シュリ・サーラダ・デーヴィ生誕祝賀会の講話

 

一九八四年十二月十六日 

 ホーリーマザーは一八五三年十二月二十二日(木曜日)、インド西ベンガル州のジャイランバティという小村に生まれました。彼女のフルネームはシュリマティ・サラダマニ・デヴィです。その両親は貧しい正統派のブラーミン、自分たちが受けついだ宗教の伝統と社会の習慣を忠実に守る人々でした。父親のシュリ・ラーマチャンドラ・ムコパッダは、心の広い親切な人でした。少しばかりの農地から得られるわずかの収穫と、聖職者としての務めから来るわずかの収入とで家族を養っていました。土地の人々からは深く敬愛されていました。母親のシュリマティ・シャマスンダリ・デヴィは、その深い信仰によって人に知られていました。振舞いは素朴で、非常な働き者でした。ホーリーマザーは両親についてこう言っておられます、「もし彼らが敬虔な生活を送っておられなかったら、神性を具えた子は生まれなかったでしょう」と。

 シュリ・サラダ・デヴィは長女で、一人の妹と五人の弟とがいました。彼女は生まれつき正直で優しく、普通の人形で遊ぶよりは、土焼きの神の像を祀って遊ぶ、という風で、また仲間の子供たちをよくかわいがりました。

 彼女は自分に割り当てられた家の仕事を忠実に行って、台所でよく母を助け、やさしく弟妹の世話をしました。両親の指導のもとに、托鉢僧たちのうたう宗教歌や、神話を題材としたドラマなどを通じて、この国の霊的文化を学び、これに親しむようになりました。学校教育はほとんど受けませんでしたが、二大叙事詩、マハーバーラタとラーマーヤナは読むことができました。彼女の持って生まれた品格、すべての者に対する母のような愛情、親切さ、および霊的な素質は、その心、ハートおよび知性が最高に発達していることを示していました。

結婚

 六歳のとき、サラダ・デヴィは、当時二十四歳であられたシュリ・ラーマクリシュナと婚約しました。シュリ・ラーマクリシュナは当時、強烈に神に酔った状態を経験中で 、飲食、睡眠など、肉体の要求するものには無関心でした。昼も夜も、祈りと瞑想に没入していました。人々は、彼は気が狂ったのだ、と思いました。母親や身内の人々は、彼をこの神への狂気から救い、その心を普通の状態に引き下ろすために、妻を見つけることにしたのです。このことについての神の思召を悟って、シュリ・ラーマクリシュナは結婚を承諾しました。いくら骨を折っても、彼の母はふさわしい花嫁を見いだすことができなかったのですが、シュリ・ラーマクリシュナが、花嫁のいるところを指示されたのです。式の直後にシュリ・ラーマクリシュナはドッキネッショルに戻って再び、霊性の修行に身を投じ、サラダ・デヴィはジャイランバティの両親のもとに帰りました。

 

シュリ・ラーマクリシュナがサラダ・デヴィを訓練する

 

    神聖な至福の喜び

 八年後に、シュリ・ラーマクリシュナは故郷カマルプクルを訪れました。このとき、サラダ・デヴィは初めて、夫との真の接触の機会を得たのです。彼の心は絶えず神の中にあったのですが、それでもシュリ・ラーマクリシュナは、今は十四歳になった若い妻に対する責任は、忘れませんでした。深い心づかいと愛情とをもって、霊的な事柄と世俗の事柄との両方にわたって、彼女を教育しました。離欲、自制、祈り、瞑想のような霊的修行に関することから、家住者としての務めのことまで教えました。来客への仕え方、年長者を敬うこと、世俗の務めを無私の態度で果たすこと、などをしつけました。ランプのしんの切り方、小舟や列車で旅するときの心得までも教えました。彼の教えの真髄は、人と時と所と、環境に応じていつも正しく、賢く振舞え、というものでした。サラダ・デヴィはこの教えを終生、守りました。

霊的至福

 シュリ・ラーマクリシュナは筆舌につくせぬ愛の権化ですから、彼と共に過ごしたサラダ・デヴィの幸福は限りのないものでした。のちに彼女は、「私は絶えず、まるで神の至福に満たされた瓶が常住、ハートの中に据えられているかのように感じました。胸を一ぱいにしていたあの神々しい歓びは、到底言葉に現すことはできません」と述懐されました。明らかに、天上の宝を受けるという、類いまれな特典を得つつあることを感じておられたのです。シュリ・ラーマクリシュナはホーリーマザーのこの世における使命を予見し、彼女にこの世の虚しさと神の実在とについて教えられたのでした。約七カ月の滞在の後、シュリ・ラーマクリシュナはドッキネッショルに戻られ、サラダ・デヴィは親もとに帰られました。

    孤独の生活と世間の批評

 次の四年間、サラダ・デヴィはジャイランバティで暮らしました。彼女は寂しさと、内心の苦悩を感じました。シュリ・ラーマクリシュナは度の過ぎた修行の結果狂気した、という知らせが村に届いたのです。村人たちは、サラダ・デヴィを狂人の妻と呼びました。彼女は人目を避け、家事に忙しく働きました。しかし、心の平静と優しさと、神への信仰は失いませんでした。

 サラダ・デヴィは、自分の眼で実情を知りたいと思い、父と共にドッキネッショルに向かって出発しました。途中で高熱におそわれ、夫に会うことはできないか、と思いましたが、病の床の中で、夜中に女神カーリのヴィジョンを得て、旅の目的は達せられる、というお告げを受けました。

    ドッキネッショルでの生活、霊的訓練

 シュリ・ラーマクリシュナは彼女をあたたかく迎え、病気治療の手はずをととのえられました。サラダ・デヴィは、シュリ・ラーマクリシュナに狂気の徴候などは見いだしませんでした。彼女の夫は前と少しも変わらず、優しく愛深い、ということを知りました。彼女は厳格な尼僧の生活を送りつつ、彼の妻として、弟子として、シュリ・ラーマクリシュナと共に暮らしました。

 シュリ・ラーマクリシュナは、今生において悟りを得られるよう、高い霊性の真理と修行の方法とを、献身的に彼女に教えました。まもなく、夫妻の間には親密な関係が生まれ、彼らの心は常に、世俗のわずらいをはるかに超えた、高い霊的な境地に住していました。

シュリ・ラーマクリシュナとサラダ・デヴィとの関係

 あるとき、シュリ・ラーマクリシュナはサラダ・デヴィに、彼女は彼を世俗の生活に引き下ろすために来たのか、ということを尋ねられました。サラダ・デヴィは即座に答えられました、「そんなことがあるものですか。どうして私が、あなたを世間にまき込むことなどを致しましょう。私は、あなたが霊的理想をお悟りになるのをお助けし、あなたのご指示によって自分自身を育てるためにここにきました」と。

 サラダ・デヴィの方はある日、シュリ・ラーマクリシュナに、彼女をどのように見ておいでになるか、と尋ねられました。シュリ・ラーマクリシュナは、彼女と彼の母と、そして母なる神カーリとの間にいささかの違いも見ない、と答えられました。彼らは何日間か一しょに眠られたのですが、ただの一度も、たがいの間にいささかの肉体的魅力をも感ぜられたことがありませんでした。ずっと後になって、シュリ・ラーマクリシュナは弟子たちにこう言われました、「もし彼女があのように浄らかでなかったら、私は自制力を失って普通の男のように振舞ったかもしれない。結婚後、私は神に、彼女の心から色欲を完全にぬぐい去って下さいとお願いしたものだ」

 サラダ・デヴィは実に純粋で高貴で、彼女の聖なる夫を世俗の生活に引きずりおろすような、いささかの傾向も持ってはおられなかったのです。

シュリ・ラーマクリシュナによる礼拝

 今や、サラダ・デヴィは十八歳になろうとしておられました。シュリ・ラーマクリシュナは、社会および宗教によって認められている、夫と妻との間の普通の関係は彼らにはあてはまらない、ということを確信しておられました。彼は、サラダ・デヴィはまことに母なる神の現れである、そして、彼女の内なる神性を完全にめざめさせる時が来ている、と感ぜられました。ある吉祥の夜、彼は、自室に母なる神のある特別のお祀りの用意をととのえられました。サラダ・デヴィは祭神の座にすえられ、シュリ・ラーマクリシュナは正式に、彼女を神として礼拝なさったのです。祀りが進行するにつれて、シュリ・ラーマクリシュナとサラダ・デヴィ、礼拝する者と礼拝される者、この両者は共に忘我の状態に入られました。この儀式が終わったとき、シュリ・ラーマクリシュナは、すでに最高の域に達した彼の霊的修行の果実のすべてを、彼女の足下に捧げられました。サーラダー・デヴィはまがう方なき女神に変容され、しかも彼女は、この事実を完全に意識されました。シュリ・ラーマクリシュナは後に、神を神聖な母として礼拝するのは霊性の修行の最後の段階である、とおっしゃいました。

サラダ・デヴィの夜の恐怖

 シュリ・ラーマクリシュナはごく僅かしか眠られませんでした。しばしば、夜じゅうを、神に酔った状態で過ごされました。サラダ・デヴィは、彼がこのような状態にあられるのを見ると眠ることができませんでした。シュリ・ラーマクリシュナは彼女にさまざまのマントラを教え、彼の心を普通の状態に戻すためにはそれらをどのように使うか、ということを話してきかされました。何日かたった後、彼は、彼女が眠ることができず、心配のうちに夜を過ごしておられることを知って、音楽塔ナハバトという別の建物にある彼女の部屋で眠るよう、すすめられました。

ナハバトでの生活

 ナハバトのサラダ・デヴィの部屋はまことに狭いものでした。それが彼女の瞑想、祈りの部屋、寝室、および家財の置き場として使われていました。しばしば、、一人か二人の女の信者がここで一緒に夜を過ごしたものでした。

ダコイトに遭う

 サラダ・デヴィはしばしば、故郷ジャイランバティに住む母や親類を訪ねられました。彼女は、大方六十マイルの道を、歩いて行かれました。この旅行中のあるとき、突然、一人のダコイトとその妻にあって、驚嘆すべき心の落ち着きを示されました。彼女は数名の道連れと一しょにジャイランバティからドッキネッショルに帰られる途中、ダコイトが出没するので人々が夜は通ることを避けるという、淋しい地域にさしかかりました。日暮れでした。彼女は非常に疲れて足がのろくなったので、仲間の人々に先に行ってくれと頼みました。そしてひとりで歩いているうちに夜になりました。突然彼女は、棒を携えて近寄って来る一人のダコイトを見ました。ダコイトは無礼な態度で、誰か、と尋ねました。彼女は優しい言葉で、「お父さん、私は仲間にはぐれたのです。たぶん道を間違えたのでしょう、あなたの息子(シュリ・ラーマクリシュナを指す)はドッキネッショルに住んでいて、私は彼のところに行く途中なのです。どうぞ私をつれて行って下さい。彼はご親切をありがたく思うことでしょう」と言いました。盗賊の妻が、やって来ました。サラダ・デヴィは信頼をこめて彼女の手を握り、「私はあなたの子供サーラダーです。仲間にはぐれてしまいました。恐ろしくてたまりません。あなた方におめにかかったのは本当にしあわせ。そうでなかったら、どうしたことか分かりません」と言いました。

 サラダ・デヴィの素朴さ、率直さおよびその優しい言葉は完全にダコイトのハートを征服し、二人は彼女をわが娘のように感じました。その夜、彼らは親切に彼女の世話をし、翌朝、彼女は仲間たちにめぐりあって、二人に別れを告げたのです。別離は感動的なもので、夫婦は泣き始めました。このダコイトとその妻とは幾たびか、贈物を携えてドッキネッショルにシュリ・ラーマクリシュナを訪れました。サラダ・デヴィはあるときこの盗賊の父親と彼の妻に、何故こんなに自分を愛してくれるのか、と尋ねられました。彼は言いました、「あなたは普通の人間ではいらっしゃらない。私たちはあなたを、カーリ女神と見たのです。たぶんあなたは、私たちが罪人であるために、私たちにはご自分の本性を隠しておいでになるのでしょう」と。

ドッキネッショルでの生活

 サラダ・デヴィのドッキネッショルにおける生活は、仕事と霊性の修行との調和ある結合でした。彼女は早朝に起き、祈りと瞑想に没頭しました。それから台所で炊事を始め、食事を用意したり、師の女性の弟子たちの世話をしたりしました。神である夫に仕える、という喜びが、身辺のあらゆる困難を打ち消したのでした。

聡明さと、無欲

 シュリ・ラーマクリシュナは、サラダ・デヴィの叡知を尊敬しておられました。ある日、ある金持ちの男が、師の生活費に、と多額の金を差し出しました。師がそれを受け取ることを拒まれると、彼はそれをサラダ・デヴィに上げようとしました。しかし彼女は、自分がそれを受け取ることは師が受け取られるのと同じである、だから師に差し上げてくれ、と言って、やはり拒絶されました。人々は、師の放棄の精神を深く敬っていたのです。ですから彼女は一切金を持つことができなかったのでした。シュリ・ラーマクリシュナはこの言葉を聞いて深く喜ばれ、彼女の論旨を賞賛されました。

将来の使命と責任

 シュリ・ラーマクリシュナは、サラダ・デヴィの神のような性質と将来の使命とをよく知っておられました。彼は、将来の弟子たちの霊性を目覚めさせる方法を、彼女に詳しく教えられました。なくなる前のある日、師は彼女に、「あなたは何もしようとはしないのかね。私が何もかもやらなければならないのか」とおっしゃいました。サラダ・デヴィは異議をとなえ、「私はただの女、私に何ができましょう」と言われました。すると師は、「いや、いや、あなたは多くのことをするであろう」と言われたということです。またあるとき、シュリ・ラーマクリシュナは、サラダ・デヴィは将来、私よりも重い荷を背負わなければならない、と言われました。サラダ・デヴィは後年、ある弟子に向かって、「シュリ・ラーマクリシュナはすべての生き物を母なる神の現れと見ておられ、彼女を、神の母性の現れとしてあとに残されたのである」と言われました。

  無数の子供たちの母

 師の没後、サラダ・デヴィは数えきれぬほどの霊性の子供たちの母となられました。自らの神的な母性を完全に自覚される前には、サラダ・デヴィも普通の自分の子供を持ちたいと思われました。自分の子供たちを持たない女は不幸であり、不吉である、と聞かされたのです。ある日、彼女の母は、彼女は世間を知らぬ人に嫁いだものだから、「お母さん」と呼ぶ甘美な声を聞くことができない、とひどく不足を言われました。シュリ・ラーマクリシュナは、そのとき、娘さんは、お母さんという言葉を聞くと耳が痛くなるほど大勢の子供を持つことになりますよ、と保証なさいました。徐々に、隠された母性が、サラダ・デヴィの生活と行動の中に現れ始めました。誰でもが彼女をお母さん、と呼ぶと、彼女はたちまち、相手の落度や欠点を忘れてしまわれるのでした。

シュリ・ラーマクリシュナの死去と巡礼

 シュリ・ラーマクリシュナは、喉頭癌に侵されて、治療のためにカルカッタの近くのコシポルに移されました。サラダ・デヴィは彼に従ってゆき、信者たちに助けられて看病および食事のせわをされました。彼女は朝は三時に起き、夜は十一時に休まれました。激しい病苦に苦しみながらも、シュリ・ラーマクリシュナは、将来彼の使命を実現させるであろう若い弟子たちの、霊的生命の形成に没頭されました。ここに八カ月余り滞在された後、彼は一八八六年八月十六日、肉体を捨てられたのです。サラダ・デヴィが社会の習慣に従って装身具をはずし、白い上衣を着ようとされると、シュリ・ラーマクリシュナが彼女の前に現れて、「なぜ寡婦のようなまねをするのかね。私は一つの部屋から別の部屋に移っただけなのだよ」とおっしゃいました。このヴィジョンは繰り返し幾度か現れて、絶望と苦悩のときに彼女に勇気と平安を与えたのです。

 師の死去の後、ホーリーマザーは数名の師の弟子たちと共に巡礼の旅に出られました。旅の間中、彼女の瞑想と祈りは規則的に続けられ、彼女は多くのヴィジョンと法悦状態を経験されました。

カーマールプクルとカルカッタ

 巡礼を終わって後、ホーリーマザーは、シュリ・ラーマクリシュナの指示に従って、カーマールプクルに落ち着かれました。ここで、彼女は孤独と貧しさとに直面しました。わが手で野菜ものをつくり、欠乏の日々を送られました。師は彼女に、カーマールプクルで生活し、何者に向かっても救いを求める手を差し出すな、と求められたのです。彼は、彼女が質素な食物と衣服には事欠かないであろうことを保証されたのでした。師の言葉を守って、彼女は祈りと瞑想に日々を過ごされました。

 師の、出家した若い弟子たちは、ホーリーマザーの窮乏生活のことを少しも知りませんでした。彼らは厳しい修行を実践しつつあり、多くの人々は遍歴の生活をしていたのです。彼らは徐々に彼女の困難を知るようになり、彼女に衣食と住家とを供し、そのせわをするのは自分たちの責任だ、と悟りました。在家の信者たちの助けを得手、彼らはホーリーマザーをカルカッタに招待しました。

 一方ならぬためらいの気持ちをようやく克服して、ホーリーマザーはカルカッタに来られ、二人の婦人の信者が彼女に付き添うことになりました。この人たちは最後まで彼女のそばを離れませんでした。ホーリーマザーはこの頃にさまざまの霊的経験をし、その中には、最高の悟りの境地、ニルヴィカルパ・サマーディもまじっていました。彼女は、パンチャタパという苦行を行われました。烈日のもと、四方に燃える火を置いて瞑想するのです。彼女は七日間、夜明けから夕方まで、座り続けられました。この修行は彼女に内なる平安を与えました。彼女は、シュリ・ラーマクリシュナの降誕の目的は人類に解脱への道を示すことであり、自分はこの神の摂理の中で果たすべき重要な役割を与えられているのだ、という確信をえました。

 スワミ・サーラダーナンダのうむことない努力の結果、一九〇九年にカルカッタに彼女の住まわれるための家が完成し、彼女は、一九二〇年、息を引き取られまでここに滞在されました。スワミ・ヴィヴェーカーナンダはアメリカから帰るとベルル僧院を設立し、ホーリーマザーはこれを見て深く喜ばれました。シュリ・ラーマクリシュナの子供たちもついに自分たちの住かを得た、と言われました。その数年前、彼女はブダガヤを訪れて他の僧たちが設備のととのった僧院に暮らしているのを眼にし、師の子供たちにもこのように衣食と住み家を与えてやって下さい、と熱烈に彼に祈られたのでした。師の生涯とその教えにならって世を放棄した者たちが共にすみ、あまり苦しまないでふさわしい修行の機会を与えられるように、と願っておられたのです。彼女は、将来霊的指導と心の平安とを求めてこれらの子供たちのもとに人々が集まるであろうことを知っておられたのでした。

 シュリ・ラーマクリシュナは、花が開けばハチはおのずからひきつけられてやって来る、とおっしゃいました。ホーリーマザーの生命が花開かれると、霊性の探求者たちが自発的にやて来ました。あらゆる地方から、霊的慰安、指導、およびイニシェイションを求めて、人々が集まって来ました。僧団の僧たちにとっては、尽きることのないインスピレイションの源泉となられ、瞑想に専念している者たちであれ、無私の奉仕に忙しく働いている者たちであれ、すべての者たちに惜しみない祝福を与えられました。彼女は最高の意味の出家の生活を続けられ、多くの僧たちに、黄土色の僧衣(ゲルア)を与えられました。僧たちに絶えず働くことをすすめられ、しばしば、「働かないと、心が汚れます。二十四時間瞑想していられる人などがいますか。怠惰な生活を送るよりは始終忙しくしている方がずっと良いのです」と言われました。

 在家の信者たちも等しく彼女の恩恵を受け、彼女の弟子たち、訪問者たちの大部分はこの人たちでした。彼女は、彼らが無私の精神で自分の務めを行い、規則正しく祈りと瞑想を行うよう、励まされました。彼女は、彼らにとって、世の苦難からの唯一の避難所となられたのでした。

外面の姿

 ホーリーマザーは、一見普通の家住者のように暮らしておられました。師への日々の礼拝のほかは、炊事、掃除、洗濯のような家事に常にいそしんでおられたということです。そして、限りない慈悲と忍耐とをもって、弟子たちや親類たちの世話をなさいました。彼女の身内の面倒を見られるさまは、一見したある信者たちはとまどうほどでした。彼女の弟の一人の死後、その妻が産後に発狂したので、姪の養育を引き受けられました。彼女はこの子を適齢まで養い、結婚の世話もされました。ホーリーマザーの心は、そのままのしておけば、ひたすら主の方におもむくのでした。この姪が、彼女をこの世に結び付けました。あるとき、彼女はシュリ・ラーマクリシュナのヴィジョンを得、その中で師は彼女に、この姪が彼女をこの世にとどめるであろう、彼女は使命達成のためにまだ何年もこの世に生き続けなければならない、と告げられた、ということです。ホーリーマザーは、自分の心がこの姪に対して無関心になったら、自分はまもなく世を去るであろう、と漏らされました。それは全くこの言葉の通りでした。彼女の親しい友であり、非常に高い境地に達した魂であったヨギン・マーはあるとき、ホーリーマザーは自分の弟たちの家族に執着しておられる、と思いました。すると師がヴィジョンとして彼女の前に現れ、ホーリーマザーは永遠に淨い魂であって、身内に接してはいるけれど執着しているのではない、自分とホーリーマザーとの間にはいささかの違いもないのだ、と告げられました。彼はヨギン・マーに、彼らは一対である、と示されたのです。

人格、神性

 ホーリーマザーの人格は、人間と神、霊性の教師と母親、の性格の溶けあったものでした。師の最も優れた弟子の一人であるスワミ・プレマーナンダはその書簡の中でホーリーマザーの神性が、どのように平凡な人間の姿の中に隠されていたか、ということを語っておられます。彼はこのように書いています、「女王たちの中の女王であられるわれわれのマザーは、自ら進んで乞食となられ、あらゆるいやしい仕事を自分の手でしておられます。在家の者たちに、どのように自分の務めを果たすべきかを教えるために、困難に耐えておられるのです。・・・誰が、本当にホーリーマザーを理解しているでしょう。彼女は、いささかも力を表に現してはいらっしゃいません。師は、悟りの力を示されました。しかしホーリーマザーの場合にはそれさえ見られません。実は、彼女はどれほど大きな力であられることか!彼女はあらゆる人を喜んで迎えられます。彼女の力と慈悲は実にそれほどのものなのです。師さえもこれほどではあられませんでした。彼女はあらゆる者をかくまって下さいます」と。

 霊性の領域でホーリーマザーがどのような地位を占めておられたか、それは誰も知ることはできません。まがう方なき霊性の巨人、と見られていた人々が彼女に対して取った態度を知れば、彼女の偉大さの片鱗を見ることができるでしょう。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、ホーリーマザーの祝福を得て初めて、西洋に行く決心を固めました。見知らぬ土地で何が待ち受けているかも分からない、という不確実な世界に飛び込むのに、彼女の祝福さえあれば心配ない、と彼は考えたのです。ある日、ドゥルガープージャの祭礼中、ラーマクリシュナ僧院の長であるスワミ・ブラマーナンダは、百八輪の蓮の花を彼女の足下に供えて礼拝しました。ミッションの事務総長スワミ・サラダーナンダは、ホーリーマザーが自分の後任を選んで下されば、その人は自分と全く同じやり方で仕事ができる、と真剣に考えていました。彼女の恩寵は、彼にとってすべての力の源泉だったのです。シュリ・ラーマクリシュナの偉大な弟子たちのこの信仰は、単に彼らのグルの妻への尊敬、というようなものではなかったのです。彼らは文字どうり、彼女を肉体に現れた母なる神と仰いでいたのでした。

 ホーリーマザーは、シュリ・ラーマクリシュナと同じく神の化身でした。それは、シュリ・ラーマクリシュナとサラダ・デヴィという、この両者を通して現れた、同一の力だったのです。前者には、後者よりも大きく、その力が現れていたのでした。シュリ・ラーマクリシュナが礼拝されたのはこの、宇宙の母なる神の現れだったのでした。

 ホーリーマザーは、シュリ・ラーマクリシュナの生涯の記録の中にわれわれが見いだすような、厳しい霊的修行はされなかった、ということは事実です。しかし彼女の悟りは、シュリ・ラーマクリシュナのそれと同様、底の知れないものでした。ホーリーマザーは自らを公衆の目からは隠しておられました。何人かの熱心な信者たちはよく、彼女を師に比べたものでした。そのようなとき、彼女は言われるのでした、「おだまりなさい。私は彼の足下においていただけただけで身に余る恵みを受けているのです。私は彼の侍女、師おひとりが、あらゆるものでいらっしゃるのです。彼に比べられる者はいません」と。ごくまれな機会に、彼女は本性を現されました。あるとき彼女は、自分が生きている間は、人々は自分の真の性質は理解しないであろう、と言われました。ある女性の信者があるとき言いました、「ホーリーマザーの御力のなんとすばらしいこと!幾千の人々が文字どうりに彼女を礼拝しているのに、彼女は完全に、ご自分に浴びせられている名誉には無執着でいらっしゃる。これは誰にでもできることではない。これこそ、彼女の神性を示す十分な証です」と。彼女の内にはいささかのエゴも見られませんでした。どれほどの名誉も賞賛も崇拝も、彼女を得意がらせることはできなかったのです。

  母の態度

 彼女は慈悲深い母であり、比類のない霊性の師でした。その性格の中の他を圧して最も著しい特徴は、彼女の母性愛でした。他のさまざまの性質はさておき、誰もが必ず感銘を受けるのは、彼女の母性愛でした。ただその愛は、本当の母の愛よりさらに深いものなのでした。幼時に母を失ってその愛を知らなかった多くの若者が、ホーリーマザーに接するに及んで得られなかったものを補って余りある経験をしました。多くの者が、彼女の中に母を見いだして、今生にも来世にもそれ以上のものは求めなくなったのです。

 彼女の母心は、貧富貴賎を問わずあらゆる者の面倒を見ました。ジャイランバティで、ある女の荷運び人が、一信者から贈られた野菜を運んで来て一泊しました。女は熱病を患っていて、その夜、室内で食べ物を吐きました。ホーリーマザーは翌朝、女が叱られないようにと、他の人々の起きる前に汚物を始末し、部屋の掃除をされたのでした。

 彼女はしばしば、自分の使われた着衣や毛布を、若い弟子たちに与えられました。弟子たちは、彼女の使われたものを自分が使うことを冒涜とも考えたのですが、彼女のごく自然な母性愛は、そんな感情を打ち消しました。息子が母親の持ち物を使って躊躇を感じるはずがないのですから。

 ある信者の振舞いが非常に悪く、人々が、彼の出入りを差し止められるよう彼女にお願いしたことがありました。しかしホーリーマザーは深い愛情と忍耐とをもって優しく答えられました、「もし私の息子が泥にまみれていたら、泥を洗って膝の上にのせてやらなければならないのは私ではありませんか」彼女の広く深い愛情はすべての人を抱擁し他者の落度は見なかったのでした。

霊性の教師

 ホーリーマザーは彼女の弟子たちに対して十全の責任を持たれました。最後の病床にあられたとき、こうおっしゃいました。「たとえこのからだは死んでも、私が責任を持った魂たちがたとえ一人でも解脱を得ないでいる限り、私が心安らかでいられると思いますか。イニシエイションはよい加減のことですか。何という重い責任を、グルは負わなければならないことか!どれほど心配しなければならないことか!」

 ホーリーマザーは、彼女の弟子たちの全部がまじめではなく、多くの者が修行を怠っていることを、よく知っておられました。深い愛情から、彼女はイニシエイションを与えずにはいられなかったのです。あるとき、こう言われました、「私は、同情の気持ちからイニシエイションを与えるのです。彼らは、私のそばを動かず、泣くのですもの。これが私のハートを動かすのです。そうでなければ、私には何の益もないこと、私はイニシエイトした人たち全部の罪を引き受けなければならないのですもの。私は思うのです、『このからだは死ぬ、しかし、彼らはどうぞめざめてくれるように』」と。

 晩年、彼女は健康がすぐれず、長いこと病床にありました。このような状態の中でも、夜、長時間眠らずにこの、修行を怠っている弟子たちのために祈ったり、神の御名を唱えたりしておられました。彼女の苦痛を見て、ある信者が、あまり大勢にイニシエイションを与えられないようお願いしました。彼女はこう答えられました。「なぜですか。師は決して私にそんなことはお教えになりませんでしたよ。彼は私に、実にさまざまのことについて指示をお与えになったのです。必要なら、そういう警告もお与えになったはずではありませんか」と。彼女の人類愛はこれほど深かったのです。

  弟子たちとの関係

 ホーリーマザーは弟子たちに厳しい訓練を命じる人ではありませんでした。彼女は、有徳の者にも邪な者にも等しくあびせられる母の愛によって、彼らのハートを征服されたのです。自分の行為を悔いる人々には、救いを保証されました。このような人に向かってあるときこうおっしゃいました、「恐れなさるな、私の子供よ、母なる神が背後においでになる、ということを常に忘れないようになさい。私もあなたのそばにいます。私を、つまり母親を覚えている限り、あなたは何一つ恐れることはないのです。師は私に、『 最後には、私は確実に、あなたのところに来た者全部は解脱させる』とおっしゃったのですよ」

 アムジャドという人は犯罪者でした。彼は回教徒で、ジャイランバティに住んでいました。彼はしばしばマザーのところに来て、彼女をお母さんと呼んでいました。ホーリーマザーはこう言われました「シャラトが私の子供であるのと同じようにアムジャドは私の子供です」と。シャラトは師の直弟子でラーマクリシュナ・ミッションの事務総長でした。繰り返し、ホーリーマザーは言われたのです「私は有徳の人々の母であるのと同じように、悪い人々の母でもあるのです」と。シスター・ニヴェディターは、「彼女の中には、最高の叡知と、そして最も素朴な女性も持っている優しさとを見ることができる。しかし私にとっては、彼女の思いやりの高貴さと心の広さとが、その聖らかさと同じ程度に驚異である」と言っています。彼女はニヴェディターを自分の赤児と見て深い愛情を抱いていました。

最後の教え

 彼女のこの世への最後の教えは、彼女を看護していた女性の信者が泣いているのを見て与えられました。死の五日前、彼女はこう言われたのです、「ひとこと言わせて下さい。もし心の平安を得ようと思ったら、他人の欠点を見てはいけません。むしろ自分の欠点をご覧なさい。全世界を我がものとすることをお学びなさい。他人はいないのですよ。私の子供よ。全世界はあなたのものなのです」

その教えと言葉

 ○ たえず神の御名を唱えているのになぜ神に没入することができないのであろうか。――これは、多勢の求道者を当惑させる難問です。ホーリーマザーがこの質問を受けられたとき彼女の実際的な助言は、「それは、やがてやって来ます。しかし、たとえ心が言うことをきかず落ち着かなくても、ジャパを止めてはいけません。御名を繰り返し続けていれば、風のないところで燃えている炎のように、心が徐々に安定してくるのに気づくでしょう。空気がちょっとでも動けば、炎はゆらゆらと動きます。それと同  じように心に何かの願望が起これば心は不安定にな  るのです。マントラは正確に唱えなければなりません。不正確な唱え方は進歩を遅らせます」

 ある信者が「もし神を愛していなかったら、神の御名を繰り返しても益がありますか」と尋ねました。その答えは、「もしあなたが水の中に落ちたら、すきで落ちたのであってもなくても、ぬれる味は同じでしょう」これで、信者の疑問は氷解しました。

 ○ 神につくられ治められているこの世界に、なぜこんなに多くの苦しみがあるのだろうか。これは信仰者だれでもの心をかき乱す疑問です。これに対する彼女の答えは、「創造は、幸福と不幸との混合です。不幸は、神の慈悲の象徴です。その上に、常住苦しみ通しという人はいません。あらゆる行為は、必ず、その結果をもたらすものです。それゆえ、幸福の順番も必ず来るものです」

 ○ 神に帰依し、彼を信じる人々は、そう、そのこと自体が彼らの行(ぎょう)であり修行です。

 ○ 世間への執着が減れば減るほど、心の平安は深まります。

 ○ あなた方が神をお呼びしなくたって――実は多くの人々が彼を思い出しもしないのですが――神様にとってそれが何でしょう。それはあなた方の不幸なのです。神のマーヤーとはそういうものなので、彼が、人々に、ご自分のことを分からないようにさせておおきになるのです。「彼らはそれで幸せなのだ。まあ、そうさせておけ」とおっしゃって。 

 ○ たとえ言葉だけでも、他者を傷つけてはいけません。粗野な言葉を使うと、人は粗野となります。言葉をつつしむことをしないと、感受性が失われるのです。師はよくおっしゃいました、「ちんばの人に、どうしてちんばになったかなどと聞くものではない」と。

 ○ 常に低い方に流れるのが水の性質ではあるけれど、太陽の光はそれを空まで吸い上げます。そのように、心はとかく低い方におもむきがちで、苦しむのですが、神の御慈悲はそれを上に向けて下さいます。

 ○ 魂がどれほど偉大でも、それが人間の肉体に宿ったら、彼はすべての肉体の悲しみに堪えなければなりません。唯一の違いは、普通の人々は泣きながら分かれるが偉大な魂は、死はまるで一つのゲームであるかのように、笑いながら行くのです。

 ○ 心は、長い修行の後に淨まるものです。淨い心は霊性の修行なしには決して得られるものではありません。人が神を見いだしたら、何が起こりますか。その人が二本の角でもはやすのですか。いいえ、いいえ、ただ、心が淨くなるのです。そして、悟りは、淨い心に生まれるものなのです。

 ○ 愛と信仰なしには、決して神を見いだすことはできません。

 ○ 全力を尽くして神にお祈りなさい。人は努力しなければなりません。努力なしに得られるものがありますか。家事に忙しく働いている間でも、祈りのときはつくらなければいけません。

 ○ 神は子供のようでいらっしゃる。ものを欲しがらない人々にはそれを下さって、欲しがる人々からそれをお引っ込めになるのです。気まぐれのように。

 ○ 彼は人の身内、常に人とつながりあっていらっしゃる。彼はその人の最も近い身内。人それぞれが欲する程度だけ、彼を得ることができるのです。

 ○ 親切心がなかったら、その人を人間と呼ぶことができますか。けものです。

 ○ 瞑想をすれば、自分の内なる神は相手の内にも、また、最も卑しい人々の内にもまします、ということが分かります、それで初めて心中に謙虚さが生まれるのです。

 ○ たとえ二分間でも、専心神に祈り、彼を瞑想することができれば、長時間座るよりもよいのです。

 ○ 礼拝は専念、と瞑想において極まります。

 ○ 真の知識を得ると、神は別個の存在ではなくなります。人は永遠の母に呼びかけますが、ついには、彼女をすべての被造物の中に見いだします。そのとき、一切のものがひとつになるのです。それがすべてです。

 


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