NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan
不滅の言葉 1965年2号

宗教の必要(部分)
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ

 人類の運命を形成するのに作用してきた、そして尚作用しつつあるあらゆる力の中で、確かに我々がその顕現を宗教と呼んでいる力よりも強いものはない。あらゆる社会制度は背景としてその何処かに此の特殊な力の作用を持っており、また個人団体を問わず人類のあらゆる単位の間に活用されて来た最も偉大な接着力は此の力から引き出されたものである。非常に多くの場合、宗教のきずなは、種族、風土、或いは家系さえもきずなより更に力強かったことは我々のすべてにとって明白である。同じ神を崇拝し、同じ宗教を信じる人々は、単に血筋を同じくする人々、更には兄弟たちよりも逢かに大きな強さと恒久性とをもってお互いに助け合って来たことは周知の事実である。宗教の起源を探索するために様々の試みがなされて来た。今日我々にまで伝えられて来ている古代のあらゆる宗教の中に、我々は一つの主張を、即ち、それらはすべて超自然的である、それらは、いわば人間の頭脳からではなく、頭脳以外の或るところから生れたものである、という主張を見出す。
 近代の学者たちの間に二つの学説がある程度受け容れられている。その一つは宗教の霊魂崇拝説であり、他の一つは無限者の観念の展開である。一方は祖先崇拝が宗教的思想の起源であると主張し、他方は宗教は自然の力の人格化から始まると主張する。人は死んだ親族たちの記憶を保持しようと欲し、たとえ肉体は亡びても彼等は生きている、と考える。そして彼等の前に食物を捧げて或る意味で彼等を礼拝したいと欲する。そこから、我々が宗教と呼ぶものが生れたのである。
 エジプト人、バビロニヤ人、中国人、及びアメリカやその他の国々における他の多くの民族の古代の宗教を研究すると、我々は此の先祖崇拝が宗教の起源であるという極めて明瞭な痕跡を発見する。古代エジプト人にあっては霊魂の最初の観念は複体の観念であった。すべての人体は内部にそれとよく似た形のもう一つの体を含んでいた。そして人が死ぬとその複体は肉体から脱出するが然し生きつづけた。しかし、複体の生命は死んだ肉体が完全に保たれている間だけ存続するのだった。エジプト人の間に死体を傷つけまいとするあれほどの心づかいを発見するのは此の故である。また彼等があの巨大なピラミッドを建造してそこに死体を保管したのは此の故である。なぜなら、外側の体の何れの部分でもが傷つけば複体のそれに応じた部分が傷つくからである。これは明らかに先祖崇拝である。古代バビロニヤ人においても我々は同じ複体の観念を発見するが、そこには多少の違いがある、複体は全く愛情の感覚を失った。それは飲食物を与えるように、そして様々の方法で自分を助けるようにと生きた人々をおどかした。それは自分の子供たちや妻に対する愛情さえも全く失った。古代のヒンズー族の間にも我々はこの先祖崇拝の形跡を発見する。中国人にあってもその宗教の根底はやはり先祖崇拝であると言いうるだろう。そしてそれは今も尚、此の広大な国の全土に浸透している。事実、中国で実際に繁栄していると言いうる唯一の宗教は先相崇拝のそれである。かくして、一方では先祖崇拝説を宗教の起源として主張する人々にとって非常に有利な局面が展開するように思われるのである。..................

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