NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan
不滅の言葉 1965年1号

スワミ・ブラマーナンダ語録より(再掲載)

  神は存在する
 神の聖なる御足にしかとすがりついて居よ、常に神を想え。あなたの時間を世俗の想いによって浪費するな。ともすれば外部に向おうとする心をおさえる様に努力せよ、そして神を想え。努力せよ! 一心不乱に努力せよ! そうすればやがてあなたは理解するであろう、霊的生活の中にどれ程深い喜びが存在するものであるかという事を! それがどんなに面白いものであるかという事を! あなたはマーヤ(無知)をすでにこの世に生きているうちに征服しなければならないのだ。それは、あなたが自からを霊の生活に捧げきるのでなければ容易に達せられるわざではない。信仰を、強い信仰を持たねばならぬ、疑いを心の中に入りこませぬようにせよ。

     弟子が問う、「もしそれでも疑いの心が忍び込んでまいりましたならば?」

 あなたが神を実現するまでは、疑いはいくらでも生じるであろう。疑いが心をかき乱す時には、しっかりと神にすがりついてそして祈れ。次の様に思念せよ。「神は在します。私が神を見ない理由はただ一つ、私の心が不純なためである。然し神の恩寵によって心が充分に清くなった時には必ず神の姿をみるであろう」と。

 此の心は神を知ることはできない。神は、この減する心の彼方に、人間の知恵の遙か彼方にましますのである。あなたが見ている現象的宇宙は心の支配下にある。心がそれの作者である。心がそれを出現させたのである。この心はおのれの領域以外に出ることはできない。我々が意識する現在の心の背後に種子の形で存在する微妙な霊的な心がある。冥想と祈りとジャパム(神の御名をくり返し称えること、称名念仏に同じ)とによってこの心が啓発され、その発達によって新しい視野がひらける。求道者は数多の霊的真理を自覚する。然しながらこれは最高究極の体験ではない。この精妙な心も神すなわち最高アートマンに到達することはできない。ただ、あなたを一層神の近くまで導くのである。この境地に入ると求道者は現象の世界の持つ一切の魅力を感じない。彼は神の意識に没頭するのである。

 その次にサマーディ(三味境)が来る。サマーディの経験は筆舌には尽すことができない。有無の境を超えたものである。この恵まれた境涯にはもはや幸も不幸もなければ光も闇もない、すべては無限の実在、表現を絶したものである。

      弟子が問う、「マハラージ、私どもは世間の義務をどのように行なうべきでございますか?」

 良心を以てあなたの義務を尽せ。けれど、自分は神の御手の中の一個の道具にすぎないということを常に忘れぬようにせよ。仕事に執着してはならない。神のみが唯一の行為者であるということを心の底に銘記せよ。

 あなたの心を常に神の上に固定せしめよ。おお、そうだ、あなたは自分の心をしっかりと神に結びつけておこうと努力しながらも尚失敗するかも知れない。小我が忍びこんで来るのである。然し、決して失敗によって気を落してはいけない。努力を倍加せよ。最初は失敗は避け難いのである。自己を信じ、必ず勇気を失わぬようにせよ。あなたの理想を実現するまで、再三再四克明の努力をくり返せ。「なさざれば死す。」これをあなたのモットーとせよ。

 「私はまさに今生に於て神を実現せねばならぬ」これをあなたの標語とするがよい。もしこの肉体と心とがあなたの神への到達を助けないのなら、それ等に一体何の用があろうか。たとえこの企ての半ばで死ななければならぬとしても意に介することはない。

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