シュリ・サーラダ・デーヴィ生誕祝賀会の講話

 

一九八七年一月十八日

緒言

 私たちの多くのものにとって、ホーリーマザーの神性、すなわち、彼女の生得の高貴な性質を理解するのはこの上もなく難しいことです。スワミ・ブラマーナンダジさえ、彼女は実はどの様な人であられるのかということを、シュリ・ラーマクリシュナがあのように繰り返し自分たちに説き聞かせて下さったのでなかったら、自分たちも決して彼女を正しく評価することはできなかったであろう、と言われました。

 ホーリーマザーは決して、彼女の内なる神性を、いささかでも外に現すようなことはされませんでした。彼女は常に、自らの日々の勤めを完ぺきの形で遂行することに専念しておられました。幼いときから最後の瞬間に至るまでの彼女の奉仕は、驚嘆すべきもので、常に身内の人々から、また、僧たち、在家の信者たちから、深い感謝を受けておられました。彼女の愛は、階級や人種や信仰の差別を超え、一切を抱擁するものでした。彼女は実に愛深く、思いやりがあり、何ひとつ彼女の注意を逃れるものはない、と言うほど、行き届いておられました。

1、二人の間の関係

 シュリ・サラダ・デヴィは、一八五九年五月、よわい六歳でシュリ・ラーマクリシュナと婚約されました。シュリ・ラーマクリシュナはその当時、神に酔った状態を経験しておられました。サラダ・デヴィは引続き、ジャイランバティの両親の家で暮らされました。シュリ・ラーマクリシュナは気が狂い、奇妙な振舞いをする、という噂を聞いたので彼女は夫の住むドッキネッショルに行く決意をされました。サラダ・デヴィは、自分の眼で実状を確かめたい、と思われたのです。そして、彼に仕え、お世話をしたい、と願われたのでした。

 一八七二年、彼女が初めてドッキネッショルに来られたとき、サラダ・デヴィは一九歳、シュリ・ラーマクリシュナは三六歳でした。ときおりの里帰りの短い時期を除き、彼女は、一八八六年シュリ・ラーマクリシュナがなくなられるときまで、彼のもとで暮らされました。彼女はあらゆる形で彼に仕え、彼の高度な霊的生活の伴侶となられたのでした。

 彼女がシュリ・ラーマクリシュナとともに過ごされたこの約一四年間は、世界の霊性の歴史の上でもユニークなものであります。すべての世俗的な考えを高く遥かに超越して、この偉大な二つの魂は、いささかの汚点もない、清らかな、純潔な生涯を送られたのでした。彼らの活動のすべては、崇高な霊的なレベルまで高められたものでした。これこそ実に、結婚生活の真の、最高の理想であります。肉体の関係を遥かに超えて、二つの魂は、霊的交流の生活を生きられたのでした。

 これは、サラダ・デヴィが身をもって、女性の理想像を、また、母性の理想像を、示された時期でもありました。彼女は、忍耐、辛抱強さ、落ち着き、足るを知る態度、及び、無私の、愛深き奉仕という、さまざまの高貴な性質を示されました。また、この時期は、後年、宗教生活に関する指導を求めて彼女のもとにやってくる、幾千の人々に霊的援助を与えるべく、自らを準備された時期でもありました。

 彼らの生涯は、在家の人々の理想と同時に、サンニヤーシンの理想をも示された、崇高な生涯でありました。彼らは、自らの生活を通じて、夫と妻との関係はどうあるべきか、ということを教えられたのです。結婚生活における双方の、相手に対する正しい態度を教えられたのでした。

 シュリ・ラーマクリシュナはサラダ・デヴィを、灯心の先を切る、というようなごく普通の仕事から、霊性の修行と理想の最高の目的に至る、あらゆる道において、訓練されました。一般的な社会の勤めに関するおきてや、さまざまの親類、さまざまの人々に対してどのように振舞うべきか、というようなことも教えられました。シュリ・ラーマクリシュナは、そのために彼がこの世に生まれたところの霊的使命を成就することができるように、彼女を訓練されたのでした。

 サラダ・デヴィは細心にシュリ・ラーマクリシュナの教えに従って人格を形成されました。そのために、後年、ニヴェディター、クリスティン、マックレオドというような、教育ある西洋の婦人たちをも、静かな、優雅でしかも愛深い態度で迎え入れられたのでした。彼女はその一挙手一投足に、威厳と優しさと、落ち着きを示しておられました。

 この時期にシュリ・ラーマクリシュナとサラダ・デヴィとの間に交わされた高貴な感情は、我々のハートを神的な感動でみたします。彼女が初めてドッキネッショルに来られたとき、シュリ・ラーマクリシュナは率直に彼女に尋ねられました。「あなたは、私を世俗のレベルに引き落とすために来られたのか」即座にかえってきた答えは、「何でそんなことをいたしましょう。私はただ、あなたの宗教的なご生活の中であなたにお仕えし、そしてあなたから教えていただくために参りました」というものでした。

 彼女はまた彼女で、彼の御足をマッサージしながら、「私をどの様にご覧になっていらっしゃいますか」と尋ねられました。いささかのためらいもなく、シュリ・ラーマクリシュナはこう答えられました、「聖堂の中で祭神であられる母、私を生んで下され、そしていまナハバトに住んでおられる母、まさに彼女が、いま、私の足をマッサージしていて下さる」と。

 シュリ・ラーマクリシュナは彼女を、深く尊敬しておられました。彼女の浄らかさを、そして彼がそのおかげを受けておられることを、認めておられました。彼は、「もし彼女があれほど純粋でなかったら、私が自制心を失うようなことがなかった、と誰が保証できよう」と、おっしゃいました。このころ、サラダ・デヴィは、ある意味の深い祈りを繰り返しておられました。こう祈られたのでした、「月の面にさえも暗いところがあります。けれども、主よ、どうぞ私を、全く汚点のないようにして下さいませ」と。この様な熱烈な祈りが応えられずにいるはずはありません。

 シュリ・ラーマクリシュナは、「もし彼女の感情をいささかでも傷つけるようなことがあったら、私の神への信仰まで、羽が生えて飛んで行ってしまうだろう」とおっしゃるのでした。サラダ・デヴィはよくこう言われたものでした、「ああ、シュリ・ラーマクリシュナは私を、どのようにお扱いになったことか。たとえ一回でも私の感情を傷つけるようなきつい言葉をお吐きになったことはありませんでした。たとえ、花ででも、私をお打ちになったことはありませんでした」と。

 これに関連して、非常に意味の深いある出来事をここで述べましょう。シュリ・ラーマクリシュナが病におかされられたとき、彼は治療の便宜のために、ドッキネッショルからカルカッタにお移されになりました。彼の身近の弟子たちがこの手配をしたのでした。このことについて、シュリ・ラーマクリシュナの女性の弟子の一人であるゴーラープ・マーが、深く考えもせずにある友だちに向かって、「私は、師はマザーに対して腹を立てられ、それでカルカッタにお移りになったのだと思う」と話しました。シュリ・ラーマクリシュナがホーリー・マザーに腹を立てられるなどということは到底あり得ないことだったのです。

 ゴーラープ・マーのこの言葉は、数日後にサラダ・デヴィの耳に入りました。彼女の純粋なハートは深い苦悩にさいなまれ、彼女は事実を確かめるべく、馬車に乗ってカルカッタに行かれました。彼女はシュリ・ラーマクリシュナに会い、涙とともに尋ねられました。「あなたは私に対してお腹だちになり、そのためにここに来ておしまいになったのだ、というのは本当でございますか」と。

 師はこれを聞いて非常に驚かれ、誰がそんなことを言ったのかと尋ねられました。ホーリーマザーが一言、「ゴーラープ」と答えられると、師は激怒され、断固として、「なんということだ!そんなことを言ってあなたを泣かせるとは!彼女はあなたが誰であるかということを知らないのか。彼女はどこにいる。ここによこしなさい」と言われました。シュリ・ラーマクリシュナから直接これらのお言葉を聞いて、ホーリーマザーはほっとなさり、ドッキネッショルに帰って行かれました。

 ゴーラープ・マーが師の所に行くと、師は彼女を叱り、「何を言って彼女を泣かせるようなことをしたか。すぐに彼女に許しを乞いなさい」と言われました。

 ゴーラープ・マーは、軽率な一言がどんなに自分を窮地に落とすし、心の清らかなマザーに大きな不安を与えたか、ということを悟り、後悔の念にかられ、時を移さず、出発して、歩き通してドッキネッショルまで行きました。彼女はホーリーマザーの前に立ち、お詫びをして、「師は私にたいそうお腹だちです。訳も分からず、あの様なことを申しまして・・・」と言いました。

 マザーはいつも許しの天使であられました。この様な悔いあらための言葉を聞くと、善意と優しさに満ちて笑い飛ばされ、ゴーラープ・マーの背中を三度、軽く叩かれました。それでたちまち、彼女は窮地から解放されました。

2、ドッキネッショルでの生活

 ホーリーマザーのドッキネッショルにおける日常生活は、あらゆる求道者の心を鼓舞するものであります。さまざまの、止むことのない仕事のまっただ中にあって、彼女の心は常に、ちょうどコンパスの針の先のように、神の方に向けられていました。彼女はここで、来る日も来る年も、ナハバトの中の小さな一室に住み、いささかの不満も、厭う様子もみせられませんでした。彼女は、外界とは殆ど遮断された生活をしておられました。無数の艱難辛苦を身に引き受けつつ、細心の注意を傾けて師と、彼の母と、そして大勢の信者たちに奉仕しておられました。

 彼女は毎朝大層早く、午前三時には起きられました。ガンガーで沐浴をすると、霊性の行のためにすわられるのが常でした。その後、夜おそくまで毎日の仕事に携わられました。何をするに当たっても、浄らかな、静かな、落ち着いた、そして、与えられたものに満足した心境を持しておられました。この心境について彼女はこのように言われました、「当時、私は、喜びをいっぱいたたえた壷が自分のハートの中に常に置かれているように感じていました」と。

 師は、世間、及び、霊性の両分野における彼女の才能の開発のために深い注意を払われました。もちろん、重点は常に霊性の側におかれました。師が彼女に与えられた教え、及びそれらをどのような形で与えられたか、というようなことに関する記録はほとんどありません。ホーリーマザーは、このことに関しては、まれにしか語られませんでした。しかし、師の教えが彼女の純粋かつ素朴な心に莫大な影響を与えたことに疑いの余地はありません。ホーリーマザーが師の指導のもとに、非常な熱意をもってジャパと瞑想を実習されたことは、良く知られています。姪のナリニを戒められた中で、サラダ・デヴィは、あるとき、彼女が多忙な日々の勤めを果たしつつ、どれほど厳しい行を行われたかということを漏らしておられます。彼女はナリニにこう言っておられるのです、「あなたの年頃には私は、どれほどたくさんの仕事をしたことでしょう。それでも毎日、十万回、マントラを繰り返す時間を見いだすことができたのですよ」それは宗教生活のどんなに厳しい標準に照らしてみても、大変な行いです。また、あるときには彼女は、自分はまったく肉体意識を失うほど、完全に瞑想に没入するのだ、といわれました。

 霊性の修行の頂点について、彼女はこのように言われました、「人が完全な霊性の悟りを得るなら、彼は、自分のハートに宿っておられる彼は、他のすべての人のハートにも宿っておられる、虐げられている人々、迫害されている人々、不可触賎民とかアウトカーストとか呼ばれている人々のハートにも宿っておいでになる、ということを見いだします。此の悟りは、人々を本当に謙虚にします」と。

3、霊的奉仕

 シュリ・ラーマクリシュナの亡くなられた後、ホーリーマザーは、彼の逝去によって霊性の分野で生じた空洞を見事に埋められました。彼女の真の価値と偉大さは、この、約三〇年間にわたる霊的な奉仕の時期に、示されたのでした。

 彼女の放棄と純粋さは、シュリ・ラーマクリシュナのそれに匹敵するものでした。彼女の霊的自覚は、最高の序列に属していました。しかし、その偉大さも純粋さも、表面には現されなかったので、彼女の真の偉大さは、普通人の目には隠されています。

 ホーリーマザーは比類のない霊的能力を持つ人であられました。しかし、その徴しを外部に示されることはありませんでした。彼女は、甥たちや姪たちや、彼らの小さな問題や世俗的な出来事の中にあって、ごく普通の女性のように見えておられました。

 彼女の親密なお相手の一人であったヨギン・マーさえ、彼女を正しく理解することはできませんでした。しかし、彼女は間もなく、あるヴィジョンによって啓発されたのでした。ある日彼女がガンガーの岸で瞑想していると、シュリ・ラーマクリシュナが自分の前に立っておられるのを見たと感じました。師は彼女に、へその緒に巻き付かれ、血にまみれた、生まれたばかりの赤ん坊の死骸をお見せになりました。死骸は聖なる河に浮かんでいました。シュリ・ラーマクリシュナは彼女にお尋ねになりました、、「これでガンガーが汚れるか? また、何ものかがガンガーを汚すことができるか? 彼女もちょうどそのようなものだと知りなさい。彼女に関して疑いを持つではない。彼女は私と一体なのだよ」ヨギン・マーは驚いて家に帰りました。そして、ホーリーマザーの御足の塵を取り、「マザー、どうぞ私をお許し下さい」とお願いしました。

 不思議に思われたマザーが、何事か、とお尋ねになると、ヨギン・マーは、「マザーよ、私はあなたを疑っておりました。けれども師が、私に事実をお示し下さったのでございます」と申し上げました。ホーリーマザーはたんたんとした御様子でした。ちょっと笑って、こう言われました、「それが何ですか。あなたがたが疑うのはもっともですよ。問いかけをする、また信仰が戻ってくる、このようにして信仰は固まって行くものなのです」

 幾千の男女が、導きと助言を求めて彼女のもとにやってきました。ある、シュリ・ラーマクリシュナの出家の弟子を含め、その中の大勢の人々がイニシエイションを受けて、彼女の弟子となりました。彼女は文字どおり、幾百万の人々から礼拝されました。彼女はその前、二〇歳のときに、シュリ・ラーマクリシュナの礼拝を受けられたのです。人生の最高の要求である、人の霊的要求に応える奉仕を続けてこられたのですが、彼女自らは常にまったく素朴な姿を保ちつづけ、あらゆる家事に携わって、普通の女性の生活をなさったのでした。

 ホーリーマザーはあるとき、ジャイランバティの近くのコアルパラに滞在しておられました。一人の弟子がお目にかかりにやって来ました。彼は、マザーのような浄らかな魂にとっては、俗世間的な人物に触れられることは大きな苦痛である、ということを知っていました。聖なるものは、罪深いものとの接触には耐えられないのですから。彼は、自分はさまざまの罪深いこの世の重荷を背負う普通の人間であるから、自分が触れることによってマザーに苦痛を与えては悪い、と思い、他の信者たちがするように彼女の御足に触れてご挨拶をすることは、ためらっていました。

 彼のこの内心の思いを察して、マザーは言われました、「いいえ、私の子供よ、私たちはこのことのために生まれているのです。もし、私たちが他の人々の罪や悲しみを受け取らず、また、それらを消化することをしなかったら、他の誰がそれをしますか。他の誰が、罪人たち、悩める人たちの重荷を引き受けますか」

 本当に、彼女の慈悲深さは、限りもなく、まったく驚くべきものでした。

 彼女の霊性の力について、スワミ・プレマーナンダジーは「彼女は何という巨大な力であられるか。・・・どんなに大勢の人々が彼女の所に群がり集まるか、見ているだろう。我々は自分では消化しきれない毒を、彼女の所に送っているのだ! しかし、マザーは誰も彼もを膝の上に抱きとっておられる! 無限の力、そして、無限の慈悲だ! 我々は別としても、我々は師ご自身さえ、このようなことをなさるのは見たことがない。彼でさえ、いつも詳しく調べて弟子たちを選んでおられた。だが、ここではどうか。驚異だ。大きな驚異だ。彼女はすべてのものに隠れ家をお与えになる。・・・すべてのものの食べ物を召し上がる。そして、何もかも消化なさる」

シュリ・サラダ・デヴィの母性愛

 サラダ・デヴィはすべての人にとって母親のようでした。母性愛の理想像であられただけでなく、実際にすべての人から愛をこめてマザー、お母さん、と呼ばれられたのでした。彼女は将来、幾千の人々からそう呼ばれるであろう、と言われたシュリ・ラーマクリシュナの言葉は成就したのです。彼女の全く汚点のない浄らかさと、自ずからなる母の愛が、サラダ・デヴィにこの「ホーリーマザー」という呼び名を与え、会うすべての信者がこの名で彼女を呼ぶようになったのでした。

 浄らかさと母親らしさとが、彼女の内部で見事に結合していました。彼女は、神の超越的領域に完全に没入されました。それでも彼女は、母親として子供たちを助けるために、無知の、よるべなき魂たちを導くために、この世界に住んでおられたのでした。この、神的背景を持つ、慈悲深い母の態度、これがホーリーマザー、シュリ・サラダ・デヴィでありました。

 霊性の自覚を得た人の徴しは、差別なしにすべての人を理解し、すべての人に同情し、あらゆる方法で彼らを助けようと努める、というものです。この様な悟った魂たちは、ほんの少しばかりのエゴを保持しています。慈悲心から、彼らは人類を助けるために、超越的な状態から降りてくるのです。彼らは、自分の神的意識は忘れません。それでも彼らは、普通の人間のように見えています。彼らは決して、誰をも拒んだり、決めつけたり、または彼に対して文句を言ったりはしません。彼らはすべての人を許し、あるがままで愛します。

 ホーリーマザーは決して、彼女に近付いて助けを乞う人々を決めつけるようなことはされませんでした。彼女はこう言われました、「間違いを犯すのが人の性質なのです。それなのに、それを非難する人々はいても、治してやる人は殆どいません」と。また、こうも言われました、「ここにくる人たちの中の何人かは、人生であらゆることをやって来ています。彼らが犯さなかった罪はないと言ってよいくらいです。それでも、彼らがここに来て、私を「マザー」と呼ぶと、私は何もかも忘れてしまうのです。彼らは受けるに値する以上のものを受けます」「得るに値する以上のものを得る」これが母親の慈悲というものです。

 多くの信者は、ホーリーマザーの恩寵によって、自分がどれ程助けられているか、ということに気付きませんでした。ある日、ある弟子が彼女に、真剣な様子で言いました、「マザー、私はこんなにたびたびあなたのお慈悲を頂いています。それなのになぜ、少しも進歩しないのでしょうか。私は前と少しも変わらないような気がします」それに答えて、マザーは「私の子供よ、仮にあなたがベッドで眠っている間に誰かがやってきて、ベッドごと他の場所に移したとします。その場合、あなたは眼が覚めるとすぐ、新しい場所にいることに気付くでしょうか。気が付きません。眠気が完全にさめた後に初めて、自分は新しい所にきている、ということを知るのです」と言われました。

 無数の人々が、彼女の恩寵によって向上しました。マザーはあるとき、ある青年におっしゃいました、「低い方に、快楽の対象に向かって行きたがるのが心の性質です。しかし、神の恩寵は、この様な心をもっと高い高い対象に向かわせて下さるのです」と。このことは、マザーのもとを足しげく訪れていた一大学生の生涯において実証されました。

 ある日、彼女に暇を告げると、彼は突然こう言いました、「マザー、私はここに伺える人間ではありません。あなたの所に伺うにふさわしくない者です。これで永久においとまを申し上げます」彼はこうして家を出て行きました。マザーは走って彼の後を追い、シャツをつかんで引き寄せ、両手を彼の肩に置いて、ひたと彼の目を見つめながら、断固とした声でこうおっしゃいました、「心に好ましくない思いが浮かんだら、必ず、私のことをお思いなさい。心配なさるな」

 家に帰る道々マザーのお言葉を幾たびも幾たびも繰り返しました。「私のことをお思いなさい。私のことをお思いなさい」彼は、あのこうごうしい慈悲に満ちたマザーの二つの御眼を忘れることができませんでした。不断に彼女のことを思い続けました。そして、これが、彼の人生を完全に変えたのでした。彼は後に僧になり、模範的な生涯を送りました。マザーの慈悲は実に深いものに違いありません。ただ、彼女を思うだけで、我々の心は清まり、意識は、より高い霊性の領域に上るのです。

 彼女はよく、人々に言われました、「ここにあなたがたの母親がいるのだということを覚えておいでなさい。いつでも、私の所にきていいのですよ。私は決して断わるようなことはしません。あなたがたは私の身内なのですから」と。この保証は空しいものではありませんでした。多くの人々がそれを感じました。ひとたび彼女を「マザー」と呼んだ人は受け入れられ、生涯にわたって助けられ、導かれたのです。

 一触れにより、一瞥によって、彼女は人々に霊感を与えられました。あの聖なる源から直接に来る愛、神から直接に来る愛、を持っておられたのです。神は愛です。その愛が来るとき、誰もそれに抵抗することはできません。そのようにして、彼女は、人々を啓蒙し、変容させなさったのです。

 愛、慈悲、及びゆるし、すべては一緒にやってきます。ホーリーマザーは、これら三つのものの権化でした。彼女は、真の母として、永遠の母として、また我々のより高い憧れの実現として、我々の前に立っておられるのです。

 スワミ・シヴァーナンダに当てた手紙(一八九四、USA)の中で、スワミジーは、アメリカからこう書いて来ておられます、「私にとっては、母の恵みは、父の恵みより大きい。母の祝福は、私にとっては最高のものである」と。


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