シュリ・ラーマクリシュナ生誕祝賀会の講話

一九九〇年三月十八日 

科学と現代人

 いまは科学の時代です。近ごろ人びとは、昔の宗教上の文献や教えよりも、新しい科学の学説や発見に多く影響されます。彼らは、神がほんとうに存在する、ということを疑います。幸いにも、科学者のすべてがそんなに狂信的である、というわけではありませんが。

 たいていの人びとは、物質だけでこの宇宙が十分支えられる、と思っています。科学は彼らに、商業、交通、ぜいたく薬、およびさまざまの装置、というような、生活に必要なものを供給しています。長い、幸福な生涯が大方の人びとの願望であり、それのためには、彼らは科学とその方法を持っています。それでどこに、神の必要がありましょう。神は私たちの目には見えません。私たちのふつうの心では見ることもできません。それでどうして、感覚に縛られた人が神を信じることができましょう。ですから彼は、公然と神を否定することをためらわないのです。

 またある人びとは、そこまでは行きません。彼らはいいます。神はあるならあってもいいさ、神はわれわれに、いいこともできなければ、悪いこともしないのだ。それだからわれわれには別に必要なない、神についてとやかく考えることなどは要らない、と。さらにまたある人びとは、信と不信の間をゆれ動いています。あるときは、彼らは希望にみち、神の存在を信じています。すべてのことが思い通りにうまく行っているときは、彼らはこの信仰を持ちつづけています。

 しかし別のとき、人生に失敗や挫折がやって来ると、試練や苦難になやまされると、彼らの信仰はすり減った糸のように、ぷつんと切れてしまいます。大部分の信仰者はこのタイプです。このような人びとは、悪くはありません。極端な唯物主義よりはましなのですから。

 しかし人は、この種の信仰で止まってしまってはなりません。宗教は、単なるおしゃべりで、儀式で、または効用を求めるようなことで終ってはなりません。人は霊的な人間にまで発展しなければ人ではない、とシュリ・ラーマクリシュナはおっしゃいます。

 他の人びとは、この世の玩具で遊んでいる赤ん坊です。その遊びに飽きるまでは、宗教の言葉には耳をかさないでしょう。シュリ・ラーマクリシュナのお言葉によると、彼らはまだ、ゲームで三点か四点か五点、かせいだところなのです。要するに、一般の人びとは、たとえ偉大な学者であろうと、ただ物質を意識しているだけです。

 

宗教とシュリ・ラーマクリシュナ

 神を知りたい、とねがう魂、神に飢えている魂は実にまれです。主クリシュナは、ギーターのなかで、同じ考えを表明しておられます。(七・三)「幾千の中の一人が、今生での完成を求める。その努力をする者たちの中のある一人が、正しい見方でほんとうに私を知る」と。シュリ・ラーマクリシュナはよく、哀感をこめてこうおっしゃいました、「誰が神を欲しているか。人びとは、妻や子供たちや財産や富のためには水差しいっぱいほどの涙を流す。だが誰が、神を求めて泣くか」と。

 このように高貴な魂たちは、その生涯のなかで、背後に精神を持たない物質は生命のない肉体のように無力なものである、ということを立証するのです。彼らは、神のみがすべての存在の本質的なきそであるのだ、ということを示します。神は立証することのできる実在だ、というこを証明します。神は単なる頭脳の空想ではなかったのです。シュリ・ラーマクリシュナは、この真理と指し示すために来られたのでした。彼は、神意識の権化であられました。彼の生涯を詳細に見わたすと、そこに終始一貫して、神意識という一本の糸が通っていることがわかります。

 

さまざまのエピソード

 シュリ・ラーマクリシュナの誕生が、この特質を示しているように思われます。彼の母君の世話をしていた女性は、自分が置いた場所に赤児を見いだすことができませんでした。赤児は近くの炉のくぼみにすべり込んで、灰にまみれているのが見いだされたのです。それでも、赤ん坊は泣き声はたてませんでした。これは、この子の未来の、強烈な放棄の生活の前奏曲だったのでしょうか。後のちの出来事をよく見ると、そのように推測せざるを得ません。どうしてそれが放棄を示すのでしょうか。

 インドでは、灰は二重の意味を持っています。それは主シヴァの身につける飾りなので、宗教人にとっては神聖なものなのです。信者たちは、主がこの飾りで荘厳され、カイラーサの山頂にすわって瞑想に没入しておられる姿を瞑想します。

 第二に、それは人の究極の終りをさしています。人が死んだら一にぎりの灰の他に何が残りますか。彼の野望と渇望、おさえてもおさえても生まれて来る欲望のすべて、その中のどれとして、彼を死の手中から取り戻すことのできるものはありません。死はくり返し、くり返し、これらすべてを終わらせてしまうのです。それが、カタ・ウパニシャッドがつぎのように説いているところです、「他の世界は、世間への執着にまき込まれ、富に欺かれている、識別力のない人のためには輝かない。彼らはもっと高い世界の存在を否定する。彼らは、これが存在するもののすべてだ、と信じる。このような人びとは、くり返しくり返し、死の力の支配を受ける」

 もろもろの聖典は、死から解放されるためには、(これは同時に誕生からも解放される、ということなのですが)知識の火をもやして、自分の欲望を献げものとして火中に投ぜよ、と命じています。ギーター(四・三)は、こう言っています。「燃えさかる炎がその中に投せられるすべての木を灰にするように、知識の火はすべての活動とそれの果実をもやしつくす」 ここでシュリ・ラーマクリシュナはまるで、彼の、自己に没入て環境を意識せず、世俗の事物への無臭着と生まれながらの完全さを示されたのであるかのように思われます。

 後に、少年としての彼の遊びやなぐさみは、主クリシュナの生涯の出来事を劇として演じることでした。ひと気を離れたところにあるマニク・ラージャのマンゴー林が、彼の遊びの場所でした。同じ年ごろの何人かの友達とともに、彼はここにかくれて、彼の生涯に関し、芝居の演技で見たものを再演しました。神々や女神たちの像をつくってそれを礼拝することも、彼の好んだあそびでした。

 彼の性にあったもう一つのことは、村の休息所に泊まった遍歴の僧たちを助けることでした。彼は非常な興味をもって、彼らが語る神の話や神話の物語に耳を傾けました。日がたつにつれ、ひとりで村の火葬場にゆき、ひと気のないところで何時間もすごすのが見られるようになりました。この習慣は、彼の父が亡くなったあといっそう著しくなりました。

 彼がどんなヴィジョンを見たか、どのような啓示が彼に与えられたか、それは誰も言うことはできません。彼の心は、自然およびその創り主と、深く交流していたにちがいありません。われわれは、シュリ・ラーマクリシュナが在家の弟子たちに、少なくともときどきはひと気のない場所に行け、と熱心にすすめられたのには特別の意味があったのだ、と思うことができます。かれは何年も何年もそのような生活をして、その価値を知っておられたのでした。すべての偉大な師たちと同じように、シュリ・ラーマクリシュナ、霊性の修行として高徳の人びととの交わりをつづけることの価値を強調なさいました。

 七歳のとき、彼は真っ黒な雲を背景に飛ぶ真っ白な鶴の群を見て、初めての法悦状態を経験しました。その光景の美しさに深く包まれて、少年は外界の意識を完全に失ったのです。両親は心配しましたが、このことの悪い影響はまったく見られませんでした。少年自らが両親や友人たちに、そのとき自分は内部にある特別の至福を感じたのだ、と話してきかせました。

 少年時代のまたあるとき、彼は村でシヴァラトリの夜の芝居に、シヴァの役を演じることになりました。頭髪をたばね、虎の皮をつけ、三叉の鉾を手にした彼の姿は実に魅力的で、観衆は拍手をおくりました。しかし彼は、神の思いに完全に魂を奪われてしまいました。誰がそれをきき、誰が演技をするでしょう。人びとがどんなに手をつくしても、彼はその夜はついに通常意識をとり戻しませんでした。

 少年時代にシュリ・ラーマクリシュナをとらえた神へのあこがらはそのままつづきました。それは次第につよくなり、彼がドッキネッショルで母なる神カーリの神職をつとめられるころには、旋風となりました。ここで彼は、石像の姿をしておられる母なる神の祭祀にたずさわられたのです。彼は、彼女がほんとうに存在しておられることを確かめようと決意なさいました。彼は彼女に祈り、懇願し、泣き、断食して、どうぞ御姿をお見せ下さいと呼びかけつつ、幾夜をすごされました。どれほどの苦悩、どれほどの苦悶の時をすごされたものか、私たちには理解することはできません。

 それのわずかの片鱗を、彼みずからがもらされた説明によって、知ることができます。彼はおっしゃいました、「私はまるで、誰かが私のハートと心を、ぬれタオルから水を絞り出すときのように、絞っているかのように感じた」 その苦しみにたえかねて、彼は自ら生命を絶とうとなさいました。そのときでした。母なる神が彼に最初のヴィジョンを与えられたのは。彼は、まるで無限の光の大海の、おしよせる波に包まれたかのように感じ、意識を失って倒れられました。

 シュリ・ラーマクリシュナの並はずれた神への愛については、彼の生涯における出来事をあと一つか二つ話すと、もっとよく分かります。あるときシュリ・ラーマクリシュナは、モトゥル・バブーといっしょにヴァラナシの聖都におられました。モトゥルは世間の人でした。さまざまのタイプの人びとが彼を尋ねて来、彼はあらゆる種類の話題のもとに話をしていました。シュリ・ラーマクリシュナにとって、家の中の空気はたえ難いものとなりました。訴えるような調子で、彼は母なる神にこう申し上げられました、「おお、母よ、私をどこにつれておいでになったと言うのですか。私はドッキネッショルにいたときの方がずっとようございました。ここでは私は年中『女と金』のことを聞かなければならない場所におかれています。ドッキネッショルではそれを避けることができました」

 晩年、大勢の信者たちが彼のもとに集まりはじめました。彼は、その大部分が、三倍の水で薄められたミルクのようであることをごらんになりました。神への愛が実に生ぬるかったのです。絶望して、彼は叫ばれました、「魂の浄らかな信者たちをよこして下さい」と。このようなのが、彼の心の状態だったのです。たとえごくわずかでも、神以外のことの話を聞くことは、彼にとって大きな苦痛だったのです。

聖典とシュリ・ラーマクリシュナ

 ナーラダのバクティ格言集の中につぎのような格言があります、「‥‥それは神との合一である。そのような状態は、他のすべての支えを放棄することによって、霊的な人のもとにやって来る」と。ナーラダはそのようなバクティのことを「すべての活動を完全なお任せの心で神にささげ、もし、神を忘れでもすると、極度の苦悶を感じること」だと言っています。この格言に出てくるお任せについては、シュリ・ラーマクリシュナはそれを、あり余るほど持っておられました。幾たびとなく、彼は難問題の解決を求めて母なる神にじかに近づかれました。彼女指示をきいてから、その通りに行動されました。

 ムンダカ・ウパニシャッドはこう言っています、「それだけを知れ、アートマンを。すべての他のおしゃべりをすてよ。これが、不死への橋である」と。このすべてについて私たちは何を理解することができますか。たった一日でも、ウパニシャッドのこの命令を実行しようと努めるなら、私たちは、それがどんなに難しいことであるか、知るでしょう。私たちにとってはほとんど不可能なことであるように思われます。しかし、ウパニシャッドの教えのゆるぎない証明として立っている、シュリ・ラーマクリシュナの生涯という光に照らしてみると、これらすべての聖典の真理は、新しい重みと妥当性を得るのです。

 シュリ・ラーマクリシュナは、どのように生涯を通じて神を意識しておられたかを示していらっしゃいます。もし彼がみずから修行をなさらず、修行の必要を強調なさらなかったなら、これが世を助けることにはならなかったでしょう。

 現代の人びとは、グル(霊性の師)のことを軽く考えています。彼らは、師弟関係という伝統は迷信的であり、過去の慣習だ、と言います。霊性の開発は外からの助けがなくても可能だ、と言います。他方、シュリ・ラーマクリシュナは、大勢の師たちの助けを得られました。シュリ・ラーマクリシュナの霊的生活におけるグルの必要性についての教えは、あいまいなものではありません。彼のおっしゃることをよくきいてみましょう。

 「人は、自分のグルから指導を受けなければならない。人であるグルからイニシエーションを受けても、もしそのグルをただの人間と見ているなら彼はなにひとつ得ることはできないだろう。グルは、神の直接の現れと見るべきである。それで初めて、弟子はグルから与えられたマントラに、信仰を持つことができるのだ」

 

スワミ・ヴィヴェーカーナンダとシュリ・ラーマクリシュナ

 アラシンガに宛てた手紙に、スワミ・ヴィヴェーカーナンダはこう書いています、「シュリ・ラーマクリシュナの生涯は、たぐいまれなサーチライトであって、その輝きの下で、人はインドの宗教の全貌をほんとうに理解することができるのです。彼は、もろもろの聖典が与えるすべての理論的知識の、実物の見本でした。彼はみずからの生き方を通じて、リシたちやアヴァターラたちが教えようとしたことを示したのです。

 「書物は理論でした。彼は実現でした。この人は、五十一年の間に、民族の五千年の霊的生活を生き、そのようにして、みずからを、来るべき世代のかがみとしたのでした。このアヴェスタ、すなわち段階、単なる程度のちがい、という学説によって初めて、ヴェーダ(さまざまの)は説明され得るし、もろもろの聖典は和解することができるのです――つまり、われわれは単に他の教えをがまんするというだけであってなならない。積極的に彼らを抱擁しなければならない、ということが、そしてすべての宗教の根底は真理である、ということがわかるのです。‥‥英文による彼の伝記が全世界で読まれるようになるでしょう」(全集五巻五三ページ)

 彼に与えられた歓迎演説への答として、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは言っています、「もし、思いか言葉か行いによって私がなしとげた何ものかがあるとするなら、もし、私の口からこの世の誰かを助けるような言葉が洩れたとするなら、それは私のものではありません。彼のものでした。しかしもし私の口から呪いの言葉がもれたなら、私から憎しみの感情が出たなら、それはすべて私のものであって、彼のものではありません。弱かったものはすべて私のものでした。生命を与える、人を強くする、浄らかで神聖なものは、彼のインスピレーションであり、彼の言葉であり、彼自身です。‥‥

 「私の考えでは、その高貴な輝きにおいて、あの生涯――私が自分の目で見た、その庇護のもとに私が生きた、そしてその足元で私が一切のことを学んだ――パラマハンサ・デヴァの生涯にまさるものは一つとしてありません」


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