NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan
不滅の言葉 1965年3号

「印度第二革命を指導せるヴィヴェーカーナンダの叫び」
木村日紀

 英国の東印度会社が印度を統治せる時代から英国皇帝へ某の統治椎の移った英頒印度時代に於て、印度に三回革命運動が勃発した。第一は一八五七年に発生した Sepoy Mutiny の大叛乱、第二は一九〇六年に発生した過激的革命運動、第三は一九一九年に発生したガンジー中心の国民運動である。一九〇六年即ち明治三十九年の印度第二革命運動の導火線は正しく明治三十七、八年日露戦役に於ける日本の戦勝であった。日印は宗教的に文化的に深い関係にあり、それを知る印度の指導者達は古くから「印度は姉の国、日本は妹の国」と考えていたのである。英領下の不満にみちた印度国民が「妹の国日本」の戦勝に強く刺激されたのは当然の事と思う。小生が渡印したのはその翌年であり、渡印して前記の事情を知ったのである。ラーマクリシュナの弟子ヴィヴェーカーナンダは西洋文化に充分の知識を有する印度の現代的偉人聖者であり、印度古代哲学、宗教、文化を自由にかつ明朗に顕説せる頭脳の持主であった。一八九三年米国シカゴに開催された世界宗教大会に於て大獅子孔し、満場を感動せしめたのを始めとして世界各地に於けるその大獅子孔は当時の印度青年に印度の過去の文化的誇りを認識せしめたのである。聖者が若干の英人を同伴して帰朝するや、印度国民は熱狂して彼を迎え、得意満面、眼中復欧米なく、碧眼奴彼れ何者ぞと云う排外思想は油然として国内に満ちたのである。この偉人聖者の死は一九〇二年であった。その生々した聖者の叫びの流れに遂に印度第二の革命運動を指導したのである。当時印度の青年はその宗教の如何を問わず、こぞってヴィヴェーカーナンダ全書を愛読し、聖者のその叫びに熱狂し、よって革命は益々発展したことを知る。小生自らこの偉人を知り、その全書を愛読したのも青年の感化であった。小生はこの聖者を通して其の師偉人ラーマクリシュナを知り、又その教団の真聖な新興宗教たるを知ったのである。

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