲しいものは何んでも紙の上にお書き下さい。」私たちは誰もがその国には育たない果実--葡萄の房や蜜柑や他の果実--の名前を書いた。そしてそれらの紙片を彼に与えた。すると彼の毛布の下から葡萄や蜜柑などの茂みがごそごそと現われた。この果実の山を全部量ればその男の目方の二倍ぐらいはあっただろう。彼は私たちにその果実を食べるように命じた、私たちの或る者は催眠術ではないかと思って反対した。しかしその男は自分から食べ始めた。そこで私たちもみな食べ始めた。それは全くうまかった。

 彼は最後に一山の薔薇をとりだした。花はそれぞれ完全だった、花びらには露がしたたり、一片といえどもつぶれず、傷ついてもいなかった。薔薇、薔薇の山だった。私が彼に説明を求めると、彼は言った。「これはすべて手先の早業ですよ。」

 それがたとえ何であろうと単に手先だけではあり得ないと思われた。一体あのような大量の品物を、彼は何処から取りよせることが出来たのか?

 そうだ、私はこのようなことを沢山見て来た。インドを歩いて廻わるとあなた方は同様のことを方々で数えきれないほど見かける。こうしたことはどこの国にもある。この国(訳者註・アメリカ)にあってもあなた方はそのような素晴らしいことを幾つか見かけるであろう。勿論、にせものというものが沢山あることは疑いない。だが、あなた方はにせものを見かけるたびに、にせものは模倣である、とも言わなければならない。模倣されているものが何処かにあるに違いない。あなた方は無いものを模倣することは出来ない。模倣は実際に存在する何ものかの模倣でなければならない。

 インドでは大昔、つまり数千年も前にはこのような事実が今日よりもひんぱんに起った。私には、一国の人口が稠密になると心霊的能力が低下するように思われる。人口稀薄で広大な国土を与えられればそこには恐らくもっと多くの心霊力が出現するであろう。ヒンドゥー民族は分析的な心を持っているのでこうした事実を取り上げて調査した。そして或る驚くべき結論に到達した。つまり、彼等はそこから一つの科学を建設したのだ。彼等は、これら凡ての事柄は異常ではあるが自然でもある、そこには何ら超自然的なものはないということを発見した。それらは他のすべての物理的な現象と全く同じように法則の支配下にある、人間がそのような能力を持って生れてくるのは自然の気まぐれではない。そのような力は系統的に研究し、実習し、獲得しうるものなのである。この科学を、彼等はラージャヨーガと呼んでいる。そしてこの科学の研究にいそしむ人々が無数にいる。全国民にとってそれは今や日々の礼拝の一部分となっている。

 彼等の到達した結論は、こうした一切の異常な力は人間の心の中にある、ということである。この人間の心は宇宙心の一部分である。各々の心は他のすべての心とつながっている。そして各自の心はそれがたとえ何処にいようと全世界と実際に交信しているのだ。

 あなた方は精神感応という現象に注意したことがあるか? 一人の男が此処で或ることを考えている。するとその思念がある他の場所にいる別の男に現われる。意識的に偶然にではなく人が遠くにいる者の心に一つの思念を送ろうと欲すると、その者の心は思念がやってくるのを知って、それがまさに発信されたとおりにそれを受信する。距離はすこしも関係しない、思念は行って他の者に達し、その者はこれを理解する。もしあなた方の心がここに独立した何ものかであり、私の心がそれに孤立した何ものかであって、両者の間に如何なるつながりもないなら、私の思念があなた方に達するということがどうしてありえよう? 普通の場合、あなた方に直接達するのは私の思念ではない、私の思念はまずエーテル波に分解されなければならない。そしてこのエーテル波があなた方の頭脳に入り、それが再びあなた方自身の思念に還元されなければならない。こちらでは思念が分解され、そちらではそれが思念に還元される。それは遠廻りな過程である。精神感応にはそのような過程はない。それは直接的である。

 このことはヨガ行者たちの言う心の連続性というものがあることを示す。心は普遍的なものである。あなた方の心とか、私の心とか、すべてこうした小さな心は、この普遍的な心の断片であり、大海の中の小さな波である。この連続性の故に、我々は自分の思念を互いに直接伝えることが出来るのである。

 あなた方は我々の周囲の到るところに起っていることを御存知である。この世界は影響の世界である。我々のエネルギーの一部は自己の肉体の保存に消費される。それ以外は、我々の精力の悉くが日夜他者を影響することに費される。我々の肉体、徳性、知性及び霊性、これらすべては常に他者に影響を与えている。そして、同じ形で逆に彼等からも影響されている。このことは我々の周り到るところで行なわれている。具体的な例を挙げよう、一人い男がやって来る。あなた方は彼が非常に学識があるということを知っている。彼の言葉は美しい。そして彼はあなた方に何時間も語りかけるが、あなた方には何ら感銘を与えない、他の男がやって来る。そしてよく整っていない、恐らくは文法にも合わない僅かな言書を話す。それにも拘わらず非常に大きな感銘を与える。あなた方の多くがそういう場面をみたであろう。だから必ずしも言葉だけが感銘を与えるものではないということが明らかである。言葉は、思想でさえも、感銘を与える力の三分の一しか寄与しない。人間が、あとの三分の二を与える。あなた方が人格的磁力とよぶもの--それが出て行ってあなた方を感銘させるのである。

 我々の家庭には家長がいる。彼等の或る者はうまくやるが、他の者はそう行かない。何故か? 我々は失敗すると他人を責める。私が失敗すると私はすぐ誰々が失敗の原因であると言う。失敗する場合、人間は自分の欠点や弱点を確かめようとはしたがらない。各人が自分を完ぺきなものとみなして他の誰かを、他の何かを、或いは悪運をも非難しようとする。家長は失敗した場合、或る帝は家をうまくおさめるのに他の者はうまくおさめないのは何故か、ということを自分に尋ねるべきであろう。そうすればあなた方はその相違は人に、その存在に、その人格に由来するということを見出すであろう。

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