NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan
不滅の言葉 1965年1号

ラーマクリシュナの生涯(八)(部分)

九、異教への旅
 アドヴァイタ哲学(不二一元論)を体現した結果スリ・ラーマクリシュナの心は驚くべき幅ひろさを獲得し、宗教のあらゆる形式を、その各々が完成に到る道程の一つであるとして受け容れた。一八六六年の終頃赤痢から恢復すると間もなく、師は当時ダクシネースワルに住んでいたイスラム教スーフィ派の見神者ゴーヴィンダ・ラーヤという人の信仰と献身に惹きつけられた。やがて師の心の中に、イスラム教も神の実現への手段の一つなのであるから「主」がこの教えに従って礼拝する人達をどの様に恵み給うのか見たいものだ、という気持がわいた。そこで彼はゴーヴィンダから必要な手ほどきを受けた。師は彼独特の徹底性を以てこの新しい宗教の修業にあたった。その当時の自分の精神状態を彼はこの様に語っている。「私は常にアラーの名をくり返し、マホメット教徒の習慣通りの衣服をつけ、Namaz を規則正しく称えた。すべてのヒンズー的想念は払いのけられて、私はヒンズーの神々を拝まなかったばかりでなく、参詣したいという気持さえ起さなかった。三日の後に、私はこの信仰形式の目標を実現した。」先ず第一に彼は長いひげのある重々しい容貌をした光輝く一個の「人格」をみた。それから彼の心は属性を持つブラフマンを実現し、これを通過して遂に属性を持たぬブラフマンの中に没入した。彼がアドヴァイタによって完成に到達した後にイスラム教を実践したという事実は、この一切の宗教の下に横たわる一つの根拠を通じてのみヒンズー教徒とマホメット教徒とは互いに手をつなぐことができる、ということを明らかにしている。
 七年の後、彼は同じ方法でキリスト教を実現した。一八七四年、師はカーリー寺院の近くに庭園を持つカルカッタの人シャンブー・ナート・マリクと親交を持つようになった.彼はよくこのシャンブー・マリクの庭園内の小屋で長い時間をすごした。この人は師を深く敬愛してマトゥールの死後は喜んで彼の入費一切を捧げたのである。彼はキリスト教徒
ではないが、スリ・ラーマクリシュナによく聖書を読んできかせた。師はこの様にしてキリストとキリスト教とについて知るようになり、例えばキリスト教のような新しい方法を通じて「聖なる母」を実現したい、という強い願望を抱いた。そしてそれは奇妙な形で達せられたのである。.................

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